昨日、結局何も調べることのできなかった図書館で
美幻は様々な記録を読んでいた。
しかし、昨日とは調査内容が異なっている。主に、先代女王と現女王の交代期の記録であった。
―― 流石に、表立っての資料はないな。
メイファンはつぶやく。
ただ、一見普通に見えるその記録も昨日耳にした話を基とすれば、様々な事実が見え隠れしてくる。
1、前回の女王交代の際、宇宙は急激で激しい女王のサクリアの衰えにより、大きな被害を受けている。
普通、女王のサクリアの衰えは急激には訪れない。もしあるとすればすれば、それは。
―― 女王としての資格の消失、または急死。
余談ではあるが、この次期のサクリアの乱れで被害を受けた惑星の中に、こんな事件があった。
もともとふたつの民族で成り立っていたその惑星は前々からその民族間で争いが絶えなかった。
そしてサクリアの乱れを火付けに、ひとつの民族が、もうひとつの異民族をうち滅ぼし、王国をたてたのである。
『その異民族に対す残虐さ目を覆わんばかり。女、子供を問わず、その血筋ことごとく根絶え、その文明、文化、すべて灰と化す』
惑星史はそう伝える。その惑星の名は、サラトーヴ。
後の世にも、幾度かの災いと、幾つかの悲しい伝説を宇宙にもたらした惑星である ――。
2、先代の女王は任期が異様に短い。平均的任期の五分の一にも満たない内に退任している。
しかし、別の資料によって確認できた彼女の死亡年と新女王への譲位が重なっていることから、死亡によって、急遽新たな女王即位が決定されたと考えた方が良い。
3、現女王の経歴は一切不明である。出身惑星、家柄、両親の名前、即位当時の年齢さえも、である。
いかに神聖視される女王とはいえ、ここまで不明なのはおかしい。
―― 聞いた話の通り彼女が、先の女王の娘で、この聖地で生まれた、というのなら、合点がいく。
おそらく母親は、彼女をこの世に送り出す際に命を落としたのだろう。
そこまで検証して、美幻はふとした疑問を思いつく。
梨華は、自分を『同郷』といわなかったろうか?
ではやはり、彼女は女王ではないのか?それとも現女王は聖地生まれという自分の推測が間違っているのであろうか。
その時、開いていた年表に自分の故郷の名を見つけ、その部分を読んでみる。
時期的には、先代女王のサクリアが異変をきたす直前である。
―― 辺境惑星α−126。母星系よりの距離約140億光年
長く母星系女王直轄より独立を保っていたが、瞬王朝期の皇帝・翡宗の判断によりその傘下に入る。
その際、皇帝は幾度か聖地を訪れている。
しかし、そのあとこの惑星と聖地との交流は断絶されていた。
資料には、直轄にすることに対し、守護聖の反対があった、とある。
正式に直轄化が再締結されたのは、皇帝・翡宗の死の直後だ。
この先は、完全な美幻の憶測に過ぎない。が。
―― そのふたりが恋に落ちたのだとしたら?
聖地で男と女が恋に落ちる。
女は身篭りひとりの女の子を産み落とす。
自分の命と引き換えに。
男は聖地に再び入ることは許されず、子の顔も見ぬまま故郷の地で天命尽きる。
そして皮肉にも母の力を受け継いで生まれた子は聖地で ―― 女王となる
すべての符合の断片が完全に一致した。
梨華は、ひとり玉座にあって、まだ見ぬ遠い故郷の地を思っていたのであろうか。
顔も知らぬ父と母。
父親の故郷の言葉や風習を学ぶことは、おそらく彼女にとって、
誰からも祝福されることの無かったふたりの恋への、せめてもの
餞だったのだろう。
美幻は謁見の間にいた。他の守護聖達はいない。
首座の光の守護聖を通して、特別に時間を設けて貰ったのである。
最年長の守護聖達になにかと首座の守護聖としての仕事を奪われがちなジュリアスは、
美幻の頼みを心持ち嬉しそうに受けていた。
御簾が揺れてその奥に人影が現われる。彼は開口一番こう言った。
「どうか、その御簾をおあげ下され」
返事はないので彼は話を続ける。
「宇宙の危機をご存知か。その理由、何であると思し召しか承りたい」
「そなたは、何と心得る?わらわの力不足かの。口さがない者共の言う如くな」
低く、重々しい、何処か自嘲を含んだ声が響いた。
美幻は哀しげに眉をひそめる。
心が、痛んだ。
彼女の孤独は、あまりに深い。その深さに、心が、痛んだ。
そして強い口調で陳べる。
「そう御思いになる御心。陛下の全てを独りで背負おうとする孤独こそ、その原因でありましょうや!
そして、それが亦一部の守護聖の不信にも影響を与えているので御座います。それを解かっておいでか!?」
一息つくと、再び、今度は静かな声を響かせる。
「何故、聖地に我ら九人の守護聖が在ると思し召しか。何故、私を、頼うてはくださらぬ……」
『我ら』でなく、『私』と言ったのは無意識の本音であった。
「陛下は、独りでこの宇宙を導くことが、償いなどと、よもや想うては居られまいな」
―― 宇宙を裏切ったと言われた女王の代わりに。
―― 自分の命と引き換えにこの世を去った母の代わりに。
―― そして、許されない恋の証として生まれた自分の存在証明の代わりに。
全てを背負った上で、『過ち』そのものである自分がこの宇宙さえ平穏に導ければすべての罪は償われる。
許されなかった恋はその時初めて認めてもらえるのだ。
決して、過ちではなかったのだと。
「陛下は、宇宙を導くことをどう御思いか。―― この宇宙、本当に愛しいと思っておいでか?」
そこまで言った時、ついに御簾の奥から強い声が発せられる。
「黙れ!言葉が過ぎようぞ!」
「いいえ、黙りませぬ!」
強く、彼は食い下がる。
―― あなたの心の内が痛いほど解かる故に、黙ることはできませぬ。
「ならば、そなたどうせよと言うのじゃ!」
彼の言葉や思いは、図星だったのであろう。そして、彼女の叫びもまた、本音であるのだ。
「ですから、申し上げております。我らを信頼してくだされ、と。さすれば、我らもそれに応えましょうや。
その為には……御無礼、許されよ……!」
美幻は言いながらつかつかと玉座に歩み寄る。
「! 美幻!何を……」
ばさっ
女王の驚きの声も意に介さず、彼はその玉座の前に重く圧し掛かる御簾を払いのけた。
ふたりの目が、直に重なり合う。
それは、永遠にも思える一瞬であった。
梨華。
やはり、そうであったか。
目の前の少女、女王と言うには幼すぎるように見える黒髪の少女の姿に最後に残されていた一分の望みも絶たれてしまった。
メイファンの瞳の深さに、梨華は思わず視線をそらす。
それでも彼は、どこまでも冷静である。
「どうか、御自身で、我らと共に宇宙を導いてゆく御覚悟の旨、皆に御伝え下され。
―― そのためには。このような物は、必要在りませぬ」
御簾がいいようのない悲鳴をあげて勢い良く引き裂かれた。
背を向けて、謁見の間を去ろうとする夢の守護聖に梨華は小さく問う。
「何故、放っておいてはくれなんだ。宇宙などどうなろうとわらわは知らぬ」
半分は本音、半分は偽りの言葉に背を向けたまま彼は応えた。
「どうして、放ってなどおけましょう。―― 宇宙が傷つけば、誰よりも心傷めるのが貴女だと知りながら」
―― あの時、梨花の下で涙を流していた貴女をみていながら
けれど、これでもうふたりがあの梨の木の下で語り合うことはないだろう。永遠に。
「……美幻、そなたは……残酷ぞ」
彼はこうもあっさりと彼女を『女王』としてしか見ようとしないのだから。
美幻は扉に手を掛け、僅かに振り向くと言った。
「残酷、と申されますか。否定は致しませぬ。
今、私の中にある痛みと同じ痛みを……貴女も感じていてくださるなら。
嬉しい、とさえ想うているのです。私と言う男は」
扉の閉まる音が静かに響いた。

緊急に招集された守護聖達は、女王の姿に驚きを隠せなかった。
彼女はそのかんばせを露わにし、守護聖達に述べたのである。
宇宙は自分と、そして九人の守護聖によって導かれる。その信頼関係は揺らいではならず、これまでの自分のあり方は過ちであった。
今後、共に宇宙を導いて行くため、皆の力を貸して欲しい、と。
その言葉に守護聖達 ―― 年長の者達も頭を垂れ、再び女王に忠誠を誓ったのである。
これで、女王と守護聖達との距離は縮まった。
この先、互いの信頼の上で、揺るぎ無い力を持った女王は宇宙を導いていくだろう。
――― ひとりの男としての美幻と、ひとりの女としての梨華の間が永遠に等しく隔たれた代わりに。
女王が退室し、謁見の間をぞろぞろと守護聖達が少々感動的な面持ちで出て行いった後、
ひとり幽かに沈んだ表情をしていた美幻の袖を小さな手がひっぱった。
振り向くと黒髪の幼子が心配そうに顔を覗き込んでいる。
「……もう、あのひとは、寂しくないよ……きっと……。
でも、メイファンさまが、寂しそうな顔をしていると……寂しい。みんな、寂しいよ……」
無口な彼にしては、長い台詞である。それだけ一生懸命なのであろう。
美幻は力無く、でも優しく笑うと膝を折り幼子を抱きしめる。
兄にも等しいその人の肩が幽かに震えていることに気付き、闇の守護聖は小さな手で、よく美幻自身がしてくれるよう
ぽんぽん、
とかるく頭を叩く。
大人も哀しい時は泣くんだ、そう、思いながら。

これは、いつもと変わらない、穏やかな聖地の1日の、1頁の出来事である……
蝋照半籠金翡翠―――蝋照(ろうしょう)半ば籠む金翡翠
麝薫微度繍芙蓉―――麝薫(じゃくん)微に渡る繍芙蓉

劉郎己恨蓬山遠―――劉郎(りゅうろう)己(すで)に恨む蓬山の遠きを
更隔蓬山一萬重―――更に隔つ蓬山一萬重
(「無題」抜粋・李商隠)
蝋燭は、金の翡翠を織り込んだ帳の内を淡く照らし
微かな麝香の香りが芙蓉をあしらった褥の上を渡る中
あなたも同じ想いを抱えて眠れぬ夜を過ごしていると思っていいだろうか?
あるひとが蓬山の仙女を訪ねたがそのあまりの遠さに嘆き諦めたと聞く
けれど我らは、その蓬莱よりも更に遠く隔たれてしまった/P>
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