Kawakatu HP(dti) , Kawakatu HP(kaba), 桃色吐息

用語集

(用語は追加順の並べてある。より新しいのが最後になっている。)

あまりの内容の濃さに激しい驚きを催すページ(自分だけ)

その驚きと現実との差

この題目を見て、読者は、一体何を感じただろう。 その、あまりにも衝撃的な文言にあびきょうたんの声を空耳に覚えたに違いない。

しかし、その事実が物語るものは、以下にあげる一文が示すように、 全く予想とは違った。

このページの 内容は、ないよう。

内容の濃い、生き方とは?

真似のできそうでできない人生

この段落は、 一見すると、大衆に紛れて、平均的なことしかしていないと見えつつも、 その実は、 決して人の真似のできないことをしている、という 状態・状況を表記することに、その目的がある。

昨今の、暗黙りに行なわれている、いわゆるパクリというものが、 目にあまるものがあり、それにまた大衆がのってしまって、いい気分になって しまっているからである。これでは、決して、健全たる精神構造は構築される はずもないし、それ以前に、今の状態すら維持する体力を持ち合わせてい続ける ことすら不可能なくらいに、堕落の一途をたどることは、日を見るより明らかな のだ。

それにしても、まねしーの多さよ。 これでは、まるで、オリジナルのものを作るだけで、罪になり、 健全な生活を保証しないものとして、「諸悪の元凶」扱いされてしまうことが、 正しいかのようではないか!

これでは、進歩が罪悪のように思われ、現状維持が最良の状態になり、 進路の平均値をとれば、下方を向くことは、自ずから明らかなことである。

この状態のことを、世界の閉塞状況と呼び、 革命的な破壊なしでは、存続が危ぶまれる状況であることを意味するのである。

近況報告は、現在の人物像を与える手段としては、 もっとも、基本的かつ重要な手段であることを肝に命じておく必要が大いにある。

参考人生

参考人生途中下車法(100km以内)

参考用語

入水
水にはいること。とくに、海や湖などにはいって、 足の届かぬところまでいき、溺死することで、自らの命を断つことを 入水自殺という。ほかには、普通使われない。
100km以内の途中下車
JRの規則によれば、100キロいないの 乗車券は、途中下車してしまえば、その時に、切符は回収され、 再び乗り込むことは不可能である。上でいう「途中下車法(100km以内)」 は、それを比喩にして、「自殺」ということを 回りくどく表現したものである。
自転車のワイヤーの鍵
自転車が盗まれるのを防止するために、車輪にかけておく鍵で、 ワイヤーによるものである。
パクリ
大きな魚が小さな魚を丸飲みする様を想像して欲しい。 その小魚が、その時まで、築き上げてきたものすべてを一瞬のうち に、大きい魚が奪ってしまうという状況がそこにある。 その様から、転じて一所懸命に築き上げてきたものを横取りすることを 表す。
密告電話的に耳にはいるということ
密告電話というのは、そこで伝えられる情報の主体者に 知られないようにして、その主体者に不利益を与えるような 情報を、当局に伝える電話のことであるが、 これを比喩的に、「密告電話的に耳にはいってくる」 というように使われる時には、どういった意味になるか? 耳にはいってくるという言葉の主語は、おそらく 「密告」情報の主体者である。 さらに、その情報は、その主体者の利益を著しく損なうおそれのある情報である。 それが、直接耳にはいってくる、というのが、本来の意味からすれば、 矛盾しているが、この言葉の使用者としては、 「密告」に付随する「著しく不利益を与える情報」という意味に 特化して、使用していると思われる。
青山歴史村
青山歴史村というのは、もと篠山藩の藩主であった青山家の屋敷をそのまま 歴史博物館に仕立てあげたものである。 観光に篠山に来た人は、おそらく見逃してしまうであろうその存在は、 「美術館」と間違えて、訪れてしまわない限り、なかなか実感できない ものである。(ここで断っておくが、単に私を含んだ一団(3人)が そういうへまをおかしただけという、事実を、暴露しているだけであるという ことは、口が避けてもいってはならない事実である。) しかし、屋敷を解放した、青山家はどこにいったのだろうか? 青山歴史館においてその事実が得られたという記憶はないが、 ちゃんと老年ガイドさんについて、はいかんすれば、 明らかになるのかも知れない。これは、ぜひ、読者に確かめてもらいたい 事実である。ついでに、篠山に訪れた時に注意すべきことは、 「とろろそば」の種類である。実際に出されるとろろそばには、2種類あって、 本当にとろろをベースに少し汁を加えたものと、 逆に、普通のそばにとろろを加えたものがあるのである。 同じ店でそれが2つともあれば良いのだが、どうも、見せによって「とろろ そば」の解釈が違うようで、大抵の店にはどちらかしかないようである。 名誉の為に名前は伏せておくが、「篠山城跡」の駐車場に近い そば店は、後者のとろろそばを出すので注意が必要だ。
あじのある(ありすぎる)ラーメン屋「東京ラーメン」
この「あじのある」という句は「ラーメン」と「ラーメン屋」の 両方にかかっている。そこがまた、これの味をうむのである。
アクティ大阪
以前に、この「アクティ」を、「アクティブ」と表記していたことを 某F氏から指摘され、修正した。「あく、てぃぶ」だけに、 恥部(ちぶ)をさらけだしていたわけだ。
英一君
大映映画「ガメラ対ギャオス」で主役の少年。 ギャオスが現れて、その対策会議を科学者、政府の関係者が 集まって開いている時に、(どのような手段でかはわからないが) 侵入してきて、議長と動物学者とのやりとりに割り込みし、 (おそるべき新怪獣の分類について、動物学者が答えて いるあいだに!)

「ギャオスだよ!あの怪獣」と英一君。続けて、そのわけを話す。
「ギャオってゆうから、ギャオスだよ。」

話は、その時一瞬とまったが、そのまま別の人との話にうつる。 が、その前と後とでは、大きな違いがあった。
すでに、知っていた言葉のように「ギャオス」という言葉を 平気で使っているのである。(何となくこの状況は、結構みぢかに 見てたりするものだったりして。)
それやったら、大抵の怪獣は「ギャオス」やんけ! という突っ込み前の問題が山済みではあるまいか?

ちなみに、「英一君はガメラとツーカーか?」という疑問であるが、 英一君の名誉のために(って、いらんような気もするが) いっておくが、答えは、否、である。 ただ、映画中では、英一君の「ガメラ」を心配する一人ごとを いうたびに、ガメラの映像に切り替わっていたので、 ガメラの一部始終を知っているという錯覚におとしめられ、 それが高じて、「ツーカーである」というデマをはびこらしめた (ただし、私の頭の中だけ)のであろう。


坪君
フルネームは忘れたが、名字の完全なものは「大坪」である。 彼は、すでに職についているが、高校時代の、絵にかいたような わかりやすいりアクションは、いまだ、健在だろうか? しかし、わかりやすいということは、即ワザトらしいとられる 危険もはらんでいる・・・というレベルでは、あれの場合既になかった。 わざとらしいのである。そこで本人に、そのことをといた出したところ、 どうも本人は、普通にやっているのだという。 そういうことを、実感する機会があった。 それは、大学2年ぐらいの時にやった同窓会の時である。 彼もその時出席しており、その会の性質上どうしても酒が入るわけであるが、 かれは、そのとき、顔を、赤らめながら、台本でも読むかのように 私や、他のメンバーに絡んできたのである。
さすがに、そのときは、信じずにはおれないことに感じるには十分な条件を 提供してくれた、とおもった。
何が、彼をそうさせたのか、わからない。しかし、嫌いになれん奴だ。 (かもメールを出したら、便箋3枚ぐらいの手紙を返してくるし)
あるカンフー風お茶のCM
「あちゃ!あちゃ!」 というところをブルースルーまねしーのニイちゃんが、 「おちゃ!おちゃ!おちゃちゃちゃちゃ!」と画面にむかってしかけてくる、 いまや、CM界の伝説ともなった、CMである。 そのあとに、民謡調の「なにわえん」をうたった曲がかぶさってくるのが このCMの得点を一気に100倍にするところである。 (いっきといえば、その昔、「べかこのニュースいっき」というのが あったのを思い出した。) 私は、サンテレビ以外で見たことはないが、他ではやっているのだろうか?
学生が爆笑する ネタ
本格的に性が目覚める中学生以上の手前、 なぜか、排泄物系のねたで爆笑する時期があった。 まあ、大人でも結構喜んでいる人もいるが、 それとは、また違った次元の話というべきであろう。 うんこ、しっこ、それと、おしり、とうとう、 別にいやらしさを感じるというものではなく、いうだけで、 笑いという快感によいしれることができたものである。 心理学においては、いろいろと説があるようであるが、 どれが本当なのかということは、よくわからない。 そういうもんだ、心理学というものは。といわれればそれまでであるが。
「**セット」
**とは、その店の名前のことである。 たとえば、その店の名前が、神田典子であれば、 「神田典子セット」という名前になる。 このよう名前のセットは、大抵店の看板メニューであり、 量は多いし、値段もお得感のあるものがそれにあてはめられることが おおい。もちろん、別の名前で目玉を用意する場合がある。 (内容を重視した名前づけ、多種類の目玉商品がある場合など)
原久美子の深夜番組
原久美子の出ている深夜番組といえば、 関西テレビの「Wスポット」である。 彼女が司会をつとめるその番組は、毎週一人のギャルをゲストして よび、司会たる彼女が無表情で、ゲストのギャルの知的レベル を考慮しないクイズを交えて送る、情報番組である。
この番組の最後に、原への視聴者からのはがきのコーナーが あるのだが、そのコーナーの趣旨は、 彼女に読ませていかにその無表情を崩させるかにあるのである。 わたしが、例の中華料理屋のテレビで見た時には、 遂に、京都のある人が、それに成功していたのを目撃することが できて、非常に楽しかった。(そのせいで、セットメニューの チェックができていなかったというのは、悪い言い訳の例だろうか?)
並ラーメン
ラーメンのツユの種類が、1つしかないラーメンやにおいては 種類の区別は、おもに大きさと、具の特徴を表す 名称で行なわれる。 東京ラーメンにおいても、この例に洩れず、 「大」「チャーシューメン」「大盛りチャーシュ」 「たまご」「のり」「もやし」「ねぎ」 といっただけで、何ラーメンを注文したかが特定できる。 その時問題になるのが、正式名称「ラーメン」なるメニューである。 上のように「ラーメン」を修飾するする言葉がない為、 同じ戦略で注文しようとすると、迷っているのか、おちょくっているのか、 ラーメンを注文しようとしているのか、区別がつかない。 それ以上に、前の2者に勘違いされる可能性が高い。 そのようなことを避ける為に暗黙のうちに使われ出したのが、 「並」ラーメンという言葉である。 もちろん、牛丼のなかうのように、あからさまに、「並」 と称するメニューを掲げているところもあるが、 やはり、それは、客が自然に口に出して作られるメニューの呼び方で ある方が、どこか情緒深いものがあるというものではなかろうか。
超魔術4(フォー)
あれだけ はやった超魔術ブームが去って久しいが、 その末期の状況がどうであったかは、大抵の人が関心がない。 大抵の人が関心を示さなくなるというのが、末期というものであるから、 しかたがないけれども、ブームに関係なく楽しんでる人たちには、 末期独特の情けなさを伴った事象が多く見受けられるので、かえって その存在に強い印象を感じてしまうことが多々あるのだ。 この「超魔術4」もその類の番組である。 前回の超魔術ブーム末期の、2時間番組になれなかった1時間番組、 テレビ朝日系列で全国放送されたはずであるが、 おそらく大抵の人の関心は、引かなかったであろう。 司会は、当時時めいていた「れんほう」、そしてメインテンターネイナーは、 ポストマリック(このポストというところがいい。まるで、このブームが 恒久的に続くという前提の元に物語っているというのが見え見えだからだ。) と当時称されたヒロ阪井(字は少し自信がない) で、スペシャルゲストは、あの松山千春であった (彼は、この番組が初のテレビ出演になるという、汚点を残すことになる)。 なぜか北海道のどこかのスキー場でのロケであったが、 そんなことは、とるにたらないことであって、 やはり、その末期独特の情けなさを表現する際たるものとして、 ナレーションの選択というものがあった。
この番組名「超魔術4」を番組内で20回は連呼したと思われる その声は、それを叫ぶたびに番組の雰囲気をオチャラケたものにする ことのみに貢献するという情けない実績を残したものであった。 おそらく本人は、その昔夏休みには決って放送していた 「お昼のワイドショー・夏休み怪奇特集」のナレーション 「この世に地獄がある限り、うんぬん・・・」の声を真似ようとでもしたように 恐そうな声をつくって喋っているのであるが、 どう聞いても、素人がやった「デーモン小暮」の声のもの真似に毛が生えた程度のもの なのである。大物も呼べず、適当な安いナレーターを使うことは、 末期のブーム乗り遅れ番組のその本質をつくわかりやすい事実であった。
スーパーフレッシュシリーズ「力いっぱい新鮮・夏」
テレビショッピング番組定番商品の1つ。 1本の専用のポンプと、それを取り付けられる蓋を持った容器群 からなる商品群である。 スーパーフレッシュシリーズにはもう一つのものがあって、 「力いっぱい新鮮」(注:「夏」がつかない) というものがあったが、これの「夏」バージョンが 「力いっぱい新鮮・夏」ということになる。 「力いっぱい新鮮」の容器には、パスタ用のものなど、縦長の透明容器と、 タッパ状の容器がついてきて、さらに、 付録として、ビニール袋を熱で閉じてしまう「袋閉じ太郎」がついてきたが、 「夏」の方では、パスタの入るサイズの縦長容器がなくなったかわりに、 保冷機構のついたタッパタイプのいれものがついてくるのである。

参考:力いっぱい新鮮と、夏セットの違い比較表
力いっぱい新鮮 力いっぱい新鮮・夏
袋閉じ太郎
専用ポンプ
縦長円筒透明容器(パスタ以外)
縦長円筒透明容器(パスタ用) ×
タッパタイプの容器
保冷対応のタッパタイプの容器 ×

ちなみに、スーパーフレッシュシリーズの「力いっぱい新鮮」以外のもの は、見たことがないのであるが、あるのだろうか?
マック包丁セット
これも、テレビショッピング定番の商品であり、 玉寄なる人物がいつも寸分違わぬ実演販売をしてくれるということで、 有名なものである。 最近、このマック包丁セットに異変が生じたのはご存じだろうか。
それはいままでのものであれば「値段もすぱっと1万円でどうでしょう」 であったのが、「40万セット記念価格で、『新』マック包丁セット 7900円です。」というものが現れたのである。
しかし、値段が安くなったからといって、喜ぶのはまだ早いのである。 マック包丁セットと、新マック包丁セットの違いを簡単に表にすると 次のようになる。
マック包丁セット
新マック包丁セット
人間工学に基づいたデザインで、モリブデン鋼製の このセットの中心をなす包丁
普通の包丁 ○大きめ
○少し小さめ(ビデオ一時停止による確認)
人間工学に基づいたデザインで、モリブデン鋼製の ペティナイフ
専用といし
×
飾り切り見本写真集
この表を見てわかるように、同じものまたは、相当品を安くしたのではないのが わかるだろう。 もの自体を少なくしているのである。
これによって、値段以上に失われたものがあった。それは、 玉寄の実演販売の中に含まれていた重要なフレーズである。
「・・・(カマボコを板ごと切った後に)このように、むちゃした後は、 このように、シャ、シャ、シャ。シャ、シャ、シャ。 と、このトイシで軽く二三回表裏を研いでいただければ、 このように元の切れ味が甦ってくるわけです。
これが、完全に抜け落ちることになったのである。 これは代償としては、あまりにも大きいものではあるまいか。 本人の実演も気のせいか、魂の抜けたものを感じたのは、筆者だけではなかろう。 「マック」よ、目をさましてくれ。それが、今彼に一番伝えたいメッセージである。
コロッケ

東京ラーメン斜め向かいの店。 コロッケメニュー、充実している。 位置関係は以下のようである。


「暗号スパイ大作戦」なる学習研究社の子ども向け 啓蒙本のなかの「スパイ適正試験」の一問として出された問題

小学生のころに筆者が愛読した本のひとつ 「暗号スパイ大作戦」、 テレビ映画でおなじみのスパイ活動について 問題形式でわかりやすく丁寧に教えてくれる啓蒙本である。 ただ、あまりにもわかりやすすぎて、少し大きくなった小学生からは 非難の雨アラレが注がれ、さらにおおきくなると見向きもされなくなる (筆者は別の意味でのめりこんだ)ようになるという傾向があったのは、 いたしかたのないこととはいえ、なんとなく哀愁を感じるものである。
この本の中ほどにあった、「劇画形式」(どことなくゴルゴ13風の) のスパイ活動の一端を表す問題が、表題になっているものである。 すでにその国の情報部にスパイの侵入が明らかになってしまい、 国境線には非常線が張られているのだが、何とかスパイはそれを通り抜けて 国外に脱出したという。それは一体どういう手段を使ってなしえたのだろうか? といったものであるのだが、その漫画に出てくる、アクアラングと ビール(???)のタンクローリーをみれば、ほとんど (製作者の意図している)答えはほとんど明らかなのだが、 イマイチ決め手に欠ける(ここがみそ)。 その最後の決め手は・・・ おや(と、ここで初めて気づかねばならない)、と駒の間を見ると 文字が散在しているのではないか。それに所々道を遮るような棒がある。 これはもしかして迷路になっていて、その正しい道順をたどりながら 文字を拾っていきその順で読めば重大なヒントになるのでは? ということである。 これは、子どもだましと笑っていてはいけない。 この程度の暗号は見破れなくてはならないというべきである。 この問題では第一印象では、スパイの定型的な脱出方法(???)を紹介している 問題といいつつ、実のところは上にいったような「スパイ適正問題」を 行なっていたというのは、私がこの文章を著している時に 気がついたことである。


もこ

その実態に、本人は気がついていないようだが。 (本人にしかわからないコメント) ちょっと前に、彼と、T秀で、飯を食った。


よっきゅん

本名:田中陽子。 陽子の陽は太陽の陽、らしい。 字でかくと当たり前だが、これはむしろ音声として発して感じる文である。 彼女は、ドイツにいたこともあるが日本語オンリーの田村英里子 が、「アイドル伝説えりこ」なるアニメーションでその知名度上昇をはかった のと同じように、その一応の成功に気を良くした関係者がその第2弾として、 「アイドル天使ようこそようこ」なる番組で、 人気をかち取ろうとした。 が、番組以外で、彼女を見たものは、多分いないだろう。 失敗だったのである。 なにがというと、「田中陽子」がである。 えりりんこと田村英里子は当時相当わがままであったというが、 まだ、それは関係者の我慢できる範囲であったのかも知れない。 そのパラメーターは、 そのわがままさから人気の分を差し引いたものとしての相対的わがまま度である。 ヨッキュンには、「人気」が伴わなかったのがやはりその敗因であろう。 普通の顔、ダミごえとも表現できる声、本人のやる気のなさ(と思える態度) どれをとっても、プラス要因にはなり得ないだろう。 とくに、プラス指向のこの番組で売るには、逆効果になるものばかりだ。 アニメは、良かったのである。(好きな奴は好きになるという意味でしかないが。) それだけに、それゆえに、実写のヨッキュンが売れなかったのかも知れない。 ヨッキュンの安否が気遣われる所である。 (すでに、ミスコンで死んだ「ワイワイサタデー」の、人気コーナー 「あの人は今」の司会、笑福亭鶴志の安否もわからないというのに、 それを調べるのは一筋縄ではいきそうにない。)


どこの だれお君

紙芝居のそれよりかは、知名度が低いかも知れないが、 アニメーションの「黄金バット」というのがあった。 なぞの帝国ナゾー(首領:ナゾー)の地球侵略を食い止めるべく 日々戦っていた、やまとね博士とその息子タケルが、ヒョンなことから、 海に漂流している少女マリーを助けることから物語は始まる。 マリーの父親が捜し当てた「黄金バット」の眠る場所の地図を 彼女に託していたのである。 それにしたがって、彼らは黄金バットを甦らせて、 なぞの帝国ナゾーとたたかうこと(といっても、最終決着は、いつも 「バット」にきめてもらうのだが)になるのであった。 そこの登場しているレギュラー陣のなかで、 一人その存在意義を問われる人物がいる。 それが、「どこのだれお」君である。 その名前が示すとおり、別にどんな人間でも良く、更に、 いなくなっても誰も心配に及ばないという立場の なんとも影のうすい存在である。 しかし、その性格は結構定まっていて、

といった特徴を持つ。 ある種、水戸コウモンの八べいににてるともいえなくはない。 その証拠に、重要なシーンでは出てこない。 また、話の主人公になること(例えば、ひとり敵のなぞーにとらえられて、 助けをこう、ということもない。)はほとんどない。 (実は、一回あったのだが、その時はナゾーからもマトモな扱いを去れなかった。)


マゾー

黄金バットが正義感を持って懲らしめ続ける なぞの帝国ナゾー。まさにその懲らしめ方は、バットのもっているシルバーバトンを つかって、「シルバーバトンよ、葬れ!」といって、この世の中から存在を消し去る、 ことによっておもに行なうのであるが、それはそれとして、 敵の首領は、ナゾーである。 そしてその側近が一人いる。その存在が、「マゾー」である。 彼の特徴は、その、魔女の男版のような姿、黄色い目 というよりは、その声にあろう。その特徴的な声(いわゆるせんべいさんの声) の中でも次のものが特筆すべきものであろう。


バレル

黄金バットの最終回から何回か前に放映された、 「サーカス怪獣ガブラー」に出てきた少年である。 やまとね博士の息子タケル君の 友達である。 やたらと暴れるものを見るのが好きな人種のようで、 怪獣ガブラ(サーカスの団長が小さいころから懇切丁寧に育て上げて 今では体長20メーターのずうたいになっている。) をしきりに見に行きたがっているのはそのせいである。 その、好きさは、とんでもないものがあって、ガブラがかくせいして 暴れながらまさに、バレル君の方に歩み寄ってきてさえも、 友人のたける君の助言もきくみみ持たず、
「だって、格好いいんだもん。」
といって、動こうとしない。 ふみ潰される恐怖より、その迫り来る怪獣のスリルを味わうことの方が 重要視しているのだ。 その、可愛い声からは想像もできない性格ではあるまいか。


サーカス怪獣ガブラー

黄金バットの「サーカス怪獣ガブラー」にでてきた 顔はサイ、体はワニといわれる怪獣である。 ただし、体はワニという形容は、明らかに間違っていると思われる。 実際見て確認したところ、「ステゴザウルス」というのが的確だと思われる。 特徴は、起きると乱暴に暴れることである。 だから普段眠らせている。他の町でどうやって眠らせたままの の怪獣を見せ物にして成功したのかは不明。(額縁ショウやないんやから。) 空飛ぶ円盤のピューとなる音が苦手らしい。 (スーパーカーに続いて、 やまとね博士が 開発した(開発途中の) 小型飛行乗用車「 フライングカー」の 試運転中にサーカスの一行が 移動している上を通過し、団員にいわせれば「空飛ぶ円盤が ピューと飛んでいった」音をガブラーに聞かせてしまい、 暴れさせてしまったといういきさつがある。) 黄金バットに初体面で、 彼に「ガブラーか。」といわしめるほど有名な怪獣らしい。


黄金バットのオープニングテーマの正体

黄金バットといえば、紙芝居の定番というイメージもあるだろうが、 筆者の世代ではむしろテレビアニメの黄金バットの方がより印象深いに 違いない。 とくにその中でも際だって印象ぶかいのはやはりあの独特のオープニング テーマだろう。もともと、主人公が「骸骨」であるというなんとも 気味の悪い話であるのを、イメージ一新して明るい完全懲悪ものに 見せかけようと努力したはずのテーマであったが、どうもそれには失敗した といった方が正しそうだ。 そのように、とかくに気なるオープニングテーマであるが、 その味の一つである歌詞ではなくそのバックに流れている映像で 語ってみることを試みた。それも、映像そのものでなく、言葉としてである。 これこそ、奇妙きてれつなことであるが、まあ、ものはためしである。 一度は、みられい。

黄金バットのオープニング。

(前奏の間。) 今にも雨が降りそうな低い雲から左右に稲光が飛んでくる。 そして画面はバックが黄色に変わって、カラフルなコウモリが舞い、 その奥からまんとをした人の影が。それが近寄ってきて、表を向くと 黄金バットだ。(ここで笑いが入る) その顔の前に先ほどのカラフルなコウモリの残党が飛び出し、 場面がかわって、バックが青で金色のコウモリ一匹になって、 それをズームアップする。ある程度ズームアップしたらそのコウモリが回転し出し、 それが知らないうちに「黄金バット」のロゴに変わっている。 そして、すばやく、一文字ずつ輝く。 (ここで、「・・・黄金バット」とはいる。) その次に稲光が生じ、コウモリがすうひき飛び去って行く。 ぎんがをバックに、一度右下から出てきた黄金バットがかなり向うで引き返してきて、 左下に帰る。さらに目の前を右上方向に飛び去って行き、画面が変わって着陸する。 そのあと、画面は変わって、マントを揺らめかせるシルエットがビル街の 夕空に浮かぶ。(ここで、2回目の「黄金バット」) 画面が変わって、宇宙から見た地球を背にした絵で、先ほどのカラフルなコウモリが 集まりながら飛び、それが、ぱっとかわって「スーパーカー」になる。 それが、すっと向かって左方向に消えて行く。
(かがやく・・) 黄金バットのアップ。いつものように両腕を広げて、攻撃の姿勢を見せると、 彼の前方にいたと思われる色違いの猫の目たて横2列ずづの「ナゾー」がふりかえる。 そして、シルバーバトンを携えた黄金バットがそれを振り回して攻撃を仕掛け、 それを一度はナゾーが左腕の鉄のつめで受け止めるが、 シルバーバトンを二三度振ったのちに鉄のつめを攻撃すると鉄のつめ (誇張した三日月の形)の上部が折れる。 ナゾーの姿がズームアップされる中、 更に執拗にバットがバトンを振りまわし、ついに、ナゾーを真っ二つに分けたかと 思うと宇宙に煙を吐く乗り物で、にげさる。それをバットがしつこく追いかけていくが その先がどうなったかわからずじまいに、突如同じ背景で、バットのアップが移って、 頭がひかる。同じ背景で、 そして輝きが生じたと思うと、またカラフルなコウモリ数匹が現れ乱れ飛び それが黒になって画面の中央に消えて行く。 (これ、一番終わり)
「シュッ」 カラフルコウモリ2匹が現われ、画面が変わる。 今度は雲上と思われる上空、右に向かって黄金バットを上にスーパーカーと 並行に飛んでいる。 「どこ、どこ、どこ」のあわせて、スーパーカー内部にいる、 タケル(両手であごを支えながら目をぱちくり) 、マリーちゃん(右手をかぎのようにしてあごを支えている。) そして、真ん中にドコノダレオ君がいて彼を挟むように両人がいる姿が 映し出され、ダレオ君がモニタ画面を指差す。 すると、画面上にバットが飛びながら接近する姿が映し出される。
その跡、生映像になって、バトンを両手に持ち前々に突き出しながら、 飛んでいる勇姿が映し出される。 突如画面は宇宙に変わり、しばらく後、スーパーカーが地球の陰に飛び去る絵が うつる。 そのあと、黄金バットが誇らしげに両手を広げて片手にはバトンを持ちながら、 飛ぶ姿と、黄金バットのロゴが次第に手前によってくる絵が0.5秒ぐらいの感覚で 入れ替わっていく映像になり、歌の「バーーーット」のところで、ロゴに変わる。
月を背後に、マントをひらめかせながら 立っているシルエットが映り、コウモリが二三匹飛び交う。 更に、最後のきめの笑いが聞こえてくると徐々にシルエットに色が着き 黄金バットがこちらを向いていることが明らかになって、歌が終わる。

と、いき巻いてやっては見たものの、努力に似合わない成果となってしまった。 どうも、間抜けである。こんな映像を1分ほどで流してしまう 黄金バットのオープニングもなかなか、あなどれない。


BIG CIRCUSの団長(シャボ)

頭は、鰐で、体はサイという、 恐ろしい怪獣ガブラー。 彼を小さいころから育ててきたサーカスの団長が「シャボ」 である。 「ヒュー」という音でよび覚まされた怪獣に、 落ち着いておもらうように、懇願した時に、 「落ち着けガブラー。 わしは、団長のシャボだ。おもいだしておくれ。」 という発言がしたことにより、その名前が発覚した。 しかし、それ以降には、その名前を呼ばれることはなかった。
彼の持っているサーカスの動物の中で名前が明らかになっているのは、 「モリモン」(「ホリモン」かもしれない)とよばれる 猿である。これは猿同士のボクシングでKO勝利をして、 「モリモンのしょーりー」とレフェリーにいわれてその名が明らかになった。


宇野ポテト

元ポテトフライのかたわれ。相方は青野としゆきであった。 彼の持ち芸は、「それそれー」というおかまの声援である。 かれは、私の知るところだけでも、素人としてTBSの「ウェディングベル」 に「宇野栄治」の名前で出るなどいろいろ苦労はしているが、 サンテレビのカラオケ勝ち抜き選手権の司会をつとめて、その番組が 思わぬ長寿になったので、その安定生活が永遠に続くとおもいきや、 あっさりと菊水丸にその座をおわれたという経歴がある。 その他に、車の販売番組もつとめていたが、万田さざめなる人物にそれもおわれ、 現在は、テレビで確認できていない。僕の目の届かないところで 活躍していることを祈るばかりである。


キルケウィルス

去年(1997年)の4月から一年間の期間で教育テレビ 水曜日の朝10:45から15分間放送されている(いた)番組が ある。「虹色定期便」という番組である。 僕は最初からその番組を見ていたわけではなくあるラジオ番組 (誠のサイキック青年団)を聞いていてその番組の存在を知ったのだ。 それはともかく、この番組は教育テレビの学習番組の中では 結構異色の番組といえよう。最近の教育テレビの学習番組は 昔それ見て育った僕からすればずいぶん奇抜なものに変わってきて いるのは確かである。それはでてくる人や人形の姿だけでなく その設定の程度などである。しかし、この番組ほど変わった設定の番組 というのはさすがに見たことがなかった。なにか教育テレビである ということを忘れている気さえ覚えてしまうのである。 まず、この番組の設定がSF的に設定されていることだ。 時代はタイトルが表すように現在であるのだが、現実には起こり得ない ことを想定している。それが「キルケウィルス」なのである。 それにとりつかれて発病してしまうと全くやる気を失ってしまい それが長く続けばついには死んでしまうという恐ろしい病原体なのである。 30世紀の未来においてはそのウィルスが蔓延しておりしかし それをいかさずこるさずの状態で人々の気力をなくしたまま、 限られた指導部が人々をみちびいいているという状態があった。 30世紀のある指導部に近い少女がそれではいけないということを思い立ち キルケウィルスが発生したと思われる現在にタイムマシーンでやってきた というのがこの話しの設定なのである。 キルケウィルスの特徴として気力のある人はとりつけず、 気力のない人にとりつき発病するという特徴を持っている。 この設定が重要なのである。この設定によって小学生の生活において 数々の困難が生じ、その会の主人公が悩み苦しみ、やる気をなくしてしまう。 そこに付け込んでキルケウィルスが取り付いてしまうのだ。 しかしそのまま死んでしまうわけではない。30世紀の未来から来た 上に述べた少女(アスラ)がそれの治療薬を持っているのである。 しかし、それは治療される人のやる気を取り戻さなければ効果がないのだ。 そこで、20世紀においてアスラの協力者たる兄妹が協力をして 一所懸命に感染者のやる気を出させるように努力をしてやる気が出た ところを治療するというアンバイで話しが進む。 ここで、これが道徳番組であったことに気がつくのだ。 いじめ、家庭の問題、友情の崩れ、などなど、いろいろな問題が キルケウィルスとともに浮上して彼らが解決していくのである。。 と書くといかにも格好がよいが、そこはやはり道徳番組である。 本番の映像に映ったある落書や、素晴らしく安っぽいメーク、 将軍役の登場のしかた。。など突っ込むべきところは多いが それでも好きで作っているという心が伝わる名作であると 密かに筆者は欠かさず見ることでその意を表していたりする。


注意

96年

この言葉はある日の 日本経済新聞朝刊の 一面の頭の記事ので出しであるが、 たまたま、ど駄洒落を作るの夢中になっていたときに、 めにはいったもので、即その題材として採用されたものである。

「九州ロック年」は、 田辺誠氏 の会心作である。本人の解説によると、 今年は、何かの20周年辺りの年で、九州のロック少年たちが、 福岡ドームあたりに集結して、大コンサート大会 (マジンガー乙大会ではない)を開くのだという。

給仕、ゆう、『炉、置くねん』」 は、私、川勝則孝がつくったものである。

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