1996/12/31: 大晦日である。遂にこの一年も終りを告げる日が来た。 いろいろあったな、と思えるほど充実はしていなかったので、 来年こそは、という意思をかため、その強さを確認するため、 都市が変わる瞬間には、地球上にいないことを決意した。 カウントダウン。 5,4,3,2,1..とびあがって...0 すでに着地していた。失敗に終ったのである。
1996/12/30: 晦日。「鈴木その子」なる人物をテレビCMで見る。 その顔面も独自性を醸し出しているのだが、 なにより、その顔面の表面の光沢が変である。 陶器にも見えるその材質は、やはり、その「しゃ」のかかった画像のせいなの だろうか。その真相がどうであれ、あの「しゃ」のかけ方は、度が過ぎて いるとおもわれる。
1996/12/29: 最後の日曜日。今年最後の家庭教師をした。 相変わらず、先の犬は、もうすでに鳴かず、クンクンいうだけであった、 ということは、どうでもなるような事件が発覚した。 鞄に腐った握り飯が入っていたのである。それも2週間近くたっていたものだ。 ということは、このすいい、そして、戻しそう臭いのカビつき握り飯 とともに2週間過ごしていたことになる。 そう考えただけでも気分が悪くなるのに、物理的化学的にも、 気分の悪くなる要因があるのだ。でも、鞄は、水ぞうきんで、 しっかり吹けば臭いも残らず、捨てずに済んだのが、不幸中の幸いであった。 でも、あんだけ、気持ちの悪いもんでも、鼻をちかずけて何回も においでしまうのはなぜだろうか。 まあ、おならや、靴下の臭いなどは、後の気分の悪さが長引くことはない からいいのだが、今回のそれは、冗談では済まされないほどに、 その気持ちの悪さは尾に引くのである。その日と翌日は、 気分の悪さで、何にもやる気にならない日々であった。
1996/12/28: いよいよ年末も近い今日。一方のしごとおさめもすること となる。この時期になると、気になるのが、年末特番であるが、 今日はその収穫が、一つあった。「ノック」の一本じめである。 一本じめは、たしか、「ヨーッ、ポン」と一階だけ叩いて締めるものだったが、 「ノック」のはちがう。「ヨーッ、」そのあとは、「ぱちぱちぱちぱち」 と拍手が続く。まさにそれを、板東英治、月亭八方の司会の番組の 最後の最後で披露した。(当然、その時のゲストはノックである。) なかなか、わらわしおんな、といわせた素晴らしい番組であった。
1996/12/27: 今日は研究室の大掃除とその完了祝いを兼ねた 忘年会が行なわれた。それの続きの語り合いの中で、N君が 酒を飲むと自分が制御できない状態に陥っていく様子を見ることができたのは、 今日というより今年の最大の収穫ではなかっただろうか。 それと、私の素晴らしいギャグの理解者が研究室に現れたということも 特筆すべき事実である。(とし明けたら「何のこと?」といわれないことを 切に祈る次第である) それからカラオケを歌ったことを書き加えておく。
1996/12/26: 一週間前の鍋の材料の残りで、90%野菜の水だきをした。 すぐはらへるなあ。おいしかったけど。それにしても京都の夜は寒い。
1996/12/25: ケーキをクイ損ねた。機能のひがみがたたったのだろうか。 あとのカラオケでのYAHYAHYAHのひどい歌いようは、要反省だ。
1996/12/24: クリスマスイブ?そんな概念は導入された覚えがない。 しかし、この日の夜はよう冷えた。
1996/12/23: 今時のカラープリンタはやすい。こんなぐらいで手にはいる のかと目をみはるものがある。「フレンドリー」で食事。 あの値段であれぐらいしか出せないのかと、少々幻滅であった。
1996/12/22: 生徒に「洒落」の能力は伝授できただろうか。
1996/12/21: 例の病気を発病させるような事実があった。 でも、まだ発病していない。
1996/12/20:今日は鍋の日であった。震災のときの余り物のカセットコンロ をもらった記念に鍋をやったということだ。ちょっと大目に野菜をかい過ぎて 残ってしまうか々かが心配であったが、案の定そうであった。 まあ、後々の楽しみが増えただけ良かったのかも知れないが。 この鍋の最中に、素晴らしいギャグが頻発したのであるが、 記録ができていない上に、思い出すことができないで困っている。 物事を思い出す時には、その順序に理由があった時には、容易に思い出せる ものだが、この場合にそれには当てはまらない。 非常に残念であった。「ギャグ」のページが増大することまちがなしだったのに。
1996/12/19:いま、Usenet boyが熱い。話は変わって、 体が調子をいわしているといきには、油っこいものは避けた方が良いようだ。 今でも胃がもたれている。
1996/12/18:ほんのコピーというのは時間のかかるものだ。 気がつかないうちに30分、1時間が経過している。
1996/12/17:体の調子が悪いからといっておおぐいするのは、かえって、 体に良くないらしい。身を持って経験した。
1996/12/16:遅々として進まないもの。たくさんありますね。
1996/12/15: 家庭教師先の犬のナキゴエの主要ないみは、 一体何か、掴みかねている。先週の出来事を考えると、 主人に会えたことへの喜びを表しているのかと思いきや、 今週は、その推論では、説明できない事象を体験した。 私が門の前に立つ。いぬが近寄ってくる。 門ぴをあける。軽く吠える。 しかし、それから、ドアがあくまでだまったまま。 そのあと、ドアが開き、主人がでてきても、ほえずに、尻尾を振り回して 喜んでいるだけ。一体どういうことだ。 それと、近所の小学校低学年程度の子どもが遊んでいる声のなかで、 「うんち!」ということばが連発されている場面が多数あった。 やはり、 私の唱えている、 「スカトロネタは、子ども必笑」説 をまさに裏付けるものであった。
1996/12/14: 新快速ののり心地はいかが。 ちなみに、今日のぼくのばあいは。前に、オジサンと若いけど、ちょっと太めの 若い彼女がすわっている状況で、30分を過ごした。 結局、彼らの関係が良くわからないうちに、大阪に到着。 新快速のノリ心地は?であった。
1996/12/13: 忘年会の翌朝は、 ボウッとしている。決して、 「尼崎センタープール」にいってボートしてきたから、塚口温泉で「ボーっと」 しているわけではない。
1996/12/12 :今日は忘年会の2次会としてカラオケを行なった。 N氏は、「このホームページで以前、シャ乱Qを歌い損ねたことを嘆いていた」 といったのだがどうも思い出せない。瀬の真偽はともかくとして、結局 歌ってしまったのだが。しかし、悔やむらくは、杉良の「飛翔」を歌えなかった ことである。
1996/12/11 : 生協の夕飯。ご飯に生卵をつけるのが続いたので、 今日早めようと決心し、つけなかったのだが、ご飯が余ってしまい、 こまってしまった。やはりの間卵は外せないか。
1996/12/10:あめがふっていた。てんきよほうによるとあすまでには あがるようだが、ふゆのあめはきつい。つめたいからである。
1996/12/9:きょうはぜみがちゅうしであった。バスのかいすうけん がなくなったのでかいかえたが、こんかいはへりかたがずいぶんはやい。
1996/12/8:家庭教師先の犬は、一体何を考えているのかわからん。 俺に向かっては吠えないくせに、家の人に向かって吠える。 一体どういうことだ?
1996/12/7:深夜型になっている生活スタイルは改めることが容易では ないらしい。ちょっと油断すると、朝になる。
1996/12/6:久しぶりにカラオケに興じる。また、冬の夜の寒さをまともに 体験したところであった。
1996/12/5:今日の晩ご飯は、お好み焼きと、ラーメン。当初はお好み焼き だけであったが、ラーメンが加わった。衝動がいならぬ、衝動ぐいという奴だ。
1996/12/4:最近油っこいもんを食うと、腹の中のりょうが多い時には 「えづいて」しまう。うぇ、うぇ。
1996/12/3:ヨフカシは、万病の元か?なぞである。 ただ、起きるのが遅くなるため、公共期間を利用する時間が短くなる という大きな欠点がある。
1996/12/2:きょうはめしにこまった。
1996/12/1: 暦も変わった今日、 季節もこれに合わせて変わってしまったようだ。 雪が降ったのである。特に京都は念入りとである。 雪といえば、犬は喜び庭駆け回るところのものだが、 早朝を京都ですごすものに とっては、そんなに楽しんでばかりいられるものではない。 何しろ寒いのである。その尋常でない寒さの体験を強要されるのである。 困ったことだ。 しかし、このゆき、翌日になれば、太陽の熱により、蒸発してしまって、 少なくとも私の下宿の周りでは、「うきうき」するような 雪の情景が見ることができなくなっていた。 その割には、寒さだけちゃっかり残ってしまっているのである。
1996/11/30:いよいよ寒さもたけなわ。こういうときに、 ミニバイクで出かける時は、皮じゃんである。ちょっとでも スピードが出るとその違いがはっきりわかる。 少々重たいが、大変重宝するものである。
1996/11/28 今日も餃子ラーメン飯セットであった。いかんいかんと思い ながら、「ラーメンと餃子」食いたさについついその誘惑に負けてしまうのだった。 話はかわるが、最近深夜枠で見られるCM、ビデオ販売店「バスター」。 そのままの表現。汚れの落ち。どれをとっても、気に入らないわけにはいかないもの であるが、不満がないわけではない。それは、ストレートに表現し過ぎている所で ある。少しは、予想を裏切ってくれることも含めて欲しかった。 でも、この手のCMでそんな下手な小細工をすると、 みるも無惨のものになることは、日を見るより明らかなことであるから、 そこまで望むのは、無理というものであろう。
1996/11/27 今日はバスに乗ったが、この間乗った時(土曜) のことを考えればこのすいた客席は嘘のようである。
1996/11/26 日頃のふせっせいがたたったのか。風邪気味である。
1996/11/25 :どうも、目の前のウスカワのような壁が破れない。 更に厄介なことに、その危機的状況が、いい方の効果になっていないのだ。 むむ。腰を据えながら、全速力を出す。この相矛盾した要求を実現しなければ いけないのが今の状況だ。 関係ないが、今日の晩飯は、ラーメンと餃子と飯だった。 この「餃子」というメニューからわかるように、 東京ラーメン で食したものではない。ある交差点の辺のラーメンやで食ったものだ。 最近、ラーメンを食う店としてその店にいくことが続いている。 東京ラーメンのあっさり系のスープとは対照的なスープというのにである。 取り付かれたようにそのスープを楽しむようになっている自分が少し恐い。 東京ラーメンは悪くないのだが、最近はこてこてに拘りたいのだ。 話は少しそれるが、東京では、やはりあっさり系のラーメンが主流なのだろうか。 わたしは、T秀のラーメン(スープが生臭かった) の記憶しかないので、良く知らんのだが。「東京ラーメン」 は、結構いいせんいっていると思うのだが、「東京」のラーメン事情が気になる。 それにしても、東京ラーメンのメニュー拡充は何とかならないかと思う 。 そうすれば、親父との心のコミュニケーションしたさ以上の欲求で (ヨッキュンではない) 訪れることも多くなるのにと思う今日でもあった。
1996/11/24 :ダラダラとついやってしまうのが、最近の行動で 困った所である。ここは、ピシッとするために、 長期目標だけでなく、身近に迫る短期目標を細かく設けて 活動するのがよし。そのことの実例を学んだ一日であった。
1996/11/23 :寒い。特に朝方が、下半身に答える寒さをあたえる。 やはりここは京都ということで、尼崎の比ではないのか。
1996/11/22 :11月祭って、意外におとなしいのね。ということばを 連想するほどに静かな印象を持ってしまう学園祭だが、 開催の時間を外して時計台のそばを通っているからだけなのだろうが。 でも、物足りなげな女性2人組(若いのから年寄りまで)が結構うろうろ していたのが印象的であった。
1996/11/21 : LNCS検索エンジンのおかげで、めくら滅法に 探す必要がなく、助かる。しかし、題名からは推測されない 要素も多く、その苦労が根本的に解消されるわけではない。
1996/11/20 : どうも頭が熱っぽい。最近、周りに鼻のすする音および 風邪をこじらせたという話を良く聞くのだが、それが自分にも降り掛かってきた というのだろうか。家庭教師先もかぜをひいているというし。
1996/11/19 : 東映ウズマサ映画村ならびに人体の不思議展を賞味する。 映画村は、相変わらずのテンポでやっていたが、それが、 ほとんど眠っていない頭に心地よい触覚となって伝わってきた。 その結果、あの入口付近で延々と往復している変な、忍者も 「高橋秀樹」の桃太郎侍のようにすばらしいものに見えてきたから不思議である。 その後の人体の不思議展は、そのテンションの高さも手伝って、 気持ち悪さは吹きとんでしまい、大したものに思えなくなったのが 残念であった。しかし、それをそう感じさせるのに大いに貢献したことが もう一つあったということが実はあった。 我々の後に位置していた、ちょっと、弾けた風のカップルである。 彼らは、(特に女子の方が)やたらと、男性性器の話をするのである。 と、いうか、「金玉」に執着していたのであった。 そういうわけで、普通に感動することを忘れてしまったのであった。
1996/11/18 : 今日は、ばん飯は焼肉だった。そのために朝から飯を抜いて いたのだ。というのは、うそである。
1996/11/17 :今日は、参議院議員補欠選挙の日。大変盛り上がらないその 選挙は、最初に立候補したなぞの人のなぞを、謎にしたままその幕を閉じた。 結果は聞くまでもなく、もと副知事。ニュース速報でちょっと知らされて、 ほとんどそれきりにしたいという感覚である。これは、やはり時期が悪過ぎるということか。 (選挙はいきましたよ。) その選挙の投票所で、気を切ったものを象に見立てた置物を発見した。 そこには、「ここには、入ってはいけないゾウ」と。何かもの悲しいものを感じた。 夜。京都への返りの京阪電車特急で、 雑誌INSIDERの編集長のような顔を持つ おなごを目撃する。明日は、ホームランがうてそうな気分になれた。
1996/11/16:憂鬱な気分で過ごした一日であった。 朝晩の寒さ。それをしのぐ道具は。こたつぶとんと電気毛布。 なんとかせにゃな。
1996/11/15: 午後1時すぎの東京ラーメンは、混んでいる。しかし、 周りのそうでもないもなかった。しかし、ラーメンと他の定食のギャップは、 簡単に方針転換できるほどに小さくはない。ということで、まわりの 食堂はパスをして、ラーメンを食することのできる所まで、 進んでしまうのである。結局今日もそうなってしまった。 ところで、「キッズガム」という商品。白黒ではあるが、立派なビデオカメラ であるという。そんなに安くでそういうものが作れるのか、と感心することになる。
1996/11/14:「急に、寒うなりましたな。」「そりゃ、ふゆですもん」 そんな会話もチラホラと聞かれる季節になりました。 というか、不意にそれがやってきたというかんじか。 寒いといえば、一昨日ぐらいに報告した、「愛の嵐」についてだが、 「月曜から金曜日の帯枠での再放送」といっていたのは、違うようだ。 今日、木曜日に関しては、「やっていない」という報告を受けた。 代わりにやっているのは、「マイト(時には娼婦のように、の黒沢年男)」と ジュディーオングのつとめるテレビショッピング番組が入っていたようだ。 (関係ないが、テレショップの出演ギャラは、相当いいらしい。 だから、よほどの理由がない限り、出演は、拒否されないのだ。 やしきたかじんなる人物は、そ「よほどの理由」を持っていて、 出演依頼をかたくなに拒否しているという。 それは、「電化製品マニア」の彼としては、ろくな商品の分析もしないで、 べたぼめする!というのは、彼のポリシーに矛盾するということである。 エンターテイメントとしてのテレショップを楽しむつもりでいる、 このことを改めて、私も 肝に銘じておく必要があるようだ。)
1996/11/13:今日は、寒過ぎる。昨日までの温暖な気候を思い出すと 虚しくなるぐらいに、寒過ぎるのだ。冬が来るのは仕方がないが、 何の準備をする期間を与えられることなく突然こられてもこまるなあ。
1996/11/12:「愛の嵐」が再放送される。昨日の疑問は、そういうことであった。 これで、 「まぬけたけし(3代いるたけし役の真中の世代の人のこと。のこり2人に 比べて、間抜けであるという特徴がある。なお、この世代のヒロイン・ひかる 役の小川範子も彼とのキスシーンは、いやだったということを のちに出演したあるトーク番組で告白している。)」が、 「ウォーリー軍曹」が、誰か、ということが あきらかになろう。 (毎週月曜から金曜朝の10時から1時間、19チャンネルテレビ大阪にて。) 夜食に買った弁当が油っぽくて何か胸が焼けた。
1996/11/11 :兄から電話。「明日の新聞のテレビ欄をすみからすみまで みよ。」というなぞの内容の伝言を伝え、切ってしまった。 一体何があるんやろうか?興味しんしんである。(…丸といわないだけまし である。)
1996/11/10 :福知山線ののぼり列車、いつも道場駅からのってくる 酒臭い登山のスタイルをした中年の男女の集団。 必ずといっていいほどのり会わせるのだ。 そして、いつもが気のように騒いで見せるのである。 でも、乗ってくる車両が決まっているので、乗車する車両を替えれば、 その被害に合わなくてすむのだから、そうすればよい。 それをしないで文句をいう私は、「頑固」なんやろうか。 (それとも、ただのあほ?)
1996/11/9 :今朝、 ビデオのチューナーが壊れた。このビデオを購入して5年は経つが、 もう壊れる時期にあたるのだろう。修理用の部品保存期間が7年ということもある。 しかし、テレビにリモコンがないので、ビデオのチューナーが壊れるというのは、 不便を強いられることになるのである。 しかし、現在使用しているテレビは、ズウタイがでかい割には、 でかめの液晶テレビぐらいの画面しかないので、そろそろ、 映像に映し出された字幕をちゃんの認識するためにも、せめて14インチの テレビ受像機も手に入れたいとも思っていた時なのである。 これは、大きな出費を強いられることになるのか。
1996/11/8 :腹にガスが溜った時に、安心して放出する場所を確保する ことは大変重要なことである。 生協で、降ろしトンカツを食う。やはり、あげたてではないその味は、 低めの上限を必然的にその味にかすることになる。 もうちょっとまって、あそこで食えば良かったと少々後悔した。
1996/11/7 :第2次橋本内閣誕生。見せてもらおか、その本気さを、という ところであろうか。それでも、「環境大臣」は、朝日ソーラー「西田敏行」 である。 はらけんは、死ぬまでやる、ということらしいが、 何をやってくれるのだろうか。 また、JR東西線の「オイラン列車」走行の話題も。 いよいよ試験走行も近いということである。
1996/11/6 :電車の椅子、特に阪急の京都線の特急の椅子で、 隣に馬鹿でっかい体格の人がのり会わせてきた時は、たいへんである。 いわゆる「ロマンスシート」のところでは、逃げ場がないだけにことは 深刻である。補助椅子でも、なんかケツの半分しか座っていない気がして、 すごく損した気分になるのである。
1996/11/5 :蛍光灯の光よりは、やはり、電球の光の方がやさしい。
1996/11/4 :つい最近、東京に転勤した友達が、この連休を利用して 帰ってきたという。早速、このホームページを見ているという数少ないひとの 一人である友達と お誘い合わせの上、ダベリもかねて、 先方の希望に合わせ、カラオケに興じたのだが、どうも、歌の題名が(私が) 浮かばない。いつも以上のその傾向に悩んだ。何とかしたいものだ。 いつもなら半日ぐらいかけて楽しむのだが、今日はすべてを併せて3時間と いうコンパクトな会になった。まあ今日に限ってはこちらの都合にも良い ことであったが、いろいろな制限がなければ、もっと長い時間をかけて 語らいを持ちたかったと思う。
1996/11/3 :三田ではルーズソックスの女子は見ない。あそこはやはり田舎 なのだろうか。でも、かえってそれの方が心地よいと思うので、このままで あって欲しいと思った。某サントリーのCMで、女教師がルーズソックスを はいてきて、生徒に共感を得られる、というものがあったが、 ぞっとするのは私だけだろうか。
1996/11/2 :久しぶりにからあげ定食を食う。うまかった。 あれはたまには食うもんである。それはそれとして、家庭教師先の生徒が ヨダレに気づかないぐらい眠たそうにしていた。気合いがたらんなあ。
1996/11/1 :東京ラーメン以外のラーメンやに浮気する。 だから調子が悪かったのかも知れない。気力という気力にかけた 一日であった。
1996/10/31 :蒸し暑い。こんな季節に蒸し暑さを感じるのは、 まいったことである。未明に京大の吉田寮の横のクラブハウスが焼けたようで ある。
1996/10/30 :今日は水曜日だが、家にこもりきりである。その割には作業が 捗らない、うひ!
1996/10/29 : 久しぶりにとんかつ定食を食う。やはり好きなものは 好きである。うまかった。
1996/10/28 :すこぶる調子が悪い。そんな調子だから、雨が、パラつき はじめたのだ。でもすぐやんだ。
1996/10/27 :日曜日。昨日ビデオでまとめ見たテレビショッピングに 楽しさを見つけられないで終ってしまったことに、 煮え切れないものを残しながら寝入ったせいか、 めざめがすこぶる悪い。しっかりしなければ。そういい聞かせながら、 一日が始まった。
1996/10/26 :早朝の朝まで生テレビ。今日はちゃんと見ようとしたのだが、 結局テレビ付けっぱなしで寝入る。内容も覚えていないし、今日1日のずいぶん あとまで、頭がおもい状態が続いた。踏んだり蹴ったりだ。
1996/10/25 :意に反することを書かされる時に、断れない時の恐怖。
1996/10/24 :ノートパソコンが重い。使えば使うほど感じる。
1996/10/23 :使いなれていない部分の頭を使うとつかれる。
1996/10/22 :昼の東京ラーメンは混んでいる。少しずらす必要があるな。
1996/10/21 :やはりというか、どうしようもないというか。 今日の目覚めは悪い。
1996/10/20 :6割のらない投票率。何とかならないだろうか。 政治のことをわざと無視しているんとちゃうか?文句ばっかりいうくせに。
1996/10/19 :久しぶりに、東京ラーメン、と洒落込もうとしたが、 いっぱい。今回は、見送る。って、前にもそんなことなかったけ。
1996/10/18 :携帯ステレオカセットプレイヤーを寺町で買う。 某電気店で5000円も損をしたといういたい経験から、慎重に 選ぶことにした。おそらく、今回は損をしていないと思うが どうだろうか。
1996/10/17 :夕日が赤い。窓から差し込む夕日の光が、 色つきの弱いスポットライトのように壁の一角に色を染めている。
1996/10/16 : 最近、東京ラーメンより生協中央食堂の醤油ラーメン を食することが多くなった。うーん、何か、あの細めんが、いいねえ、 とおもうことになりつつある。
1996/10/15 : ラーメンとお好み焼き、結局、後者を食したが、 今になってもどっちが良かったのかわからない。 (そんなことを悩む必要がどこにあるのか、という気もする。)
1996/10/14 : 今日も雨。ゼミの中止。困ったもんだ。
1996/10/13 : 田舎のいとこの息子も楽しんでいるという 6チャンネルの番組を楽しみながら飯を食う。 笑いの予定調和というものだろうか。笑いのつぼにうまくシンクロして 心地のよい馬鹿笑い状態に導いてくれるのだ。
1996/10/12 : 秋雨前線が停滞しているとかで、このところぐずついた天気が 続いている。こういう時は傘をちゃんと持っていかなければ、と おもって持っていくと、鞄の中にも別の(折り畳み)傘が。
1996/10/11 : ひとり、もの思いにフケる。
1996/10/10 : 体育の日について考察を試みようか。 体育、どうよんでも、「たいく」である。 体育の非とか。 近所の小学校には、どんな政治家がきたことやら。 ともかく、自分の選挙区の候補者ぐらいはチェックしておくか。
1996/10/9 : JR難波の駅は儲かっているのだろうか。 きれいにそして大きくなった分、人が疎らに見えて、そんないらぬ心配を 思いついてしまう。よっぽど実家の最寄り駅の方が人が疎らやのにねえ。 (でも、右の小指だけ爪をのばしている駅員もおらんし。
1996/10/8 : 夜に「漸時」にあう。その時のボーリングにおいて、 助走路の摩擦が大き過ぎるわ、ピンの直前のレーンが真中が盛り上がって いるとしか思えない球跡を描くわで、あまりにも素晴らしい成績を 修めることになったことと、 王将でとりのから揚げを注文する時は、 三和商店街->おおきいぞ。 大阪空港->写真にだまされるな。 という表現で見られる量が期待できることを気がつかせられた。 「おお過ぎる」と予想して、2人でからあげ1人前にしたのは、 おお間違いだったのだ。 また、ラムネなる飲料の容赦ない炭酸の攻撃と、 クリームメロンソーダなる飲料の相変わらずのすごい味に、 子どものころ決ってねだっていたのはなぜだったのかということを 眉間に指を当てて考え込むこと数10秒であった。
1996/10/7 : 飯は食った方が良い。一日のやる気が違ってくる。
1996/10/6 : 相変わらず、有馬ヘルスセンターのポスターは派手である。 今日は、そのポスターの中で、中村梅月の「どじょうすくい」は「梅月流」 なる1つの流派のものであることを発見した。嬉しいことである。 そういえば、平日の午後11時からテレビ大阪でやっている ワールドビジネスサテライトは、かの個性的顔の持ち主であった 野中ともよが諸般の事情により番組を降板したのは、夕刊誌などからの 情報で知ってはいるが、そのアトガマはだれなんだろうか。 残念ながら、サブキャスターと僕が信じていた局アナとは信じ難い 派手さを誇った 岡山玲子は違うようである。(敬称略)
1996/10/5 : 夜はあれほど肌寒いというのに、何で昼間は汗ばむんだ? といいたくなるような気候である。
1996/10/4 : 今日は、新入生の歓迎会ということで、O先生のトークも、 いつもより磨きがかかっているように思えた。それよりなにより、 歓迎会と称した飲み会である。酒を飲んでもビールいっぱいで 酒特有の気持ち良さは十分に満喫できる私にとっては、 いかにその酒代に見合う食いものを摂取するのか、というところに 焦点が当てられるのである。まずは、テーブルに割り当てられる 飯については割り当て以上の飯は食ったのであったが、 その1次会が終りにちかづこうとしたころ、やっと他の席の「のこりもの」 にありつけることになった。「しかし!」しかし、である。 どうも、思うように食が進まない。何か口が重いのである。 「口内炎」がないかいも口を開閉させるのを遮っているのであった。 「食いたい!」という願望は、死ぬほどあるのに、ニジミ出るような あのいたさは、いかんともし難いものがある。うんーん、マトモな生活を しておけば良かった、と思ったのは、その時であった。
1996/10/3 : 体の調子が悪い。外は雨がちなので、散歩にもいけない。 (行く気もない?)いう理由で家でしんでいた。
1996/10/2 : 日本橋へ向かう。平日だというのに、人が多い。困ったことだ。
1996/10/1 : モーニングなるものを食した。多少高い気がするが、自分で準備する必要がないのはやはり気持ちのいいことだ。
1996/9/30 : 遂に先に修理に出していたノートパソコンが、舞戻って「きていた」。 というのは、既に27日金曜日に下宿に届いていたのだが、 「大会」のために不在だったので、1階のおばさんが預ってくれていたのだ。 もうちょっとかかるという予想だったのが意外に早く ものってきたので、嬉しかった。
1996/9/29 : 家庭教師先のいぬがいつの間にかでかくなっていた。 しかし、先週とは違い、吠えられることはなかったので、 ちょっとは「なれた」のだろうか。 思えば1年3カ月ぐらい前にこのいぬとはじめてあった時は、 やたらと前足で「股間」を攻撃してくるという奇妙な習性を あらわしてくれていたことが懐かしい。 しかし、相変わらず、女子高生は、ルーズソックスだ。
1996/9/28 : 東京在住の友達のところで「朝生」をみながら、 眠りについてしまったために、起きた時間は10時近くになっていた。 それから中身の薄いことをいくつかこなすと、すでに、指定席をとった 新幹線の出る時刻に2時間と迫る時間になっていた。 もうすこしこの辺をうろうろをしようと思っていたのだが、 そうもいかない。見学程度にそれをして、新幹線にのることになった。 しかし、このホームページの読者を1人増やすことができたことは、 これ以上ない喜びである。
1996/9/27 : 今日は発表ということで、セリフを見直す。 読めば読むほど、替えたくなってくるのが情けというものだ。 結局セリフをつくって覚えたとしても、このように変更していくのであるから、 なかなか覚えようという気にならないから困ったものだ。 発表の前のセッションはマトモに聞くことができなかった。 だから、最後の最後というのは損なのである。と、ひとりぶつぶついうことは しなかったが、心で思っていたからにたようなものだ。 発表は、少ない人数が更に少なくなった所でおこなった。 うーむ。 つくばから、東京へ向かうバスの中で「衆議院解散」のニュースを聞く。 わかっていたことであるが、なかなか興味ぶかいネタである。 選挙権の行使とは、なかなかそれでぞくぞくする行為に思えてくる。 選挙権を放棄して文句ばかりいうのは、やはり違うのではないかと思う。
1996/9/26 : 筑波と土浦の間のバス賃は480円である。 なかなか高い。ただし、ビジネスホテルに近い「桜町3丁目」でおりると 440円ですんだ。最初からわかっていれば、と悔しい思いをする。 昨日のよるに駅周辺をうろうろとしたが、 どうも夜8時以降はマトモな店がない。本屋は1軒、コンビニエンスは3軒 ほどあったが、ほかは、「ちょっと、にいちゃん・・」のまちである。 やたらその店が多いことに奇妙さを感じたものであったが、 朝におきてみると、そのなまめかしい照明がないせいか、 そんなことはすっかり忘れてしまっていた。 「研究交流センター」の横はつくば一の電気街ということだが、 ゆうほどあるものではない。しかし、それなりの安さ、品揃えをしていた ので、暇潰しにはぴったりであった。 暇潰しついでに携帯ラジオを買ってしまった。 会議の帰りし、昨日も乗ったバスに「揺られて」土浦へ向かう。 「バスというのは、こんなに上下運動を感じるのか。」と、あらためて感じる。 しかし、郊外路線なので結構スピードが早いこととあわせて、 板張りの床、フルそうな車体、そういうものを眺めていると ここならではの事情のようにも思えてきた。 「ビジネスホテル」に戻ってきた時、「古めかしいな」 いう必要もないことを再び口にしてしまった自分にはっとする。
1996/9/25 : 新幹線に久しぶりに乗る。指定席に拘ったために 切符を買ってから乗車するまでに1時間30分も空いてしまった。 その席もたった一つだけ残っていたという代物らしい。 「3列の真中ですがいいですか?」という窓口の人の心配の声もあったが、 それは幸いにも外れた。とった席の列は車椅子用に2・2列になっていたのだ。 それで、通路側の席にあいなったのである。 土浦の私が泊まったビジネスホテルは、なかなか歴史を感じさせる所であった。 ユニットバスは、少しすき間ができていたりしていたが、 別にししょうがなかったので、問題はなかった。 ただ、洗面具などが別売りであったので、(宿泊費が安いことで) 得した気分になれないのが残念である。
1996/9/24 : 昨日の寝方がよっぽど良くなかったのか、どうも体がだるい。 尿も今日は妙に濃い(平仮名でかいてみよう)。 世間でも良くない報告があった。「笑福亭松葉」と「藤本弘」の死である (仮面ライダーの1字違いだ)。 「松葉」の方は、以前から「右ほほの腫れ」という兆候があり、 「弘」の方は、全く面に出てこず、最後に見た時の姿形も、顔色が悪く、痩せこけていたものであったので、なんとなくの予感があったのであるが、 同時期にしなれるとやはり驚きを持ってその事実をとらえざるを得ない。 また、それぞれの人が、「松葉」は「7代目松鶴」問題、 「弘」は「ドラえもん」の続きはどうなるという問題を それぞれ抱えているということも見逃せないことである。 (ドラえもんは、少なくとも 再放送の比率がめちゃたかいテレビには影響がない。などといってはいけない。) 明日、私は、旅に出ます、というのに。つらいことだ。
1996/9/23 : 高校からの友達に会う。ボーリングで連勝したので、気分が良かったのだが、カラオケで思うようにうまくうたえないことにショックをきんじえなかった。(なせばなる、なにごとも。何故か知らないけど。) これも「丸美焼肉」のせいだ(うそ)。
1996/9/22 : 三田にいく。三田の高校生も相変わらずだ。
1996/9/21 : なんか、ツカレがドットデタ一日であった。
1996/9/20 : 旧型車両(気動車急行)の便所は臭かった。何とかならないものか。また、値段が高い食いものがいつも食欲を含めた満足感を与えるとは限らないことに気がつかされる場面もあった。そう「堂林苦」「前半説明的、後半標語的な標語看板」も収穫であった。
1996/9/19 : 昨日の小室てつやの講演を思い出しながらもの真似のエキスを取り出そうとするが失敗した。今日は、我々の発表であったが、やはりこの会議ではひじょうにユニークな内容の発表になってしまったようである。それにしても「ベストコンディションラーメン」「ジャストトライラーメン」という、初目には笑いをとっているとしか思えないネーミングのラーメンを売っている店もはいってみて親父のその事情を聞くと意外に真面目なことだということがわかった。しかし、この店にはいらない多くの通行人にはどれほどその感動が伝わるかどうかは疑問である。 それと、全国で唯一と思われる(私が経験した中ではであるが) 「200円で玉を買うより500円で玉を買う方が損になる射的ゲーム専門店、二いちゃん、500円玉の両替はできへんで」と表現できる所が、岐阜の繁華街、柳ヶ瀬にあったことは特筆すべき事実である。
1996/9/18 : 岐阜へたつ。しかし、意外に岐阜は近かった。岐阜駅は効果(高架)工事がほぼ完成していたが、なんとなく新幹線の駅に見えたのは気のせいだろうか。
1996/9/17 : 「ルネ」で食事。なぜかからあげラーメンがない。仕方がないのでからあげレイメンにする。それだけかと思えば、まだ仕打が。レジで若いねえちゃんが会計をしたのだが、私のレシートを何故か片手で握りつぶしかけるのである。「欲しいのですが。」と丁重に申し出ると何事もなかったようにそのレシートのしわを伸ばしながら渡して「いただけた」。困ったものだ。(こんな所で書いてもしょああないか)
1996/9/16 : 「薫の秘話」なる漫画の第1巻を大阪京橋の本屋で見つける。この本屋の漫画は最近はやりのビニール本(て古いな)タイプではないので、大抵の本は中身をじっくり確認してから買うのだが、中身も見ずにソッコウレジいきであった。
1996/9/15 : テレビショッピングのビデオを見逃した。悔しい。
1996/9/14 : 昼間は暑く、夜は寒い。こういう気候は体に良くない。気のせいか体の調子がいまいち良くないのだ。
1996/9/13 : 今日は、辛い秋雨だ。季節もちょうど寒くなりなけていることもそれを辛くしているという原因だ。13日の金曜日であった。送別会あり。カラオケは3曲に一辺ぐらい回らないとねえ。
1996/9/12 : 最近本をマトモに読んでいないことに気がついた。こういう時はやはり「文庫本」だろう。
1996/9/11 : note computerを修理にだした。いつ返ってくるんだろう。それにしても部屋が汚い。それよりも、あのノートの起動時に「遠山の金さん捕物帳」のopeningの「バン、ババババババババン」という所が聞こえなくてかなしい。
1996/9/10 : notebook computerの音源がいかれた。いつもあるものがないと、想像以上に苦労するものだ。
1996/9/9 : 中華料理屋「白水」へいく。もっと親父と話したい。
1996/9/8 : 夜のAMラジオは韓国語放送が混じって困る。尼崎ではそんなことなかったのに。
1996/9/7 : 久しぶりに吉本新喜劇を見る。久しぶりに声をあげて笑った。
1996/9/6 : 今日は、寿司を食いにいった。高槻の大松すしという所だが、なかなか、いきかえりのドライブも含めて良かったよ。
1996/9/5 : 今日はチェックペンを買いにいってきた。自分のではないのであるが、その弱点というものを発見してしまった。一度チェック消しペンを使うと二度と色が付けられないのだ。
1996/9/4 : 昼夜逆転の状態とはこれいかに。やってみればなかなか辛いものがある。
1996/9/3 : 涼しさのポイントは換気扇だ、が、今の季節あまり夏の気分で換気扇付けっぱなしで寝ていると朝にひどいめに合うという可能性がある。友達からの電話で「小林昭二」の死を初めて知らされた。そして、藤岡弘が私生活でも「おやっさん」と呼んでいたことも明らかになった。
1996/9/2 : ついに、市バスの運賃の値上げを身をもって経験した。昨日からは、既に手持ちの回数券1枚だけでは素直に降ろしてくれない。更に20円必要なのだ。
1996/9/1 : 日曜日のつきはじめは、何かつきはじめのような気がしない。でも、さすがに9月だ、昼間あれだけ汗ばんだのに夕方になると肌寒く感じる。
1996/8/31 : 暑いぞ。久しぶりの夏日だ。そして8月も終り。
1996/8/30 : 目の前に大量の食い物があるのにも関わらず、食えない状態ほど辛い状態はない。
1996/8/29 : あれだけ雨がふりそうにも関わらず、傘を持っていかないという暴挙にでた。結果は、ずぶぬれであった。
1996/8/28 : かいわれを食った。(最近までは、羽曳野の業者のかいわれからO157がでたという説がながれていて店にも並んでなかったのだ。)
1996/8/27 : 以前に つれづれに書いた記事「鮫の軟骨ヘルシーステーション」 の実物を見たと F氏から。また人に絶大なる感動を与えてしまったのかと悦に入る。 四条でとんかつくってうまかった。(馬と豚の競争の不確実さを表す文言)
1996/8/26 : 雄山の喋り方。「何というあさましい文章だ。まるで文と句読点のバランスがとれていない。こんなげすな文章を二度と私の前に出すな。」冗談になっていない。アニメはましだが、漫画はロリロリである。生卵は、「都そば」の月見でも食べられる。
1996/8/25 : カレーの2連荘は、さすがにつらい。とくに濃い濃いニンニクまるごとカレーにつづくカレーはつらい。
1996/8/24 : カレーがくいたいと思う日々。
1996/8/23 : なにか、東京ラーメンを食った後むしょうに眠たくなって寝てしまい、起きると汗ぐっしょりであった。夜の散歩もいいものである。「なか卯」はモスバーガーグループだったとは。既に生卵はメニューから除外されていた。ただし、東京ラーメンでは可だ。
1996/8/22 : 残暑なるものを感じる日となった。
1996/8/21 : 苺フランスなるパンと、レモンティーの昼食はいかがなものか。
1996/8/20 : へと思って、本ものを出したのは、何年ぶりだろう。 留守電のテープが故障したのは、それの前兆か。(現在留守電話ストップ。) それにしても、アイドル天使ようこそようことともに売り出していたはずの 田中陽子はいったいどこへ?
1996/8/19 : 昔の漫画に新鮮なものを感じた。(大判小判)
1996/8/18 : なせばなる、何事も。何故か知らないけど。って、 なしても、なかなかならんこともあるぞ。(カラオケの採点)
1996/8/17 : 三田も最近人が多くなって来たなあ。
1996/8/16 : 大文字、ひとりでみても、おもしろない。
1996/8/15 : サンガリア体操をマスターしたい 今日この頃。(終戦記念日)
1996/8/14 : 台風の影響は今日より昨日の方が感じたのは、不思議どす。(それだけ、中心からは遠いということか?)
1996/8/13 : 宮城県北部を震源とするのあの多発地震は、 何を意味するのだろうか。台風による雨も気になる。
1996/8/12 : 大竹まことが死亡人身事故を起こしたらしいが、ああいう ことのあったあとのコメディアンのみの振り方はなかなか難しい問題である。
1996/8/11 : 深夜の電車に乗り遅れることほど、もの悲しいことはない。
1996/8/10 : 残暑は厳しくないが、かもメールを出すのを忘れてませんか?
1996/8/9 : 掃除というのは、やはり、普段からやっていないとしんどいものだ。 (下宿の掃除は?)
1996/8/8 : カイワレも、真偽のほどはわからないのに、 かいわれそうに(可哀想に、のつもり)。(O-157)
1996/8/7 : オンライン新聞報道によると 「寅さん」が死んだらしい。あんまり、顔出さんから、 健康状態も良くわからんかったからなあ。(芝政パットパットゴルフ、 プール・スケート場は、無料だよ!)
1996/8/6 : 夏の ウルトラセブンあらわる! なお、この詳細は、明らかにしない。
1996/8/5 : 久しぶりに快適な気候が訪れた。たまにあるからいいんですね スーパーフレッシュシリーズ「力いっぱい新鮮・夏」 も。
1996/8/4 : 実家の近所の猫に餌をやる奴は誰だ。だからマラソン男子日本ふがいない。
1996/8/3 : 美味しいからといって、充実野菜をのみ過ぎるには良くない。 充実どころか、しんどくなってしまった。
1996/8/2 : 夏は、(旨が)まぶしすぎた。(セブンイレブンいい気分) 夜は充実野菜で、闇に舞う蝶パピオン(両国予備校の山本陽子) のふがいない旦那役をやった秋野太作気分である。
1996/8/1 : 隣の奥さんと目が合う。(亭主は、同級生)
1996/7/31 : 夏だプールだ、海水浴だって、気軽にいえない今日この頃
1996/7/30 : 冷麺のおいしい季節
1996/7/29 : ビッグマンは、相変わらず混んでいた。
1996/7/28 : ふがいないなあ。日本は。
1996/7/27 : あついし、O-157やし。なんちゅう夏じゃ。
1996/7/26 : とんかつ定食だ、金曜日は、やはり。と、 それでも思う。