静夜思君不見

梨花歌〜(四)栴檀芳


翌日の朝、サクリアの不安定により幾つかの惑星が危険にさらされている、との報告を守護聖達は受けた。
まだ具体的な影響は出てはいないものの、このまま放っておけば惑星ごと消滅するのは必至のようである。
しかし、その日の集まりは原因も具体的な策もわからないままに、解散された。
この出来事ににメイファンはふと、かつて前任の光の守護聖が去る前に闇の守護聖と執務室で話していたことを思い出す。
『サクリアの安定が悪い』前任の闇の守護聖は前からそう言っていた。
女王のサクリアが原因ではないか、とも。
そろそろ、守護聖としても成長した彼には、わかるようになっていた。
確かに女王のサクリアがおかしいということ。衰えているわけでもなく、ただ、不安定であるということが。
いまいち釈然としない想いに駆られつつも、自分に何かできることはないか、と彼は王立図書館に足を運ばせた。
本を読むことは嫌いではないが、さすがに普段はめったに入らないレヴェル7以上の書庫へ足を踏み入れる。
そのとき、自分のいる本棚の向こう側から誰かの話声が聞こえてきた。
ここははっきり言って代々の地の守護聖か、よっぽど熱心な守護聖、もしくは物好きな研究所職員くらいしか訪れないので周囲はとても静かであり、 ひそひそ声ながら、メイファンの耳までは十分に届く。

―― やっぱり、無理だったのだ。あのような者を女王にするなど
―― しっ!めったなことは言うな。しかしこれだけ長い間、宇宙を支え、なおかつ、まだサクリアは衰えをみせないぞ
―― いかに力が強かろうと、素質があろうと彼女は

その声が、現在年長のふたりの守護聖と解かり、メイファンはあまりの驚きに声も出ない。
仮にも守護聖たるもの、 どのような根拠があってかは知らないが、忠誠を誓うべくひとの陰口を叩くとは本来あってはならないことである。
いかに年長者といえども、これは自分から一言苦言進呈して然るべき、 第一今回の宇宙の不安定も彼らの不信が生んだのではないか?
とさえ考え、扉に歩み寄った時である。
メイファンの耳に、信じられないような言葉が届いた。

―― 彼女は先の女王が我々を……いや、宇宙を裏切って生まれた子供だ

いま、彼らはなんと?
確か、そう、確か。
『サキノジョオウガウチュウヲウラギッテウマレタコドモ』
と。

頭から、血が引く感覚を覚える。目の前が、真っ暗になる、ということはこういうことを言うのだろう。
思考が停止し、それでも聞きたくもない会話は耳に届き、頭をがんがんと打ち鳴らした。

―― 『生まれながらの女王』とはよく言ったものだ。確かに、生まれた時から、この宇宙を導いていたからな、あの信じられないような力で
―― 先代女王は己のすべての力と引き換えに現女王を生んだようなものだ。そのくらいは当然だ。
―― 幼いうちはそれでも無心に導いていたからいい。しかし、自分自身の存在に疑問を抱き始め、力に狂いが生じたのかもな

◇◆◇◆◇

メイファンはどうやってその場から抜け出たのか覚えていなかった。
気付いた時は、私邸への道のりを歩いていた。
頭の中は相変わらずぼんやりとしている。
それでも、先ほどの会話だけが彩やかに、何度も、何度も、脳裏を駆け巡る。
何を、どうすればいいのか見当もつかなかった。
根本的な問題が在るのだ。それは、女王のサクリア云々ではない。
現陛下に対する守護聖の不信感。これをどうにかしないことには。
深いため息をつきながらさらに思う。
彼女は、やはり孤独なのだ。
初めて謁見して思ったときの如く。
おそらく、あの御簾も、不自然に重々しい声も、 若すぎる外見の自分を悟られぬよう、軽んじられぬよう、工夫した演出に過ぎない。
あの奥まった御簾の中で彼女は日々、孤独と戦っているのか。この世に生を受けたその時瞬間から。

その時、メイファンにはひとつの決心が生まれていた。
もしかしたら、自分にとって、辛い結末を迎えるかもしれない決心を、である。
彼は、とうに気付いていた。気まぐれに訪れる花の精、梨華の本当の姿に。
ただ、前任の光の守護聖の就任以前からの女王というには、彼女は若すぎるように思えたのだ。
それゆえに、別の可能性にも賭けていた。しかし
―― これで、その理由が解かってしまったな。もう、疑うべくも無し、か。
傍らを通り過ぎる風は、春の割に、ひんやりと冷たかった。

 
その日の夕方、闇の守護聖は昨夜の礼を改めて言うべく、夢の守護聖の館への道を、とてとて、と小走りにかけていた。
ジュリアスとはどうやら、その関係を改善方向に向かわせているらしい。
今日の午後も、森の湖の大樹でふたり、遊んできた所である。
基本的な性格の不一致は、まあ、致し方ないとして、自分達もどうにか仲良くやっていけるかなあ、と考えているクラヴィス。

―― 今後数百年、周りの同僚に迷惑をかけまくりつつ、
彼との喧嘩だか、じゃれ合いだか良く解からない関係が延々と続くとは、当人達もまだ、ご存知ない。合掌。

夢の守護聖の館に玄関から入らず、直接中庭の方へ回り込んだクラヴィスは、 その梨の花の下にひとりの美しい少女をみつけ、小さな目を丸くする。
少女は艶然と微笑み、その微笑みに反応して、小さいくせに生意気にも赤くなっている闇の守護聖に語り掛けた。
「夢の守護聖に用か?では、わらわは今宵は、遠慮しようかの」
そう言って去ろうとする少女に、クラヴィスは
「……あの……」
と、小さく呼び止める。
「何じゃ?」
梨華も珍しく、その声に振り返った。
「……いつも、独りでいて……寂しくないの?」
どうやら、彼女はこの幼い闇の守護聖に、あっさり正体を見抜かれてしまったらしい。梨華は苦笑する。
きっと、彼にとって、とても知りたいことだったのだろう。
自分の寂しさ故に、さらに孤独と思われるあの御簾の向こうのことを。
「寂しいぞ」
泣きそうな顔で少女を見上げている闇の守護聖に彼女は笑みをみせて続ける。
「だから、こうして、時折抜け出す。
わらわが誰なのか知ってか知らずか、美幻は飽きもせず下らぬ話に付きおうてくれる。
昨日も顔を見ただけで、わらわは安心した。
おお、すまなかったの、『安らぎ』はそなたの役目であったな」
朗らかに笑う梨華。
クラヴィスは『すまなかった』の言葉にふるふる、と首を振ると、今度はこくん。と頷いて言う。
「……メイファン様は、やさしいね……」
その言葉を聞いて、嬉しそうに梨華はクラヴィスに尋ねる。
「美幻が好きか?」
こくん。クラヴィスは頷く。
「そうか、わらわもじゃ。わらわも、好きぞ」
哀しい声が響いた。


そのとき、それをかき消すように甲高い子供の声が響いた。
「クラヴィスっ!何をしている。中庭から入り込むなんて仮にも気高い闇の守護聖を名乗る者がすることではないっ!」
声の主 ―― 当然ジュリアス ―― はいつのまに来ていたのか、館の中から出てきて、クラヴィスの首根っこを掴み メイファン殿に失礼ではないかっ。などと説教をかましつつ、彼を室内に引きずっていこうとする。
クラヴィスは小さく
「あそこに……」
いるひとと話していたのに、と言おうと梨木の方に目をむけたが、すでに少女の姿はなかった。
「?梨の木がどうかしたか?」
ジュリアスの問いかけに
「……なんでもない……」
そういうと、彼はそのまま引きずられるように美幻(メイファン)の館へと入って行った。

高みに在る少女の孤独を知ったこの出来事が、 クラヴィスのこの先の運命に何らかの影響を与えた、かもしれないが、それはまた別の話である。


美幻は館の中にいた。梨木の下のやり取りに気付いてはいないようである。
「クラヴィスから、昨日、書類を探すのを手伝って頂いたと聞き及び、お礼を言いに参りました」
ジュリアスがはきはきとそう言って美幻(メイファン)に一礼する。
そして、そなたも礼を言え、とばかりクラヴィスをつつく。
「……ありがとう」
その、なんとも気の抜けた声にジュリアスが、もっとしっかり挨拶できないのかっ、と言うような目を向けたのを見て、 美幻(メイファン)はついに堪えきれず、笑い出してしまった。
当たり方はきついものがあるが、結局、この光の守護聖は闇の守護聖にちょっかいを出さずにはいられないのだ。
くつくつと、この人にしては珍しい大っぴらな笑い方に、ジュリアスが怪訝そうに彼を見上げる。
目尻に滲む涙を人差し指で拭うと夢の守護聖は嬉しそうに言った。
「なんぞ、そなたたちも仲良うなったようで安心したぞ。礼と言うなら、そのことが一番私には嬉しく思う」


美幻が出した茉莉花のお茶をジュリアスと並んで椅子に腰掛けて飲んでいたクラヴィスは
「……あのね」
と、美幻(メイファン)に少女との先ほどのやり取りを伝えようとしたが、何故かいけないことのような気がして
「……なんでもない」
と、すぐに口をつぐんでしまった。
怪訝な顔をする美幻(メイファン)に、どうしよう、と考えていた時、クラヴィスはある香りに気付く。
「……とても、いい香りがする」
それは、いつもメイファンが好んで焚いていた白檀の香の香りであった。
「気に入ったか?」
美幻(メイファン)の問いにクラヴィスはこくんと頷く。
ジュリアスの方はどうやら、彼の故郷のものとは相性が悪いらしい。黙ってお茶を飲んでいる。
そういえば以前、炒飯を泣きそうな顔をして食べていたな、あの時は、悪いことをした、と美幻(メイファン)は苦笑した。
メイファンは立ち上がり錦糸の刺繍の施された小さな布の包みを持ってくる。
「気に入ったのなら、これをそなたにやろう。同じ香が入ってるゆえ、自分の館でも焚けよう」
クラヴィスは嬉しそうに、にっこり笑い、こくん、と頷いた。
「さて、ジュリアス。そなたは、何ぞ望みはあるか?」
香には好みがあるので、気に入らないものをあげた所で意味がない。
「いえ、なにもありません」
きっぱりと言うジュリアス。『何かをねだる』ということを、この幼子はしたことがないに違いない。そう考えてから、 美幻(メイファン)はにっこり、と笑い、そのちいさな頭をぽんぽん、と叩く。
「では、そなたには、未来をやろう」
「?」
「いつか、そなたが望みを見つけた時、その望み ―― 夢が必ず叶うような未来を、な」
そういって、美幻(メイファン)はすこし屈むとその幼く愛らしい額にそっとくちづけた。
「!」
両親にさえ厳しく育てられた彼は、こういった親愛の情の表現に慣れておらず真っ赤になって額を両手で抑えている。
「夢の守護聖直々のまじないぞ。効き目は絶対であろう」
そう言って、夢の守護聖はくつくつと笑った。


夕食時も三人で過ごし、そのあと美幻(メイファン)はふたりに将棋を教えて遊んでいた。
専ら興味を持ったのはジュリアスの方で、クラヴィスはしばしとなりでみていたと思えば、いつのまにかうつらうつらと船を漕いでいる。
何局か対局した後、さすがにジュリアスも眠そうにあくびをし、目をこすりはじめる。
「館の方へは連絡するゆえ、今日はふたりとも休んでいくがよい」
ジュリアスはこくん、と目をこすりながら頷いた。
すっかり寝入っているクラヴィスを肩にかついで、もう片の手でジュリアスの手を引くと客室へ案内する。
美幻(メイファン)はふたりを寝台に寝かしつけ、明かりを落とす。
釣燈篭(つりとうろう)の光が淡く室内にぼやけた。

「では、良い夢をな」

そう言って部屋を出ようとした時、ジュリアスの声が聞こえた。

「はい。おやすみ……さい。母上……」

 
扉を閉めて、美幻はしばし立ち尽くしていた。
「母上、か」
遠く、故郷の母は、まだご健勝であろうか。外界でどれほどの時が過ぎたのか。知るのがいささか恐ろしい。
そう考えながらもさらに心の奥で、いくら寝惚けててもせめて『父上』、いや、やっぱ『兄上』だと嬉しかったのになあ。とどうでもいいことを思いつつ、 辺りに立ち込める白檀の香に思考を移す。
この香木 ―― 栴檀の木は、わずか双葉のときから、その芳香を漂わす。
『栴檀は双葉より芳し』と言うように、真に優れた資質を持つものは幼い時よりその兆候が見られるものだ、しかし。
『香木も馨らずばその身焼かれることなからん』
とも言われるように、優れた資質など持ち合わさなければ、逆に余計な苦労などせず平穏な人生を歩めるものなのだ。
幼くして、守護聖となったふたりの幼子。
そして、生まれながら女王となった人のことを美幻は思う。
何が幸せかは、当人の心ひとつであろう。
しかし、天に与えられた資質は、たとえ要らないと思ってはいても、あることに違いないのだ。
その、身の中に。
クラヴィスにこの香を渡したのは、そんな意味合いも込められていた。
その身の力にけして惑わせれぬように、と。
そして、梨華。
彼女は女王に相応しいひとのはずである。
自らの非力を嘆き、独り梨花の下で涙を流すほど、少なくとも彼女はこの宇宙を想っている。
だから、あの不安定さは、おそらく、彼女の孤独からきているのだ。
そして、一部の守護聖の不信がそれに拍車をかけているのだろう。
昼間の守護聖達の言葉通り、幼い頃は無心であったから恐らく問題なかったのだ。
そかし、彼女が人間として自分自身を意識した時、自分の置かれた立場に疑問を感じた所でおかしくはない。

「―― さあ、明日からは正念場ぞ」
この宇宙の未来も、自分の恋も。
そうつぶやくと夢の守護聖は自分も美しい夢を見るべく、自室へと入って行った。


これは、いつもと変わらない、穏やかな聖地の1日の、1頁の出来事である。

輦路生秋草―――輦路 秋草生じ
上林花満枝―――上林 花 枝に満つ
憑高何限意―――高きに憑る 何ぞ意に限りあらん
無復侍臣知―――復た侍臣の知る無し
(「宮中題」文宗皇帝)

御車の通る道は使われず秋の草が揺れている
御苑の花はまさに咲き誇ろうとしているのに
独り高みに在る私の胸中には限りない哀しみがある
侍臣の誰ひとり、その想いを知りはしないのだ。

 

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今回は「クラ様にお香を渡す編」でした。本編に書き損ねたので、外伝にて登場。