Kawakatsu Home(DTI), Kawakatsu Home(Kaba), 徒然index, 徒然1, 徒然2,

つれづれなるままに(1)


このページのポリシーは常に「つれづれ」である。 気の赴くままに、また、気がついたことをそのまま、 書くというものである。


つれづれindex page


このページに関して、筆者への叱咤激励は こちらまで。
  1. 1996/10/6

    以前、紹介した 「鮫の軟骨ヘルシーステーション」の看板 であるが、 あれは、在来線なら電車の影にならないかぎり、どの線路の電車からも 見えることが判明した。
    ついでに、以前、2看板の相違というかたちでこれを紹介したのだが、 2つめの「ヘルCーステーション」という看板は実はなかったことも 判明してしまった。 そのかわり、「ヘルCーコラーゲン」という看板が存在していたのである。

    看板のイメージ


  2. 1996/10/6

    虫と私と電車と

    電車の窓の外側にオスありと思われる羽のある昆虫がへばりついている。 へばりついてきたときは電車のスピードもたいしたことがなく、 へばりついている事に何等支障のない状況であったが、 電車のスピードがだんだん増すにつれ、それもつらくなってくるように おもえたが、実際そうだったのかもしれないが、かえってそのせいで、 しっかりと窓ガラスに捕つかっている一途な姿を そこに映し出す事になったのであった。 トンネル内での100キロ以上の高速走行にもたじろぐことなく それは、絶えている様子であった。 そして次の駅に電車が近づき、徐々にそのスピードを落としていく と、見ている側からすれば、今までのつらい事をちゃんとしのいできた という事実を踏まえて、やっと気がちょっとぬけるなあ、おい。 といった緊張が少しほぐれたときのちょっとした快楽をもって その状況を捉えようとする。 さらにそういう時はなぜか、根拠も無しに、それまで守られてきた 状況を大きく変える事はない、という判断をしてしまう のも常である。苦の後の快楽を少しでも興じるときは、 新たな苦を簡単には受け付けようとしない、というところだろうか。 そんな心の隙を突くように、その昆虫は思わぬ行動に出た。 電車が、駅に停車すると、いままでかたくなまでに動こうとしなかったに 見えたそれは、突如として、歩き回りだしたのである。 そして、その行動の唐突さに対応できないでいると、 ふっと飛んでいってしまった。


  3. 1996/10/4

    京大中央食堂の搬入口方面の入口のスロープのコンクリートの壁に張られた 「革セー同ML派」とは何もの?

    一見すると、学生運動のチラシにも見えるこのチラシは、 少し破りとられているためにちゃんと読めなかったのが残念であるが、 近付いて読んでみれば結構とんでもないことがかいてあったのである。

    全国の、革命的、セーラームーン支援の どうのこうの、・・・・ は、東映動画系劇場に終結せよ!

    なんじゃこりゃ?とんでもないチラシに、それこそとんでもない 記事が書かれていたことに、ほうぜんとするしかない筆者であった。 それにしてもこの段落の内容の少なさが気にかかる所であるが、 それは、「単に良く見ていなかった」故の結果であるなんてことは、 口が避けてもいえません、といいつつ、字にはあらわししまっている。


  4. 1996/10/4

    「もこ」という 顔、性格に似合わない、「モンチッチ」のような通称を持ち合わせ た人物 もすんでいるという町、桜新町について、あなたも知ってみたくなった 瞬間はないだろうか。
    そうか、あるというんだな。あるだろう。
    あなたもこの桜新町にバーチャルの訪れてみようということで、 レッラゴー

    ちなみに、この項目は、「ネタがない!困った」という状況を顕著に あらわしているものではなく、ただ、純粋に桜新町を愛するここと故の 所業であることをここに宣言しようかな?(と、断定の避けるのは、 自信がないのか?)
    さらに、レッツゴーという言葉についてであるが、 誰か知っているだろうか、その起源を。知ってたら、教えてくれないだろうか。 ここへ

  5. 1996/9/24

    マッキーが日本語の曲を出すという宣伝を久しぶりに見た。 ところで、「どっちやねん。はっきりさしたらどうやねんな。」 と、彼にいいたい。


  6. 1996/9/24

    KSB京都で見られる魅力的場面

    このような偉そうな題名をつけたのであるが、実はそれほどすごいことを書こうなどと おもっていないことをここに宣言しておかなくてはなるまい。ここで書きたいのは、 将来の展望というべき記述である。 まだ、サンテレビの魅力に比べてまだまだその魅力にかけると思っている KBSの将来的に有望になろうと思われる場面を書き留めておくことによって、 ケービーエスへの楽しさを発掘していこうという意気込みを表ていこうというところである。

  7. 1996/9/17

    「魂」の感じられる「警察ドキュメント」

    そろそろ番組改変時期。 ドラマ枠などでは、番組が終り次の番組が始まるまでの何週かは 繋ぎのための特別番組をやることが多い。 特別ドラマ、芸能人のクイズ大会など、いろいろとその時に採用されるネタはあるが、 その中でも定番といえば、これである。「警察ドキュメント」である。 暴走族、覚醒剤犯罪、交通犯罪から、風俗営業の犯罪、 痴漢、摺、そして、田舎の駐在さんまで、幅広く扱う2時間番組であることが多い。 この手の番組は、6チャンネルなどに見られることが多いが、 4チャンネル系すなわち毎日放送系では、比較的やらない方なのではないだろうか。 しかし、やる時には「やる」。すごいものを見せてくれるのである。 「・・・バスターズ」なる題名は「スペースJ」をひきずっているようなものであるが、 そんな名前で語れるような代物ではない。 他局のものは結構きちっとした構成で、いうなれば辺り触りのない形のもの (福留が司会しながらVTRをみたり、中継ヘリをよんだりするもの) であるが、ここのものは違うのである。 まさにドキュメント、いや、嘘臭くなるほどなドキュメントである。 なにか水曜スペシャルの川口探険隊を見ているような構成 なのである。なぐりがきしたテロップが画面いっぱいに出てくる ナレーションは、状況解説というよりは、警官たちの心を 伝えるかのような解説を繰り広げているのである。 これは、必見である。私がこれのシリーズを見たのは、何年か前の年末。 番組改変ではないのだが、年末番組の調整のために 作られた特別番組のようであった。 その時のナレータは、だれだったのか多分今聞いても知らないという人だったと 思う。(超魔術4のナレーターか?) 「なかえしんじ」なる有名人物にその役目を譲ったとはいえ、 その魅力十分である。 と、偉そうにいってながら、ビデオをとるのを忘れていた。 年末にこのシリーズがあることを期待するしか手はなさそうだ。 是非やって欲しい。おねがいだ。TBSよ。


  8. 1996/9/17

    キャバレー・サンよ、おまえもか。

    どうも悪いことは続くらしい。といいかけたが、一体前にあった悪いこと というのは何であるかというのを思い出すのが難しい (カラオケでシャ乱Qを歌えん買ったことか?) ので撤回するが、それにしても、表題が暗示する出来事は、 許し難いほどに悪いことである。もったいぶらずに早くいえという声も聞こえて きそうであるが、別にもったいぶってやっているわけでもない。 いいたくないほどにいやな事実なのである。それは、

    あのキャバレー・サンのCMが安物になったということである。

    安物CMが嫌いというわけではない。しかし、それはそれで味わいがあるからだ。 しかし、それにも程度がある。もっといえば、以前に良いものをかき消してまで 存在する価値があるほどすごいものというのは、 単に「安い」というだけでは到底その用件を満たすものではない。

    キャバレーサンのCMといえば、日曜のサンテレビ競馬中継 (ただし「ええとこの」3時代は関西テレビにその中継を譲る) のCMとして欠くべからずのCMであった。
    「あめがふっても・・」
    ではじまる「水上ジュン」なる人物の歌に載せて、 筆者が小学生の時に読んだ学研のまんがにあったような絵のアニメーションが、 「雨の中を傘をさして」あるくひと(ジャンボさん(金田たつえもそうよんでいた) なる経営者か?)と、お按じ人が「風に耐えて」歩く様子を 歌詞の内容に併せてえがきだすものである。

    あの様な、味わいのあるCMをなぜ「安い」実写のCM」にかえししまうのか。 まだ、並行にCMを流すというのであるが話はわかるが。

    「ジャンボさん」、どうかもう一度考え直して欲しい。 何とか、以前のアニメバージョンのCMを復活してくれないか。 「水上ジュン」が問題でも彼を説得して復活する価値はあると思う。 社長自らが登場するのも結構なことだが、 それならば、かの「ユニバース」と「味園」のCMが雰囲気をかえているように ことなる雰囲気のCMを並列に流すというのもいいと思う。 ともかく、あれをなくすということは、 千日前の夜の空を賑わせる「サン」の太陽マークもなく。 (そういえば、「ユニバース」「味園」も千日前か) 「サン娘」の募集も虚しくなってしまうと思ってしまう。

    あのCM、何とか復活してもらえないか。いや、するべきだ。 「ジャンボ」さん、私はあのCMを復活することを信じている。

  9. 1996/9/17

    最近の心境

    最近どうも、文字を綴ることが以前のようの爽快なことに感じられなく なっている。このページの併設されている「近況報告」のように1行程度 のことであれば、何日か分をまとめて書くということも別にならないのであるが、 どうもここにふさわしく思えるようなマトモあった文章を綴るのが どうもおもにに感じられて、いざ綴り出そうとするとその重みのために 1行も進まないということになってしまう。 なぜだろうか。 やはり、生活が単調過ぎるのだあろうと自分は推測する。 単調過ぎるほんとうに単調な、生活なのだ。 職人が磨いてできた平たい鉄板のように撫でてみても全然ひっかかる所がない。 やはりそれは、自業自得という所だろうか。 原因はどうであれ、自らの怠慢が導いた結果である。 これに懲りて、もっと刺激を求めてうごき出さねばなるまい。 明日から、岐阜にいき、更に来週には関東方面にでかけることになるが、 それがその行動のきっかけになる!と信じてやまない。 そこでの報告はきっとここの記事を埋めるに値するものだと信じている。 と、なんか説教臭い記事になってしまったが、 ここの永いブランクのお詫びとして読んでいただければいいと思っている。 と、いうところで。

    「さすがニュージャパン」(と声ではいっているが、口は「健康ですか」 を喋るように動かす)


  10. 1996/9/16

    今度は、餃子か

    以前にバラウリで50円余分にとられたラーメンやに、 今度はちゃんとセット料金で食いにいかんとしたのであったが、 こんどは、「餃子」が切れているというのである。 それほどまでに「餃子セット」をくわしたくないのか! と、心の中で叫んだ。 しかし、その変わりに頼んだ、「焼き飯セット」はセットといわない でもセットと大将が解したのは一体どういうことだろうか。


  11. 1996/9/9

    奇妙な一致

    「職歴(しょくれき)」なる言葉を100回言うとして、 その90回目ぐらい辺りの発音を いっている人と背中合わせになる体勢で聞いてみると・・・・・

    チョベリグ

    にきこえるだろうか?(今日の出来事) 知らない。(自己防衛)


  12. 1996/9/8

    奇妙な張り紙

    街にはいろいろな張り紙があるが、やはり、そのなかでもあらゆる所で みかけられ、かつ、気になるものといえば、 「糾弾!」チラシである。 それは何故かいつも妙な所に貼られているのが常である。 私の観測している範囲でも2つあるのだが、 まさにその典型といってもいいものである。

    いざ表現しようとするとその内容が内容だけに そのままの形で訴えることができないのが非常に残念であるが、 できるだけその雰囲気を破壊することのないように、 努力はしてみるつもりである。

    内容は、ちょっと待って。


  13. 1996/9/4

    地球にやさしい?

    前からいおうとしていたことなのだが、なかなかその機会に恵まれず くやしい思いをしてきたが、遂にその機会が来た。

    私もかつて通った実家近くの小学校は、かつて塀がブロック塀で 外からもうちからも反対側が見えない状態だったのが、 数年前(5年にはなるか)にブロック塀にかえて、乗り越える気を失せてしまう ほどの高さのフェンスがたてられた。 建てられた後しばらくは何もなかったのだが、 地震がおきて半年ぐらい、つまり今から一年ぐらい前に 突然絵が2メートルぐらいの間隔で掲げられるようになった。 何故かは知らないが、やはりそれも教育の一貫なのであろう。 絵が掲げられているとはいえ、めくら滅法にそれが描かれているのではなく、 道徳的に正しそうなことを掲げている 、たとえば、「ゴミをなげすてるな」や「地球を守ろう(防衛軍か?)」 などである。
    その中で、注目すべきは、次のような絵である。

    みんなで地球をきれいにしようというプレーズが上に大きく書かれており、 その下に擬人化した地球がある。 当然それは目とはなと口を備えており、地球球体が顔面になっている。 しかし、人間とは違い頭から腕が二本生えていて、 北半球をかきむしるような手の格好をしている。 ・・・・・・・・・そして、 その手の所どころか、北半球の北海道イホクの上部は、泡で覆われているのだ。 そして、北極の斜め上方向から降り注ぐ雨は、まるでシャワーのようである。
    きれいにする -> シャワーを浴びる!
    そのような常識が彼女にはあったのだろうか。 (それならば、筆者は地球が風呂にはいっている絵を描くべきだろうか。)

    「そうかぁ?」 誰もが思わず口にする感想だろう。


  14. 1996/9/3

    人類に幸福を呼ぶ貴重場面

    やはり、面倒臭がらないで、貴重になりそうだと思った場面は ちゃんと残しておくべきである。
    参照


    またこの中にも含まれている グロイザーXについての文献もある。


  15. 1996/9/2

    四角いボールペンと

    さる4月か5月にあった「サンジョルディーの日」の前後一週間程度の間で 本屋で本を買うとサンジョルディーのくじが500円ごとに一枚もらえたとのは ご存じだろうか。あの時のくじは結局すべて空くじに終ったのだが、 7月になって突如としてそのことを思い出す機会があった。 それはある尼崎市内の本屋での出来事である。 趣味の本をそこで購入した時に、何の前触れもなしに 本と一緒に何か細長いものをかみぶくろに店員がつめた。
    そのときには、「それなんですか?」と問うまでにはいたらずに 家まで持って帰ってからそれを開封して、初めてその正体を知った。
    断面図が四角いボールペンなのである。 胴体は青色、それに白文字で「サンジョルディーの日は、4月○日」 と書かれている。持ってみた感じは必要以上に軽く感じ、 字を感じてみてその強度の弱さを身に染み当て感じるものであった。 また、単にキャップをはずした状態では、幼稚園児の持参する弁当に 不可欠のプラスチックの箸を持った時に感じる窮屈さを 催すほどのもので、明らかに短過ぎる。 しかし、これには簡単な方法による解決策が実は用意されていて、 キャップをお尻にはめ込むのである。 お尻にはちょうどそれにフィットするような突出物がついているのだ。 これをつけると普通のボールペンの長さになるので安心だ、 とおもいきや、もともとの曲げに対する弱さに加え、キャップによる接続 部分の弱さが加えられ更に弱くなってしまうという状況に追い込まれてしまい、 かえって快適さを損なってしまうのだ。 (ただし、なれればつけないこともない。なれればである。)
    なぜ、こんなことを今ごろ書いたのか、ということを疑問に思われる 人も多いだろう。そうそれには理由がある。 そのポールペンの別バージョンが目の前(端末のディスプレイの横) に発見されたのだ。それは、胴体の色は鼠色、印字されている文字は 「Obunsha」(おう文社のことか?)であった。(それだけである。)


  16. 1996/8/30

    政治家鳩山兄弟(兄由紀夫・弟邦夫)の「友愛の兄弟舟」(邦夫語る)とは。

    最近、「鳩山新党」と通称呼ばれる政党を鳩山由紀夫がつくるというのが 新聞の政治面でのトップ記事になっている。 そう、鳩山といえばあの鳩山一郎の直系の孫というあの鳩山兄弟だ。
    もともとこの兄弟はもちろん自民党から政治へ進出したのであるが、 ここ何年かの政党の組替えにより、兄由紀夫はさきがけに、弟邦夫 は新進党へと兄弟の政党(舟)を違えることになった。 だが、もともとはおなじ鳩山の兄弟。 この兄弟の祖父一郎が政界に復帰(戦後)したときに、 「友愛のなんとかかんとか」といったことから、 この兄弟は「友愛」で結ばれているとされる。 ちなみに、鳩山一郎は彼ら兄弟の「祖父」であって「父」ではない。 父親は「威一郎」という(あまり記憶にはないが)。 これは、最近放送されたABCの東リパネルクイズアタック25で出された問題 でしった。それは、

    さて、最近話題の鳩山新党、その牽引役といわれる鳩山由紀夫と 新進党の邦夫は兄弟であることが知られていますが、 さて、彼らの父親の名前は?

    と、相馬さんが読み上げると、 解答者は、すかさずボタンを押し、「はとやま、い ちろう。」 と答えた。「ん?もう一度はっきりと名前をいって下さい。」 司会の児玉清(筆者は彼の色紙を持っている)は、 心持ち誇らしげにもとれる口調でその質問を投げかけた。 「い ちろうです」
    「うーん、残念。いいちろう、なんですよ。一郎さんは、おじいさんですね。」
    解答者は、「だれやねん、いいちろうって?」といわんばかりの顔を みせながらがくっとうなだれ 「ファファファファーーン、ファファファファーーン、ファン」 という音楽とともに、目の前のランプ2つが点灯するのをただ 見つめるほかはなかった。

    と、いうものである。
    さて、表題の「友愛の兄弟舟」であるが、これは「ゆう」までもなく 鳩山兄弟が「友愛」の血筋に逆らわず収まる鞘をともにするということで あるが、「兄弟舟」とは、「兄弟愛」から転じたものだろうか。 ただ、「兄弟舟」というだけでは、「舟の兄弟」ともとれなくもなく、 仲の良い政党を二つ作るというということにも解釈できなくもない。 しかし、「さきがけ武村正義とのごたごた」からイメージ失墜を余儀なく されている「新党」に「さそわれたら乗るしかない」旨の発言をする 兄貴よりカップクの良い弟邦夫の発言であることを考えると、 単に邦夫が、山本譲二の(ひいては、その師匠のたまにしか暴れん坊将軍 にめ組の頭役で出演しない(いないときはいつも富士山にいっていることに なっている。この頻度が大きくなった為に「小頭」なる地位をデッチあげた という噂である。)北島三郎の)演歌の影響を深く受けているという ことを表しているというのが、私の見解である。

    結局何の話じゃ。

    追伸、 5年ぐらい前までは、実家から北を見れば夜には「東洋リノリューム」 の煙突に付けられたネオンが見られたものだが、 (地震の関係もあって)煙突ごと撤去されてしまった。 後残るは、南向きに見ればうかがえる赤字の「森永製菓」 のネオンだ。 しかし、これも7年ぐらい前までは、「森永」の2文字だけの黄色字 ネオンであって、見るたびに何か恐いものを感じた(わたしだけか) ものだった。

    おわび、以前に書かれていた記事の一部を都合により削除した。 ここにお詫びして訂正する。


  17. 1996/8/29

    河原町今出川の南東の角にある「京都市公報板」にかかれた落書が ちょっときになる。

    アホ
    アホ

    と縦に並んだ、横書き「アホ」2つ。 一つ大きく「あほ」というのが書かれているのであれば、納得もいくものだが、 縦に中途半端な大きさの文字でほとんど同じ字体で書かれているというのが なかなか謎めいている。
    最近考えるにこの2つのアホは、同時に書かれたものではなくて、 2回に分けて書かれたものではないかと思われるのである。 一回目は、ポスターが上の方に貼られていた時、空いている下のスペースに 「アホ」を。二回目は、ポスターが一回めに書かれた「アホ」を隠すように 貼り返られた時に、それに対抗するように上に「アホ」を追加。 というストーリーを考えたりするのだが、 それでも、現在2つの「アホ」は両方とも見えていることを考えると、 違うような気もする。 それより何より、そのためだけに、そこまでマジックを持ってきて前の「アホ」 と寸分違わぬ「アホ」を書きに来る人(男か?)の行動の一部始終を考えると ものすごく虚しい気がするのは私だけだろうか。


  18. 1996/8/29

    一つ前の話題で、神戸電鉄のことが出てきたので、 忘れないうちにかいておこう。 神戸電鉄の売りの一つといえば、有馬温泉である。 この鉄道は、鉄道としては唯一の有馬温泉への道を確保しているものである。 かつては、阪急の前身、箕面有馬電気軌道がそこへの路線を画策したが 「日帰り客ばかりになって温泉旅館の商売が上がったりだ」 という強硬な反対に断念した経緯があるが、 神戸電鉄は、阪急の傘下にあるのはやはりこの時の野望のせいだろうか。
    話はそれたが、有馬温泉である。神戸電鉄の車内広告には 常につり出されているその黄色の宣伝はいやがおうにも目にはいって くるものであり、一度目にはいってしまえば思わず下車するのを 忘れるほどに見とれてしまうものである。 それはなぜか。普段目にできない人たちと仮想的に遭遇できるのである。 見知らぬ世界との遭遇。口に出してみるだけで、わくわくしてこまいか?

    有馬ヘルスセンター広告の目につく名前

    なおこの宣伝は尼崎地区を走る阪急バス(阪神尼崎<->川西バスターミナル) の側面にも見られることがあることを付け加えておこう。

  19. 1996/8/28

    何だこれは。

    筆者が良くいく兵庫県のニューベッドタウンとでもいうべき、 三田にほど近い神戸市北区の新興住宅地の最寄り駅 神戸電鉄「神鉄 道場」の椅子と椅子の間の荷物おきに使われる 板に思わず絶句するしかない、以下の作品を目撃した。

    まず、「2コマ漫画!」なるストレートな名前と意気込みを感じさせる「!」 なる付加記号が何ともいえない味を醸し出している。
    その後の本編においても、主人公のUFO(アダムスキー型・円盤)が 爽快に宇宙空間を飛行していると、 突如として前に現れた巨大健康的うんこ(!)にあわててブレーキ(!) を冷汗を噴出しながらかけるというこのおち、 何にもかかっていないではないかと、問うなかれ。 かかっていないといえばかかっていない。 かかっているといえば、かかっているものなのだ。 この漫画の作者(といっても上のあるのは私が模倣したものだが) が、わざわざペンを取り出しあの様な人目につくような(といっても ラッシュ時以外は本当に閑散としているので、かなりの人数の目の下に さらされているとはいい難いのだが)場所に書きしるすまでにいたった動機と いうものを考えれば、付加良みをしてしまうのが自然な思考順路をたどっている といえなくもなかろう。
    考えて欲しい(といって筆者はそれを放棄してたりして)。


  20. 1996/8/27

    百億光年遠い

    たまに見かける記述で、とくに、非常に長い時間を表す 比喩的表現の方法として、

    百億光年

    というものがある。ごく最近にも、某漫画の駒と駒の間で見かけた。 駒と駒との間、そう、その昔 「暗号スパイ大作戦」なる学習研究社の子ども向け 啓蒙本のなかの「スパイ適正試験」の一問として出された問題 の なかでそれは有効に活用されていたことを昨日のように思い出すが、 そこに、ストーリーとは関係ない編集とのやりとりを書くことが (大手ではない出版社の漫画で)みかけたのである。

    「編集さん、(アシスタント募集告知のことを) 百万光年早いなんていわないで」

    まさに、アンドロメダ小宇宙である。 その誤用は、「百億万年」のほうがまだましだといえよう。 この例は、結構あるのだが全然記憶に残っていないので、 一番最近の例をあげたが、そういう誤用はどこから始まったのだろうか? また、「光年」という単位は「年」に換算すれば如何ほどになるという認識で 使用しているのか?その質問をぶつけてみるのもそれを解決する糸口 ぐらいにはなるのではなかろうか。


  21. 1996/8/23

    たばこのCMの筋肉質のケツではなくて、 たばこの夜に映える奇妙なキャラクター

    ついに、ここに書く機会を得た!と一人で喜ぶ筆者であるが、 なにかというと、以下のようなキャラクターである。

    24時間の自動販売機(これは、何とかして欲しいものだが) のこのえは、なにをいみしているのだろうか。 なんとなく鳥の絵にもみえなくもないのだが、 ドラえもんかなにかののまんがでみた道具の絵にも見えてきたりする。 仮にとりであるにせよ、なぜ鳥なのか、更に、なぜこんなに変な鳥らしくない 鳥なのか?と疑問の解決が更に疑問を呼ぶ状態に陥り、 せっかく銭湯で流した汗も、ますます溢れてくるあんばいなのである。 (この絵の描かれている光る看板は、銭湯の後にコンビニによろうとする時に 通る道(東一条)で見かけるものである。)

    いかがなものだろう


    しかし、宮崎緑はいまだに心がこもっていない。 あまりにも事務的にものをすすめる完全なるアナウンサー的立場である。 いまだに、地震後の神戸にいった時の服装が「毛皮だ」と報道された時に 「フェイクです」といいわけしたあのやりとりそのままが朝生でみられる。 そのくせに、もっともらしいこと(これは、アナウンサー的でない)を いうから、たちが悪い。


  22. 1996/8/20

    ついに下宿に成虫にまで育ち上がった黒光ゴキブリ出現

    このところ、その勇ましい姿を見なくなって、いちねんほど、 長かった日々であったが、帰宅した下宿の電灯を点灯した瞬間に見えた、 黒ぐろとしたそのゆうしは、みぶるいするほどの感動と ともに、叩き潰す道具の検索に忙しい眼球と頚の動きに忙しい 自分を見い出すにつけ、そのすばらしさをあらためて感じることになったので あった。

    帽子のつばの硬さ。それがそれのいきの根を止めた大きな原動力であった。

    現在それは、その大柄ゆえにその容姿に変形を見せることもなく まるで天国にでもいるかのように周りをま白な色に映える空間、 すなわち、ティッシュペーパーにくるまれてゴミ箱に存在する。 旅行は金曜までおあずけだ。(なに、ゆうとんねん。)

    宇宙猿人ゴリなのだ、を、歌いたいながらも節を知らない時の 悲しさにフケる夜。あまだるい夜である。


  23. 1996/8/20

    テレビに飽きたら教育テレビ

    あさから、うんち、おしっこ、ということばを 繰り返し、聞いた日というのは早々ないだろう。 教育テレビだ。

    それも、生物の番組というわけではなく、何故か、国語番組、 もっといえば、平仮名を学ぶ番組であった。 「ひらがな」をおぼえるのに一画一画を中心に針金のはいった スポンジ状の棒をくみあわせてひらがなをつくるということになっていたのだが、 それがなぜか、かいじゅう(?)の「うんち」ということになっていた。 おとこもおんなも、その「うんち」とつかむだけでなく、 ぐねぐねおりまげたり、もちかえたり、本物であれば、 ほとんどマニアビデオでしかお目にかかれない内容であるのだが、 「うんち」と称しているものは、本来の色のものがない。 何故か、けいこう色のうんことはおもえないいろをしているのであった。 そのせいか、あまり気持ち悪いものには仕上がってなかったが(当たり前だ) 「うんち」というのは、どんなもんだろうか。 それほどまでに、(小学校低学年にばかうけのネタを使って) うけをねらいたいのだろうか。 何か間違っている気がする。
    ちなみに、「しっこ」はその後の番組で昆虫も「うんちやおしっこするんだ」 というナレーションに代表されることで多発された。

    しかし、そのあとの社会科番組に登場した 某市のゴミ処理場の人は、「よそいきしゃべり」をできていなかったのには、 めん食らった。(そのあとで、ノッポさんが喋っている。)


  24. 1996/8/16

    大文字送り火記念:一貫性のない3連発

    の字が夜にも見られるという珍しい日の今日だが、 鴨川にかかる橋は大変である。歩道も車道も皆歩道である。 やはりこういう日には、バスにのってネタ探しに、ではなくて、 電気街にいってものを物色してこようということにした。 (これ自体も時期(盆)をかんがえると見え見えの失敗なのであるが。)

    1. 京都の四条といえば、繁華街。とくに新京極との交わりの部分は、 人の進む方向ベクトルがさまざまな方向に向いていて、 それは、それは、賑やかなところである。(ちょっと違うかも知れないが) そこの人全員の目に入るチャンスがあるのが、次のような看板である。

      みんな、知ってるんやね。集めてるんやね。 私だけが遅れているのだろうか。

    2. 祇園のバス停は、ただでさえ狭い東大路通の違法駐車で 狭くなった道を激しくいきかうバスタクシーの中から自分の目的の バスを選びだし(金持っている人はタクシー)乗らなければならない。 戦場にもっとも近い近いといわれているバス停である。 というが、私は聞いたことがない。 といってしまうのも何なので、そういうことにしておこう。 と、言い訳せずとも、それを見事に体現してくれている京都市民(と 勝手に思っているだけかも知れないが)がいた。 かの人の名前を借りに乙とでもしておこう。ちなみに性別は、 緒方拳もでていた「セックスチェック・第3の性」ではなくて、女性であり、 年齢は既に、第2の青春ともいわれる50代にはいっていると思われる 人物であった。
      「ハイル・ヒトラー」ほどはピンと伸ばさないにせよ、 その斜め前方に伸ばす手には、「このバスのがしてなるものか」という 彼女乙の意気込みが頚動脈を切った時に立ち登る血潮ほどに 反対車線のバスに乗っていた私に届いていたのだ。 「そこの201とまれー!」たしかに動かない唇は、そうさけんだ。 唇のかわりに顎が上がっていたのは、その意識からの声が 周りの神経おも巻き込んで、伝えようとしていたことの証拠に違いない。

    3. 3連発と、銘うっておきながら、3発目がないことに気がついてしまった、 私は、かわりにしょぼいが、何とかネタにならんとすることを ていじすることにする。それは、帰りしなのバスのことだ。 四条河原町で乗車した時から、結構乗車率が高かったので、 立ちで乗車せざるを得ない状況だったのだが、それゆえに、 運転席付近のやりとりがいやでも耳にはいってくる。 信号待をしていた時に、いつものように客が、1000円札を持っていって、 両替を申し出ると、
      「ねえちゃん、釣り銭ないから両替できひんわ。・・・」
      なる声、そして少しのやりとりの後、そんなに悲壮でもない顔で 戻ってくる「ねえちゃん」の顔を見ると、ちょっと不思議に思える。
      いかに、その苦境を運転士が乗り越えるか。結構興味ぶかい話題であるが、 走行中に話かける為に前にわざわざいくのも面倒だったので、 その位置から得られる情報で総合的に判断することにしたのである。
      バス停で下車する人間が出ると、大抵1人は細かい金を持っていない客で、 そのたびに
      「両替、できませんねん」
      という声が返ってきて、困ったしぐさを見せながら、しばらくもたもたした後、 しまいには他の人を先に通して、じっとその通過していつのを見る状況に 陥る。しかし、結局は、何とかしておろしてもらっていたようだ。 金を払っているのだろうか?払わずに済むのであれば、 その方が得になるぞ。と勝手な妄想を繰り広げたりもしていたのだが、 別に心のガッツポーズをとる人もいるようではないし、そんなに得もしている 様子ではないようだった。
      この疑問は、ずばり、私が下車する時に解決された。
      運賃200円を運転士の手で集めていたのである。 というか、運賃箱に入れさせずに手の平で集めていたのである。 800円溜ったら千円の客にお釣りとして渡す。 もちろんできるだけそういう人にはまとめてはらってもらうように 要望をしていつのであるが、基本的にはその方式をとっていたのだ。
      「なるほどねえ」
      感心した風な言葉をこごえでいいながら下車した後、 なんとなくわびしい気分になったのは、あの乗客の中でやはり私だけだろうか。
      「ドンデンがえし的な展開はなかったのか。」

    そのむかし、「ハンドバッグ」の洒落として、
    ハンドルバック
    なる言葉をあみだして、大笑いしていたことを思い出した。うーむ。


  25. 1996/8/16

    初代ドラえもんとは?

    最近、ドラえもんネタが多い気がするのは、やはり、題材に苦労している ことを露ていしているのだろうか。 しかし、子どものころに親しんだその漫画ははかり知れない量の題材と それにともなう影響を与えているのは、疑いようもない事実である。 これは、もう藤子・不二雄(プラスにせドラえもんを生成した人々も含む その関連する人々)に感謝感激雨あられというほかはない。

    ずいぶん前に得た音であるが、「ドラえもん」の主題歌をコープテープ (灘神戸生協で購入したテープ)に持っていることがごく最近際発見された。 何分ずいぶん前の音でかつ、テープの保存方法が結構乱暴であったので、 音にムラが生じる状態であったが、 それを凌駕するほどの驚がくの内容であったのである。

    大体その放送は、昭和47年でたった半年だけ、日本テレビ系で放送された という情報しか知らないが(関西では放送されたのだろうか?) どちらにせよリアルタイムで見られる年齢でもなかったので、 そのイメージというのは、映像では全くない。 それゆえに、このテープからながれる主題歌の雰囲気からしか、 番組のイメージは汲み取れないのである。

    その歌の雰囲気とは!
    曲調は、何というか、「ドロロンえんま君」と「魔女っこめぐ」をあわしたような ものでかつ、演歌の雰囲気を30%取り混ぜたようなものである。 (私見) 歌は、演歌の拳を軽く入れた「ドラえもん音頭」のように進行してゆく。 のっけから、「はあーーーーーーああああ」で、指パッチン(by ポール牧)、 そして、「はぁ、ド*、*ラ、はぁ、ド*、*ラ」なる合いづちがはいる、 「・・・だよ、・・・だーよー」なるおとぼけのドラえもんの特徴の 紹介を(もちろん紹介される事実は、「頭のツンツルテンさ」 「足のヘンペイさ」など負の特徴をいいまくるものである。) そして、「だけど、・・・」ときて、主人公の名前をよんだあと、 良い男子だという意味合いのことを拳を回して歌うのである。 しかし、困った時にのび太辺りが申し出たとされている「ドラ頼み」なる 行為とはどういうものなのだろうか。ころころコミックの第1巻 においては確認できていない(他の所有していたものでも聞いたことがない)
    「たすけて、ドラえもんー」
    とすぐなきつく現在のテレビ朝日系で放送されている ドラえもんからは想像だにできない世界がありそうだ。
    「ジャイアンに、やられて悔しいぞ。仕返ししたい。 でも、簡単にはいかないだろう。 困ったなあ。 よし、困った時のドラ頼みだ。」
    などというセリフを勝手に想像すると、今の軟弱さから ほど遠いものを感じる。(勝手な想像だから、それがあっているとは 到底思えないのだが、)
    コーラスの最後の、主人公の名前のおたけびの前は、 ほとんど民謡のぱくり「ヨイショーマカショ」 を使用し、その1小説もパクリの合いづちを使っていて、 演歌か民謡の世界の住民だったのか、ドラえもんは、という 錯覚に陥る既にそこまで来ると情けないとか、醜悪だとか という世界を超越して、beautifulとローマ字読みしてしまうほどに、 素晴らしいものを感じてしまう。

    おそらく、これぐらいに想像を豊にし過ぎてから実際のものを見てしまうと、 がっかり来てしまうというのがおちだと思われるが、 そうだとしても、新しい発見・感動をえる為にも実際の映像 と、終りの歌(持っている音が主題歌だという仮定をしている。) を是非聞いてみたいものである。


  26. 1996/8/15

    8月15日

    やはり8月15日といえば、 一字である。

    まさに、明鏡止水の心境である。 (それでも、バカボン首相よりは、長命であった。)

    そう、最近、テレコンがはやっているが、 日本のタレントのでているテレビショッピング番組 での定番 「マック包丁の玉寄 昇」 「力いっぱい新鮮」 「トーカ堂の北さん」 などは、それほど知られていないのではないだろうか。 これを機会に是非知られたい。

    そういえば、 昨日の台風で阪急神戸線が止まったのは!防潮扉のせいであった。


  27. 1996/8/9

    こんな漫画みたことない

    次のような漫画を夢の中で見た。 その興奮をお伝えする為、それを具現化することにしたので、 是非御賞味していただきたく思う。

    D.平川。

    おれは、職人。わし一人で、ここまでになったんだ。 でも、女房よ。今まで支えてくれて有難う。 その気持ちは、B面の歌で綴っておいたよ。

    しかし、自分の世界にだけで閉じこもっているわけにはいかない。 故郷宮崎だけでなく、日本全土に我ちからを役立たせなければ。 「豊作」。日本の心の根幹をなす米の豊作なくして何が日本か。 その気持ちは、新曲で、綴っておいたよ。

    でも、日本だけでとじこっていてはいけない。それこそ、 国際化のなみの飲まれてしまう。そこでここだ。関西新空港。 漫才師のかたわれも歌手とくんで歌っているじゃああないか。 新作CDのB面で歌っているぞ、その曲を。

    能勢の昭和一桁のおばちゃんの声: 「もうほんまにいい加減にしいや。もう、にいちゃんあんた。」
    参考:朝日放送

    落せない漫画ほどもの悲しいものはない。

    うひ!


  28. 1996/8/9

    セットと、バラウリ

    未明に腹が減ったので、北の方へ、深夜の道をとぼとぼあるき、 そこで見つけた、あるラーメン屋にはいって、その腹のすきをいくらか 抑えることをここみることにした。

    私はラーメンといえば、基本的には 「東京ラーメン」であるので 深夜だから仕方がないとはいえ (東京ラーメンの営業時間は 午後9時までである) このように別のラーメンやに浮気するのは、珍しいことである。 それゆえに、このように入るラーメン屋は、大抵初めての体験になるので、 それゆえに、その店特有のメニュー、特にセットメニューについては、 どういったものがあるかということがわからないのである。

    この店の時もその例外に洩れずそうであった。 店にはいって困ったのはその点であった。 その上、メニューがカウンターと反対方向の壁に張り出されているのである。 それも、その面積は、かなり広い。どううまく見ても、視界にすべての メニューがとびこむようにはできないである。
    「どうしようか」
    そんな声も、 関西テレビの深夜番組に 出ていた原久美子の 例の態度にかきけされること間違いなしということであった。

    しかし、入ってからそのまま黙って、数十分を過ごすというわけにいかな いので、とりあえず、その時食いたかった、「ラーメン、餃子」 をまぜたメニューを頼もうとしたが、セットという選択肢を すっ飛ばして、そのまま、「ラーメン、餃子、飯」と そのまま列挙して、店の大将(といってもそこには一人しかいなかったが) につたえた。そして、大将は、隣のせんきゃくの分も含めて、 調理にかかる。

    それから数十分、そのメニューが、ラーメン、餃子、飯、の順で、私の目の前に 並べられていく。ラーメンは、少し癖があって、臭みを感じたが、 何とかなる範囲のものだったので、問題はなかった。 餃子に、少し期待がかかっていたのであるが、一口食ってみたところ、 平凡な味で、可も不可もなくという具合だった。
    「値段は、(いつもより)高いが、まあまあというところか。」
    そんな判断を、ラーメンのスープを飲む時の小休止で、つぶやいて見せたが、 誰も築いてない様子であった。

    結局、そのラーメンを食うことは、何事もなくおわり、 勘定の段階にはいる。若い大将は、顎でメニューを確認しながら、 頭のソロバンをはじいている様子であった。
    「全部で、950円です」
    私は、すかさず1000円札を提示し、そのつり、50円をもらうと、 既に心は、店の外に出ていた。張る腹に少しの満足感をこめて、 撫でてやりながら、店を後にするという、店で飯を食う時の最大 の喜びを感じる時を迎えたのであった。

    しかし、である。なんとも、いいようなない不満がふつふつとわいてきたのは、 その店を出てから5分後のことであった。
    「壁に何か、セットのメニュー、それも、今さっき食ったメニューに近いもの がなかったか?『餃子セット』というやつ。確か内容は、 『並飯、並ラーメン、餃子』。値段は、・・・、900円だったわなあ。 あれにしとけば、ちょっとは安くなったかも知れへんけど、 量がなあぁ。」
    そこまでいいかけた時に、思わず、立ち止まることになる。

    まるっきり一緒やんけ!

    そう、そのメニューは、たった今私の食したものの充実感と まるっきり同じものを提供するメニューで、しかも50円安くて、 その分充実感の濃度としては、著しく高くなるという代物だった のである。
    「しかし、・・・。何で、大将はそのことをいってくれへんかったやろか。 残念ながら、原点といわざるをえんな。」
    勝手ないい種ではあるが、50円損させたという重罪に対しては、 あまりにも軽い懲罰ではないか。と自分を納得させながら、 重い足をひきずり、帰路につくのであった。

    しかし、ほんまに教えてくれよ。


  29. 1996/8/8

    近くの不動産やの手作りポスターにおいて、ディフォルメされた 「にせ」ドラえもんを発見した。 (にせドラえもんの例は、過去にもあった。) これは、昔に良く発行されていた、ドラえもんのキャラクターを使った クイズ本などで活躍していた「にせ」ドラえもんと同じような事情でかかれて いると思われる。つまり、本物とは同じにしない、できない事情があるのだ。

    しかし、それぐらいで腹をたてる私ではない。 腹をたてるのであれば、大昔にどこかで見た覚えのある右のような絵の時に するべきである。 この絵の欠点は敢えてあげるまでもないが、一応わかりやすいところを列挙して おこう。

    1. 頭部における青の領域と白の領域の境めが目のところを通っていない。
    2. 鬚がない
    3. 体の部分の青の領域がどっかにいっている。
    4. くびわがない
    やはり、こういうものを「どらえもん」と称する(あるいはその意図を示す) のは、犯罪ではなかろうか。


  30. 1996/8/8

    この3人は、とにかく覚えておこう

    日本のタレント(たいてい男女2人)がでている1時間もののテレビ ショッピング番組で、すでに、伝説化している3人の事を知らずして、 そのたぐいの番組を見るのは、あまりにも悲劇的である。

    大袈裟な言い回しではあるが、そう私に言わしめるほどに、 すばらしいキャラクターの持ち主なのである。

    一人目は、マック包丁の 玉寄 昇である。 どこから見ても板前風の風体で登場し、道場六三郎のような(どこが) おももちで、 マック包丁の 実演宣伝をするのは、これこそ、神業に近い 「切れ味」を持っているといえよう。 特徴的なせりふは、「この人間工学に基づいたデザイン」 「この切れ味」「(かまぼこを板ごと切りながら) ちょっと無茶しますよ」 「このように無茶した後は、しゃ、しゃ、しゃ、と2、3回この 砥石で・・」といったところであろうか。

    二人目は、トーカ堂の北さんである。 この人の特徴は、普通なら、語尾を上げて紹介すべき 商品の値段を、どうも、申し分けなさそうに、語尾を下げて、紹介するのである。 それと、タレントなどが、商品の特徴を驚いて見せたりするときに、 彼が打つ相づちである。「はぁっ、はぁっ」とでも表現すればよい のかわからない、初めて聞くと、変に思うに違いない相づちをうつのである。 この人の魅力は、見れば見るほどに増大してくるのが、不思議なところである。

    3人目は、マリン美の石津社長である。 この人は、上の2人に比べれば、特徴が乏しいのではあるが、 やはり、真珠のマリン美というところを見せるそのトークが、 すばらしいといわざるをえないだろう。 最近は、他のジュエリー、ひいては、小鳥のさえずり時計など、 多方面に活躍しているのも見逃せない点である。

    しかし、このように文字で紹介しても、そのよさは、 絶対に伝わらない 是非御自身の耳と目でそれを味わってほしい。


  31. 1996/8/7

    株とむしとは、これいかに。

    阪急で見かけた 山一證券(決して、野村證券ではない)の 吊り広告で以下のようなものがあった。

    この夏、株式が動き出す あっ,株とむし
    ご希望の方には、「株式市場レポート」を さしあげます。

    問題は、株とむし、という部分である。 これは、もちろん、「夏といえば、かぶとむし」と 「この夏、株式が動き出す」というキャッチフレーズの 「かぶ」という部分の音の一致をもって洒落にしたという、きわめて、 安直な洒落の作り方である。

    さすがに、これを読んで、「読んで、ナットク」というわけには いかないだろう。

    このような洒落の作り方をすれば、読んだ人に快楽を与えるというよりは、

    という、悪影響を及ぼす危険性がある。 まだ、目の前にいる人間が、このギャグを言い放つのであれば、 「言い訳」という形で、それを修正する事は容易(!)なので、 上の危惧は、必要な無い物であるが、 吊り広告のような、不特定多数に向けて発進するが、そのfeedback 機構のかけている媒体では、そう言う、自然な歯止めも働かないので危険 である。

    注意:いっておくが、これは、私の駄洒落がこの山一證券の駄洒落より 勝っている、という事を言いたいわけではない。

    本当に関係ないが、「内田さゆり」という女優は、 鳥人戦隊ジェットマンのブルースワローとして(特定の人々に)有名だが 彼女は、意外に業界暦が長い事が発覚している。 それの事実を揺るぎ無いものにするものとして、 彼女が、「どくんちょ!ネムリン」の居候される家庭の長女役で 出演していた事があげられる。(さすがに、リアルタイムで見ていた わたしにも気がつかないところであった。)


  32. 1996/8/2

    接客業で、愛想が悪いのはやはりだめだ。

    今日は、ひるめしを、出町柳駅近くでとることにした。 ある、中華料理店である。

    僕がその店にはいった時には、客は、先にもう一人、 座敷に座って、ラーメンを食いながら、スポーツ新聞をヨミフケっていた。 テレビがついていたので、それが見える方向に、テーブルのところに腰かける ことにした。そのとき、物置のすき間からゴキブリの成虫になりきってないの を目撃したが、特に気にしないことにした。

    店員は、奥の、大将と、手前で、餃子の仕込みをしているにいちゃんの 二人である。そのにいちゃんは、座敷の二つあるテーブルのうち ひとつを占領している。それが、また汚い。まるで、客を無視するかのような 汚さだ。ここでいう汚さは、 うんことか、おしっこが散乱する汚さではない (ここで、 小学生中学年以下級の諸君は大爆笑間違いなしである。 しかし、それ以上の読者には気の毒な思いをさせてしまったに違いない。 深くお詫びする。) 散らかっているのである。よく漫画で語られるような独身男性一人グラシ の縮小版を彼のテーブルの周りに展開しているのであった。

    ぼくが、着席してから、しばらく、テレビを観賞していると、 「一応」気づいたぞというような態度で持って、彼は、こちらに向かってきた。 何かいいそうな顔であったが、ほとんどすすめなくなるぐらいに 近寄ってきても、全く言葉を発しなかった。 仕方なく 「**セット」 と、こちらからいうと、何もいわず、 回れ右をして、おくにいる大将に向かって、「**セット」 と告げたと思うと、ふたたび例のテーブルに座って仕込みの続きをはじめた。

    それから、無愛想な彼が、セットもこちらに持ってくるまで何を 考えていたであろう。後からはいってきた韓国語を話す3人組の 話の内容を聞きとれるはずもなく、かといって、 彼の仕込む餃子を今度きた時は注文しようとか、考えてもそれは、 一瞬ですんでしまうことで、あまりある時間を埋めることはできない。 そのような時は、決って、水(見ずとかけている)に逃げるのである。 そんなにうまいわけでない冷水をなんばいかおかわりするのである。 1杯目のの見ずと3杯目の水のうまさの違いをひとり比べてみたりして、 その退屈をまぎらわすのである。 ただ、この方法の欠点として、飯を食う前に、腹がいっぱいになってしまう 危険性があることである。現在この欠点を解消する方法としては、 水を飲むのを意識的に抑制することぐらいしか思い当たっていない。 その時もそうした。

    案の定、セットが無愛想に運ばれてきたときには、腹が半分ぐらい いっぱいになっていたように感じていた。 しかし、相手は、水、結構早く腸の方へ運ばれていくとを信じて、 挑むことにした。

    その時のテレビ放送が、ちょうど漫画の「美味しんぼ」であった ことの影響は、全くない。つまり、別にその料理に六に味わいもせずに 蘊蓄を垂れて飯をまずくするということはしないというのである。 ただ、その放送自体は面白く感じたので興味深く見せてもらった。 ただし、原作で何回か見たような内容ではあったが。

    放送が終ったのを見計らって、 「ご馳走さん」そうさけんだ。僕は、大抵この言葉で、 飯やのサービスの終了を知らせる。さすがにこの時の言葉を、 「くった、くった」をつかうわけにいかないだろう。 それこそ、ひとを「食った」話である。(やりー!)

    結局最後まで、にいちゃんはあいそうを良くしなかった。 大将は、というと、僕が、セットを食っている間に、2かいも便所にいくという なかなか素晴らしい態度に出ていたのであったが。

    相そうの良くない店で、うまい店がある。 というのは、よく19チャンネルテレビ大阪系の番組でよく聞く話であるが、 「無愛想」なだけでは、それに続く事実が導き出されるわけではないということ がわかったような体験であった。 味が平均点であったのだ。それならば、無愛想な分損したことになる。

    関係ないが、裕木なえは、 なぜ、ヤマト運輸のCMでしか見かけないのだ?


  33. 1996/7/28

    25才の「方程式」とはこれいかに?

    JRに乗っているときに見た(女性ファッション雑誌系の)つり広告で、

    「25歳の方程式」
    なんたらかんたら(ここがいいかげんなのは、決して、 いいかげんに覚えているからではない。不必要な引用は しない方がよいと判断したからだ,と言い訳する。)

    というものがあったが、これは何を意味するのだろうか。

    「ある有名な人が、25歳にこれこれ、こういうすばらしい格好をしとったよ。 だから、あなたも真似なさい。」と、でもいいたげな、 25歳には、こうするのが成功する方法だという、 公理か、あるいは、あらゆる自称から導出される定理として、 それを、25歳の女性や、25歳でありたい女性に訴えかけようとしているの だろうか?

    それ自身は、別に私が文句つけるべき問題ではない。 問題は、それの表現方法だ。 「方程式」というところである。 誰がつかいはじめたのか知らないが、 この方程式という言葉。 もともと、ある未知数の制約をあらわす等式の事をさしているものだが、 古くは、「恋愛の方程式は、因数分解では解けない」 と、ちょうど、その二つの概念を学ぶ中学生後半から、高校生前半の 悩める学生達の標語として、その言葉が言われていた事もあったが、 これの使い方は、そんなに咎められるような、ひどいものでは、ないだろう。

    問題になっている、「25歳の方程式」はこの使い方とは異なる使い方なのだ。

    ならば、どこにその起源があるのか? それは、私の知る限り、かの金ぱち先生の初期バージョン の中にあった、かの「加藤」が活躍する、 「腐ったみかんの方程式」というものであろうと推測する。 この言葉は、その話の筋から予想すれば、 「箱ごと買ったみかんは、一つのみかんが腐ると、 その周りのみかんも(はじめに腐りはじめたみかんを腐らせた菌 のせいで)順次腐っていく。 これと同じ事が、中学校における不良(加藤のような) についても当てはまろう。つまり、学校内に、一人でも(加藤) 不良がいれば(くさったものがいれば)その周りも、 不良化する(くさる)。という、経験的法則のこと」 のようである。

    方程式という言葉では、この言葉を括るのは、的外れにしか思えない。 さすが、国語の先生の(脚本家が、数学的な素養がなかったか?) 主人公のドラマだあ。と思ったりもしたものだが、 どうも、この「方程式」という言葉の語呂が結構の数の人間に 気に入られてしまったのかもしれない。

    この流れは、是非止めたいものだが、どうも有効な手段が思い当たらない。 このままいくと、また再び、第2第3の犠牲者 (製作者、読者とも)が生まれかねないので、本当に何とかしたいものである。

    だから、 「YAWARAちゃん」なんて、よびかたするのはやめろ、といったのに。


  34. 1996/7/27

    しかし、今日再放送されていた、料理の鉄人は なにかしら不穏な雰囲気を感じた。 最近のO-157かのおかげで、食材の見方にどうも、 ゆがんだレンズをかましてしまっているようだ。

    本放送は、今年の1月3日。それでも、 今年初の犠牲者が出たのが、2月であるから、 災いというのは、起こるまで、わからないということを 久しぶりに* 痛感する出来事であった。

    ついでに、大島渚の出演している姿も、いよいよその気持ちを 高めるのに十分なものであったことは、 偽らざる事実である。

    注*: 兵庫県南部地震による被害(阪神大震災)のことである。


  35. 1996/7/26

    UFOがらみのインタビューで、なぜ中南米の人が多いのか? ということを考えたことはないだろうか。

    私の場合、すぐにその思考が終了してしまった。 「金に飢えているのである。」

    大した調査もせず、このような早急な結論を出すことは、 まるで、もとNTVの番組製作者であったやおい氏の 「なぜ、カラスの死骸が見つからないか?」 という本の結論の持っていきかたに通じる危険がはらんでいないか? と、思われるかも知れないが、 安心されたい。

    私は、読者を悪意があって、どこかにつれていきたいわけではない。

    悪意は、それが歩かないかで決まるように思う。 もちろん、この文章自体もそのあくいがただよっていないとはかぎらないが。


  36. 1996/7/26

    前から気になっていることだが、 ”大黒まき”と名を語る歌手が「存在する」が、 なかなか、姿を見せない。

    そのむかし、松山千春が、どんなに、歌番組からのいらがあっても 決して出演しなかったということがあったが、 それとは違う、意味をこれは持っていそうで、どうも、気持ちが悪いのである。 (ちなみに、松山千春は、その歌番組ブームが去って久しくなってから、 超魔術番組「超魔術4(フォー)」 (それもだいぶ下火になってからのものであるが) にて初出演を果たしたという、情けない経歴が刻み込まれているのは、 注目すべきものである。)

    彼女は、某FMのDJを「していた」ときに、 「まきさんの夢は?」と聞かれた時に、 「ライブでコンサートを開くことです」 とかたっていたが、いまだにそれを行なう気配がない。 この発言は、単なるカモフラージュだったのだろうか?

    もうこれは、本人が、アフレコなし、あるいは、クチパクなしで 出演してもらう他に、納得のいく行為はあり得ないようだ。


  37. 1996/7/26

    小さな幸せの、容赦ない破壊

    研究室の近所のくいもんや、にて、 今日は金曜日という事実を描きながらはいった私は、 ただひとこと、「大盛り」と店員(入って間があまり立っていないと思われる) と告げる。

    その店員は、伝票に書きながらも、 店長と、おもぼしき親父から、「伝票書く前に、 飯、10こぶんつぐんやで。」といわれて、ひーひーいっているのが、 わかった。

    「頑張ってくれよ」

    と心の中で、ファイト!の声援を送りつつ、喉を潤すために、お茶を飲もうと 目の前にある、今時売っていない、鼻の長いポットの、 頭を押すのであった。

    そうやってみていると、なにやら、仏壇の前に飾るがごとくに、 こんもりとご飯を入れられた茶碗が一つ。 淋しげに、おかずを待っているのが見えた。のけぞるほどに、こんもりと である。

    これは、彼女がついだものだ。この直前に、並のごはんをついだ時、 少なめに入れてしまい、例の店長のおやじから、 「もうすこし、おおめにいれいや。」といわれていたことへの 反発であろう。

    ちょっと、おおめやなあ。と、おもっていたら、 やはり、店長からの声が。

    「それは、多すぎ。」

    すかさず、「すいませーん」といいつつ、しゃもじで、 一部のご飯をジャーに戻す、彼女。 なかなか、ほほえましい、情景じゃないか!と一人で喜んでいたのは、 私だけだろうか?(他の連中は、漫画雑誌に必死であった。)

    しかし、ある物事は、さまざまな側面において、見え方が違うもの である。それを身を持って知ることになろうとは、そのときの、 幸せ気分の私には、気づけるはずもないことである。

    「はーい、大盛りですね」

    その幸せ気分を味わって噛みしめるには、あまりにも短い時間であった。 先ほど見ていた風景の主体が、そのまま、私の目の前に、 彼女によって運ばれてきたのである。

    何ともいえない時間が、トメドなく過ぎ去っていったような気がした。

    「あの時、そのままにしていてくれたらなあ。」

    その言葉が、少し、とんかつの味を苦くさせたようにおもった。


  38. 1996/7/26

    ちょっとしたこと

    僕は、「 ベロ毒素」 というものを、今話題になっているものとは、 おもわず、何か得体の知れないものか、あるいは、

    ヨウカイ人間ベムの細胞兄弟だが幼稚なベロにちなんだ、毒素

    のことだと思っていた。 もちろん!後者の場合は、現実に存在するものではなく、 架空の世界のもので、ある共同体において常識化しているものだと思っていた のである。

    恥ずかしい話だが、それは置いておいて、 べろが、もし、第一動画系の名前からとったと、5百万歩ゆずって、 仮定してみると、やはり、つけた名前が 「ベロ」というところがよい。 「ベム」とつけるならまだしも、「ベラ」でもなく(これは、五輪真弓 がもう使用していて、あきがないという意味ではない) もっとも、弱そうな「ベロ」とつけるというのが、 名前をつけた人のセンスを見るところである。

    もちろん、「よわそう」だけに、かえって、秘めたる、 恐ろしい力を、幻想として抱いてしまうのも事実である。 それを拡大解釈して、(ひそむ)恐ろしさを持った対象 とらえるのも一こうである。

    おそるべし!、 英一君。(彼は、ガメラとツーカーらしい。) ではなくて、「ベロ」毒素。 この文章を書いたことによって、 本当に、こいつにやっつけられないことを 祈るばかりである。

    「ベロ毒素」:大腸菌 O-157のつくり出す毒素。 大腸菌自体は、大した害はないが、この毒素の人体に対する 影響は甚大である。今年の7月にはやっていた(る)伝染病は この毒素によるものである。 この毒素は、疫痢とよばれた、赤痢の一種でもっとも甚大な影響を 与える種類の病気の原因となっている毒素と化学的に同じものらしい。

    これは、 「だぁ? いちょう、切んのう? 苺をな、なめんなよ!」 (これは、苺とあだなされるひと(ちょっとヤンキーの入ったセーラー服 女学生か?)が、小生が銀杏を切るのを発見して、慌てて走りより、 それに慌てた小生が言い訳しかけた時に、 あびせかけた言葉かも知れない。)と、いらない方面にエネルギーを 消費する余裕を持てるほど、やわなものではないようだ。


  39. 1996/7/24

    洒落な年代

    言葉というのものは、難しい。 といっても、

    などと解釈することが、難しいといっているのではない。

    何度いっても、わからん人にはわからん言葉があるということである。

    たとえば、某わたくしの母親を例にとると、なるほどとわかる ことがあるので、ここに例示しよう。

    最初に聞き間違えて、1回目の発言でいい間違えることはまだしも、 それを訂正されても、その最初に自分で聞き取った言葉を いい続けてしまうのは、なぜだろうか?

    たんに、本当に区別がつかないから、という理由だけではなさそうな気がする。 (そうだったら、話も、そこで、ぷつんと途切れてしまうのであるが。)

    頑固さを表しているのか、ギャグの初志貫徹を貫く続けているのか? 私の感覚からいえば、後者なのであるが、それは、一般的には 当てはならないものといっているようなものである。

    なかなかの難問である。(といって、結論をはぐらかす。)


  40. 1996/7/20

    今日は、海の日、ということではなく(この日も、天皇がらみの日だそうだ) 、大爆笑というものの難しさを感じとる2時間があった未明があった。

    「しかも、 可換

    さっぱりわからないことばを、ここにあげたが、 すでに、ここで、大爆笑でなければならない。 ここのおよんで、

    「ふ、なに?なにがおもしろいん?」

    などといっているようでは、まったく問題外である。

    かといって、そうのような態度に及んだ人に罪があるわけでない。

    大爆笑というものが、単に言葉の操りだけでは、発生しないということである。 その時の状況、その場の人の気持ちの高揚、言葉のいい方 この三つが一体となって、「笑いの坪」を作る。

    それで、数学者のいたす時の・・・しかも、可換。は、 場の雰囲気気持ちの高揚をふくめた文脈の継続を供給しなければ、 共有できない、ものであるし、すでに、現在の自分自身にも できないことなのである・・・。

    ああっ。こんなことがかきたいのではなーい! 「しかも、可換」のわらいというのは、ため息混じりの「数学者ぁ」 という言葉が、続いて、「米田のじれんま」から、 「レンマの補題」を透過する……。

    ぜんぜん、再現できないこのモドカシさは、笑いのある時には、 大抵あるものであるということは、しっていたが、 これほど悔しいことはない、ということである。

    しかし、いらんときに(笑ってはまずい時に) その文脈(その爆笑へはいるまでの状況の再現するための環境) を再現させるような状況を体験してしまうもので、 どうしようもない、笑いの恐怖に襲われて、しまうのは、 ありがちのことで、困ってしまうものである。


  41. 1996/7/19

    先日、と、いってもいつだったか定かではないのが、 どうしようもないことなのであるが、 尼崎市市制80周年のイベントで、 阪神電車の臨時列車が梅田から出屋敷まで走った。 (出屋敷とは、尼崎駅の神戸より一つ目の駅)

    それじゃ、どういう名目で走ったかというと、 「ウェディング・なんとか」(またいい加減な記憶をロテイした) ということである。どういう理由づけかは定かではないが、 市制80周年で、公募した市民の結婚予定の人々を集めて、 いっしょに結婚式をあげようというのである。 (ということは、「出屋敷」近くでそれを挙行したということか?)

    そこで、気にかかったのは、いっしょに結婚式をあげるということを 「合同結婚式」と表記していたこと、 別に、不思議でも何ともないことだが、 擦り込みされた回路が、ピクピクと反応してしまった。

    うーん


  42. 1996/7/19

    カジノ・ド・三の宮は、どうなっているのか?

    あの、「待つのもよし」「待たせるのもよし」「あえば、さらによし」 のCMで名を馳せた「あれぶー、カジノ・ド・三の宮」はどうなっているのだろうか?

    震災前においては、少なくとも1週間に一度は、サンテレビで見られた そのCMは、あの日を境に、全く見られなくなっている。 大丈夫なのだろうか?

    筆者は、阪急全通直後の1995年6月12日に三宮にいったが CMの画面の説明だけではわかりえないその位置を探すのを断念せざるを得なかった。 そもそも、駅の北側は、立ち入り禁止になっていたのである。 それ以来、マトモに探す機会を得ていないのであるが、どうなのか、 上のセリフをいいながら、心配になる時があるのだ(今がそうだ)。


    カジノド三の宮の存在地説明地図イメージ

    ついでながら、「模型のつばめや」のCMも見ないが、 どうなったのだろう。そのCMの最後に、「もけいのつばめや。姫路西宮」 ということをいっていたが、「西宮」はともかく、「姫路」は大丈夫だったの ではあるまいか。そのわりにCMを見ないのは、…。これも、心配である。


  43. 1996/7/18

    蚊は、とんでもないやつである(かといって、飛んでないわけではない)。 知らぬ間に、さしていながら、気づかない間に、とびさっていく。 なかなか、腹だたしい奴である。

    こんなことがあった。家の玄関の前で、ドアを開けようと、鍵を じゃらじゃらさがしていた時、妙に、痛いようなかゆいような感覚に 襲われた。

    これはただごとではない、と察知して、その感覚部分を見つめると、 例のかゆさでは、普通の家蚊にもまさるという、あの黒地に 白の縞のはいったやつが、気持ち良さそうに、吸血している 現場があった。

    すかさず、コンシンの力をこめながらも、腕にはやさしいという 微妙なバランスの力をこめて、(この調整に手間取るとその標的に うまく逃げられてしまうこともあるので、注意が必要だ。) やつを、叩き潰した。

    この時の興奮は、何ともいえないものである。 ただ、その直後から襲ってくる、まだまだ、蚊があるのとちゃうか、 という恐怖感がその興奮をかき消し、妙に騒がしく 体の各部分を動かしてしまわないと落ち着けない気分になってしまうのである。

    と、いいつつも、「被害は、これいじょうない。」という 一種の安心感に包まれるのも事実である。 その時もそうであった。

    叩き潰したとはいえ、結構の時間すわれ続けていたので、 その部位のアレルギー反応は、覚悟していた。 いえにはいってしばらく待っていると、 確かに、その部分は、はれてきた。あの独特の、爪をたてたくなる 膨らみである。しかし、様子が変である。

    次から次へとその膨らみは、増えていき、遂には、4つになったのである。 それは互いに5センチの距離を持ってジグザグにならんでいた。

    このときほど、あの叩き潰した、蚊に対して、憎悪を抱く時はない。 喜びから、怒りの状態へ変化する際の落差は、喜んでいなかった時の 何十倍と感じられるのだ。くやしい。 といっても、あの蚊の犯罪は、このうちの1つなのだろうが やんどころなき、いかりは、その蚊にぶつけるしかなかったのである。

    やはり、おそるべし蚊であった。


  44. 1996/7/17

    ふと、目を通りに面した家のアミドに向けると、 そこには、目玉が、12こほどあったということはないだろうか?

    それも、すべて猫の奴である。揃いも揃って、道に面したアミドつきの 窓から、こちらを見ているのである。自分が動くと、猫の視線が それに同期して動く。前にいって、少し戻って、また前にいっても それに応じた眼球の動きが、体を微動だにせず、6匹 完全に同期して行なわれるのであるから、奇妙窮まりない。

    やはり、こういうことで驚かされるのは、 普段から、猫に対して、攻撃的に見える態度を示してしまう ことに対する、猫からの報復なのだろうか?ん?

    関係ないが、その昔、「24の瞳まんじゅう」というものが、 香川県の小豆島の土産もの店で売り出されたことがあったが、 「多数の目」が気持ち悪がられて、売れなかったそうな。

    (まだ売っているのだろうか?)


  45. 1996/7/14

    ムシムシした、梅雨ともおさらば! とでも、言い捨てたかった梅雨ももうそろそろ開けようとしているが、 ムシムシから解放されるわけではないのが、実情である。 単に、ムシムシと、暑さの配分が、少しだけ暑さにシフトする だけのことである。

    暑い季節は、気持ちをそれ以上の燃え上がらせ、 外部の温度を相対的に低くするのがいい。(何がいいたいんや?)


  46. 1996/7/12

    ギャグ許可証といえるべきライセンスを持ち合わせていることが、 発覚したのは、この未明のことであった。

    この世の中で、どんな時にでも、ギャグを飛ばせる

    これを保証された、唯一の人であったことを再認識する出来事であった。 (ただ、認可団体が、限りなく、個人に近いところがたまに傷だが。)

    洒落許可証


  47. 1996/7/11

    懸案となっていた(どこでだ?)、「大将棋、中将棋、小将棋」であるが、 これは、兵庫県篠山町の知る人ぞ知る、 「青山歴史村」のなかの、展示で詳しく知ることができる。 (ハイ館中ずっと聞けるあの手作りナレーションは秀逸である。 聞き逃さないようにしていただきたい。)

    青山歴史村といえば、私は、そのなかで、家臣の一覧表の ようなものがあって、 そのなかに、「川勝」の名前があったのを見つけたときは、 何ともいえない、喜びに包まれた経験を持つ。

    この手の、ささやかな喜びというのは、読者も経験があろうかと思うが、 その「ささやか」さだけに、ついつい忘れてしまっているのではないか。

    記憶に残らないけれども、ぎすぎすした気持ちへの一服の清涼剤 として、結構役に立っている、この喜びを、それ以来噛みしめるように 味わいたくなってしまった。


  48. 1996/7/7

    今ごろ書くのは、遅過ぎるかも知れないが、 阪急電車の車内で見た「宝塚歌劇」のつり広告である。

    How to succeed というやつなのだが、それをイメージした 省略形として次のようにあった。

    H2S

    それも、2は少し他の文字より低い位置に書かれてあった。

    硫化水素(H2S)を意識してのことだろうか?(どういうふうに?)

    H2Sのロゴのイメージ図

  49. 1996/7/6

    子どもというのは、大人がびっくりしてしまう言動をしてしまうものである。 それは、彼らに、まだ常識となっていないわれわれの常識による歯止めが 存在しない理由によるところが多い。まさにその例を体験していたので、 それをつづりたいと思う。

    JRの新快速にのっていたときの話である。

    ちょうど、僕が座った席に最も近いデッキに、 女の子2人の子どもとお母さんの3人組みがいた。 私の席の通路を越えた反対側の席は、4人がけの席であったが、 青年が一人座っており、どうしても、そのお母さんが、その人と 席を共にするのが、生理的に許されないらしく、わざわざ、席に座らず、 「たって、景色見ましょうねえ。」と言い訳がましく言っていたこと も注目すべきではあるが、それはこの主題から離れてしまうので、 おいておくおこう。

    その後の、親子の会話でそれは、出現したのである。
    「あらー、きれいねえ。あれみてあれ。」と母親が、外のパチンコ屋の 電光を見て子どもに見るように促す。すると子どもは、
    「わー、星みたい。」とともに叫んだが、大きい方のちょっと 口の達者しょうな女の子が、パチンコヤの隣のちょっとくらい、光を見て、 勘違いしたのか、
    「あれって、ほしやねえ。」
    そこまではよかった。
    「あれって、死んだ人のほしやね。」
    これは、困った、という母親を尻目に、
    「人って、死んだら星になるんでしょ?」
    と追い討ちをかける子どもがそこに入るのであった。

    その時僕は、「がんばれ!おかあちゃん」と一人つぶやいているのに気づく のであった。

    そのあと、JR宝塚線で見た「女喰い」を熱心に読んでいた、渋めのおやじと、 お茶の水博士、某駅の駅員の右手の小指のつめだけがなぜか長いというのは、 その話に花を添えるものであった。


  50. 1996/7/5

    衝撃のオバアちゃん(京都)

    これは、先に私が広島へ、 学会をききにいった時のことである。

    京都駅に9時15分に待合わせなのに、そのバスは、 9時15分頃まだ、 三十三間堂の前を通過中であった。

    「もう、いそいどんのになあ。」

    そう、小声に漏らしながら貧乏ゆすりしたいほどに、 あせっていた。

    そして、バスは、「博物館三十三間堂前」に到着し、 のそのそっと、客が降りていった。その最後の客に、あるオバアちゃんがいた。 他の客に比べ、彼女なりの、「スタート体制」をとっているのが、 それとなくわかったが、それが今後、どういった結果をうむのか? といったことは。少なくとも暗示しているようには感じられなかった。 その時は、そこまで、想像している余裕はなかったのである。

    そのオバアちゃんが、したこうどうとは何だろうか?

    スタート体制を万全にしていた、おばあちゃんは、 逃げるように、ステップを降りたかと思うと、 バスの進行方向に、柵の向うの舗道を走りはじめたのである。

    バスの運転手は、そのとき、立ち上がりかけながら、 「おばあちゃん!」と、強く呼び止めるように叫んだが、 そんなことで、ひるむような相手ではなかった。 運転手も、このままバスをおいて追いかけるのは良くないと思ってか、 そのまま、ゆっくりと、バスを走らせはじめた。 で、そのままいってしまうと思ったが、どうも、オバアチャンの全速力に 併せて、バスを転がしているようである。 「まさか?」と、おそらく他の乗客も思っただろうが、 そのまさかであった。

    そのおばあちゃんが、道路と並行の歩道から、三十三間堂の駐車場へ、 逃げるように方向転換したときである。 運転手は、それをそれを見逃してたまるか!といわんばかりに、 バスを停止し、ハザードランプを点滅させ、ハンドブレーキをひいたと思うと、 バスから、飛び降り、叔母あちゃんの消えていった方に走っていったのである。

    しばらくして、その駐車場のへいの影から出てきたのは、 運転手だけであった。しかし、その顔には、「してやったり」 といわんばかりの笑みが、浮かんでいたのを用に確認できるほどの顔を していたので、「徴収完了」の事実を、まざまざと感じざるを得ないところ であった。

    そのあとの、オバアチャンは、走りさるバスの後方にも確認できずに いて残念だったが、塀の向うの想像の世界で、 思わず、そのあとのの京都駅までの行程は、あっという間に過ぎてしまった ことは、いうまでもないことである。

    待合わせの遅れは、きっとこれが解消してくれるはずだ、 と、その時、確信できた何かを感じた。(実際はどうやったのかは、秘密)


  51. 1996/7/5

    どうして他の国には、ないのかしらー

    某殺虫剤メーカーアースの、いわゆる 「ノーマット」の蚊とり線香の CMは注目に値するものがある。

    普通の人が見れば、このCMの中で、一番印象に残るのは、

    なるやりとりであろう。

    しかし、これは、「超」に代表される日本語の言葉の乱れを テーマにして、笑いを誘おうとしてるんだな、とか、 「チョー」は、某ライバルメーカー「**チョー(大日*除虫*)」 の「チョー」を指している、という 比較的わかりやすい、笑いの種であって、 結構、後には残らない笑いなのである。<\P>

    「いや、これで十分笑える。」というひとは、多いとは思うが、 もう一つ、おく深い笑いの場面を忘れてはいまいか?

    お妃の「どうして他の国には、ないのかしらぁ」

    である。これは、

    が、一度それを意識してみたものに、無限の記憶の復活を 繰り返させて、何も頭の中で作業していない時(ぼーっとしている時など) 思わず、マントのジェスチャー付きで、演じてしまいたくなるものである。

    真の笑いは、ある一線を超えて得るものだ、と、改めて感じた一瞬であった。

    CMびぼうろくにも掲載。


  52. 1996/7/3

    ジャフメイトと、メイト

    おもわず笑いがこみ上げてくることは、 えてして、他人とその笑いを共有し難いことが多い。

    そう、何を隠そう、この記事の題名になっていることもその一つである。

    ジャフというのは、最近、唯一高速道路をただで入ることができる 団体だということで、同業の民間団体から、攻撃を受けた、 国の息のかかった社団法人 日本自動車連盟であるが、 この会員へ毎月送付される小冊子のが、「ジャフメイト」である。

    その小冊子の表紙にかかれている 白字の「ジャフメイト」という文字が、 ぱっと見た時に、「シャブメイト」と見間違うかも知れないということを 思いついた時に、いっそのことそれを書き換えて、「シャブメイト」 にすれば、それを見た人々が、大爆笑するのではないか、 と思い立ったのが、始まりである。

    これを、如何にして書き換えるか。 「ジャフ」の「ジ」の点点は、背景の色のにているボールペンで 簡単に消せるが、「フ」に付け加える、点点は、いかに、するかという ことで、少し、悩んだ。その結論は、小さい紙片2つを「フ」 の右肩に並べて、糊で張り付けるという作戦だった。

    普通は、それを思い立っても、その場で笑い話にするだけで、 実行はしないものだが、そのときは、実行してしまったのである。

    「大爆笑もの」であることは、我々には、必至であった。 しかし、これには大きな欠陥があったのだ。

    まず、気がつく確率が低いこと。 大体、「ジャフ」と「シャブ」というのは、遠目でみても、 はっきりと区別できるものではない。 そこで、は、と思わなければ、それでおしまいである。

    つぎに、本当にそれが、大爆笑ものか?ということである。

    これが、この記事の主題なのであるが、これは、 一度大爆笑を経験したものがなかなか、気づかない大きな落し穴である。 特に、人が介在しないで、それを、不特定多数の人間に 見せたとしても、大きな笑いを誘うかは、大きな疑問である。

    そういう理屈は、十十わかっていながらも、してしまう我々も、 やはり、人間の性(さが)というものから、のがれなれないものだ、 と、つくづく思う今日であった。

    コーヒーを飲むテーブルにてこうかいちう!

    我々というのは、私と、だれでしょうか?


  53. 1996/7/1

    あら、こんなところに……

    私が、ある家を尋ねた時、ある、素晴らしいものを目撃した。

    「10回10回言ってクイズ」二見書房

    表紙は、異様に顔の大きい10代20代かわからないぐらいの 女の子の描かれているが、なぜか、手の平を枕にするようなしぐさをしている。 (何かのアッピールか?)

    内容は、あの1年ぐらい前にはやった、

    という類の、思い込みによる誤答をさそう、まやかしクイズである。 この問題は、(この本とは独立に私は知っていた) 問8であった。 ちなみに、問12、「伸びたラーメン」を10回いった後のクイズ、 「ドラえもんの恋人は?」という問には、答えることができなかった。 答えは、猫のミーちゃんらしいが、はたして本当だろうか?

    そして、この本のキャッチフレーズがこうだ。

    「ぼくにも、彼女にもわからない。100%間違えるクイズ!」

    これはすごい!と思って、開けてみれば、 はじめの20問だけ、10回クイズで、残りの80問は 単なる「ドラえもん謎なぞ大行進」 より少し知的な程度の 謎なぞクイズで占められていたのである。

    いくら、小中学生むけの本とはいえ、

    看板に偽りあり、では、許されまい。


  54. 1996/6/30

    夜中には特に映える黄色の看板

    前から気になっていたことであるが、 西日本旅客鉄道線新大阪駅の大阪方面駅の電車から見える、 以下の電光看板はいったいなんなんだろうか。 もちろん、健康食品としての鮫の軟骨の店であることはわかる。 それにしてもである。なんだろうか?

    店の正面と思われる方の看板

    正面ではない方の看板。 少し、上の看板より長さが短くなっていることに 御注目願いたい。そのうえで「C」をみれば・・・

    やはり、ただものではない、鮫の軟骨である。 新大阪下車の際は、ぜひ自らの肉眼で、観賞していただきたい。 ただし、新幹線からでは見えないので注意が必要だ。 あくまでも、在来線、大阪方面ゆき、である。


  55. 1996/6/29

    インスタントラーメンのもう一つの味わい方

    結構知られていることかも知れないが(?) インスタントラーメンは、煮てくうこと以外に、 そのまま、ガリガリと食うことができる。

    こういうと、大抵、「そりゃ、まあ、そのまま食う、 ことは、できるだろうが、普通の人間はしないだろう。」 という答が返ってくるだろう。

    ところが、そういう人に「それやったら、まじで食ったことあんのか?」 という質問をぶつけると、「くえるもんでないもんを、 なんでくわなあかんねん。」といったようなことをいう。

    それは、はっきりいって食わず嫌い以外の何者でもない

    あの味は、ほかのなにものにもたとえようのない、 おいしさを秘めているのだ。

    「でも、チキンラーメンなら食ったことがある。」と、 今ごろになって、反発をする人もいるかも知れない。 しかし、チキンラーメンは、ここでいうインスタントラーメンとは種類が違う。 あれはほとんど、濃い味のベビースターラーメンだ。 (もしくは、昔のベビースターカップラーメンの方がより近いのかも知れない)

    あれとは、本質的に味が違う。 麺と、それをあげた植物性油の絶妙なコンビーネーション によってのみ醸し出される味である。

    これを機会に、御賞味されては、いかがだろうか? ちなみにお勧めは、エースコックのワンタンメンである。 コーヒーカップに、スープをつくって、それをのみながら 食べるのも乙だろう。


    ただし、一度食べてみて、嫌いになったら、とことん嫌いになってしまう ことがあるということだけはいっておく。


  56. 1996/6/28

    ぶーめらんと・・・・

    「つれづれ」のコーナーの中にある ひとつのエピソード、「ぶんべらん」についての話の中で、 ある一つの事実が、隠蔽されているという事実を、 筆者(川勝)が意図的に隠しているということが、 密告電話ににた 伝わり方で、耳にはいってきた。

    まえ、間違えて、「べーめらん」と書いとったやろ。


  57. 1996/6/25

    今日は暗い蒸し暑い梅雨の日

    以前にも同じような表題があったなあ。

    今日のように、曇でかつ、暑い日は、うんざりとした気持ちになり、 時に、とんでもないことを思いついたりする。

    「時計が壊れたよ。どうしよう。」

    答え:ほっとけい。(ほうっておけ)

    このような、 とんち的なぞなぞがあるのを、全く役にも立たないのに、突如として、 思い出したのだ。それだけではない。 うそドラえもん(すなわち、藤子不二雄Fの描いていない絵で、 忠実に真似をしようという心を途中であるいは、はじめから、放棄して かかれたものである。)が、めんどくさそうに、大きな鐘の二つついた 目覚し時計を蹴り飛ばしている映像(「いたくないのだろうか、 素足で、あの様な硬くごつごつしたものを蹴ると、大抵痛い思いすると 思うのに」という心配は無用である。そのことは、 うそドラえもんには全く、関係ないことのように感じているようなのだ。) を思い浮かべてしまうのである。

    このような、大変憂鬱な気持ちになる時に思いつく、 このような、やる気のない問題を、 それも、これをとりに持ってきた本があったという事実も含めて、 真面目に考えていた出版社の担当編集者は、一体どういった神経の持ち主 なのだろう?とおもってしまうところである。

    かんがえれば、こんなことをいいはなってしまうことも、 編集者にしたら、大きなお世話なことであるし、 見方を変えれば、大変な愛情をこめた問題であるともとれないことはない (これぐらいの洒落は、子どもとして容認されるべきだから、 「面白くない」からといって、非難されることは、ない。どんどんつかえよ!) わけだから、上のような非難も、そんなに説得力のあるもんではない気が してもくる。

    これも、この如何ともし難い梅雨のせいなのだろうか?

    やる気がないといえば、 CMでおける和久井 映見 も相当やる気が内容に感じられてしまう。 「映見」だけに、「映画みる」ように、台本通りの動きもいいが、 もっと、人間的な演技を見せて欲しい気がする。 (憂鬱な気候に身をおく人間のたわごとであることを割り引いても 結構核心をついていると言い切れるとおもう。)


  58. 1996/6/25

    高額なサービス

    実は、これからいうことは、もっと早く知らせるべきことであったが、 諸般の事情により、できなかったことをお詫び申し上げておく。 (そんなに深刻にの言葉を受け取る必要はない。単に、 このネタを書くのに必要なエネルギー状態までれいきするのに時間が かかったというだけのことである。)

    日本一高い時報あらわる

    先頃、広島に滞在していた筆者は、 広島の歓楽街を歩いていた ときに、恐ろしいほどの重大な事実を知ることとなった。

    117:料金 3,800 YEN

    それは、正方形の紙をわざわざ斜めに使って表記された文面によって、 あきらかにされていた。

    何という、信じ難い事実であろうか。 ただ時報を聞くだけで、3800円とは。一体どういったことだろうか?

    しかし、ネタがばれそうなので、これで止めておく(もう手遅れという、 事実を覚悟していた方が賢明なのである。)

    its image picture (ただし、本まに、どうしようもなく汚い)


  59. 1996/6/22

    以下にあげる洒落は、実は、 パクリである。 最初にいっておけば、何でも許されるという ものでもないが、とにかくそういう危険をも冒す価値があるほどに、 すばらしいもので、余白に書き込まれたまま、他人にも、さらに、本人でさえも、 その存在を忘れ去って、あるいは、知り得ずにいるということは、人類にとって 大きな損失に値することであろうということは、確実と思われるものなのである。

    unique -> ユニーク -> ユニイク -> 湯に行く

    (その時の話題の一つに、 旅行先をどこにするか?というのもがあった。)-> そうだ。温泉にしよう。

    もちろん、この元になった記述には、ここまでの推論過程までは 記述されていなかったが、 自分の洒落に自信をつける為に、 漢字の上にルビ書きし、それを、何度もなぞりがきしてしまっていた という、 見逃すわけには行かない事実があったことは、特に、追加報告を要するものである。

    しかし、このパクリのもとも、じつは、「どこかの落語からとった」という 事実が明らかになった。なんということか。(1996/6/27)


  60. 1996/6/22

    筆者が広島の学会をききにいった、その帰りに JR京都線(大阪-京都間の愛称)を新快速にて京都方面に 走っていた時のことである。

    わたしは、新快速の席を、混む時間にもかかわらず、 確保できたことをから、周りの人の会話を楽しむほどの余裕を もつことができた。 そんなときに、耳にはいってきたはなしである。 話の主は、タバコ好きの、喋りの結構大きい会社の課長か、部長 クラスのひとである。会社は、植物関連の業務を主とするものらしい。 その人の話は、実は、どうでも良かった。 内容というよりは、一つの意味を与える単語に注目したのである。

    「うちの女房が。。。」

    「うちのやつが。。。」

    「うちの家内がね。。。」

    「うちのかみさんが。。。」

    「つまっちゅうのは。。。」

    「うちのあれが。。。」

    すばらしい。これほどの単語を使って、自分の妻の表現をするとは。 なにか、目から鱗が落ちるのを感じる出来事であった。


  61. 1996/6/14

    以前 にもいったと思うが、駅名の正式決定した、「JR東西線」。 このなかで、もっとも気がかりだった、大阪駅に一番近い駅の 駅名であるが、「北新地」というものにきまっていた。 それで、また、ひと騒動あったのだ。

    「桜橋」にしろ!

    そういうのである。どっちもどっちだと思うが。(大阪以外には、どちらも 有名な地名でない。)まあ、声の大きい意見というものが通るのが 民主主義だから、もし、ほんきならせいぜい頑張ってもらいたい、 というぐらいにしか、感じないけれども。

    「桜橋」派は、”不利な立場”であることを結構認識していて、 「桜橋北新地」とか「北新地桜橋」とかいう折衷案を出してきているとか。 どうなるんでしょ?

    (値段によるけど)結構利用しそうな駅なので、 あまり長い名前にはして欲しくない、というのが僕の要望である。


  62. 1996/6/13

    蒸し暑い

    この熱気と湿りけは何だろう。梅雨、ということだろうか。 こういう季節になると、飯の作りおきを見ているだけで、 背中が寒くなる思いがする。しかし、涼しくならないという、全く ええとこなしの事象なのである。 そう、そのことが、特に生々しく感じるのは、次のような経験があったからだ。 夏の、蒸し暑い日、その時は、夏休みだったので、前日のついついしてしまった 夜更かしの余波で、昼すぎまで、ついついダミンを無さぼってしまった時があった。 そのダミンが、度を過ぎて、既に3時を時計が指すまでになっていた。 そのときは、 すでに、母親は外に仕事に出ており、飯は、作りおきになっていた。 そう、問題は、その飯をいつ作ったである。 もうろうとした意識の私は、そういう、考慮すらも、働くなくなっていたのである。 その飯を見つけると、(けちゃっぷチャーハンだったので)スプーンを右手に、 一気に、その、飯の山に、突き刺したのである。 錯覚か?とおもった。めしが、妙にてかっているのである。 しかし、もうろうとした意識は、それを、 食欲に都合の良い解釈をさせてしまったのである。

    「うまそうじゃないか」

    そうつぶやきつつ、2、3くちは、やった。

    後は、推してはかるべしである。あれ以来、この高温多湿と、作りおき、 この組み合わせには、恐怖を感じざるを得ないのだ。


  63. 1996/6/11

    夜中に、天井裏を走り回る鼠!なんとかしてくれ。

    早朝から、「ひょーーーう!」とか集団で大声あげるのは、勘弁だ! もう、梅雨やしなあ。(関係なし)


  64. 1996/6/11

    二人は大人

    という曲をご存じだろうか。 もし、知らなければ、「愛しいゼフィランザス」は知っているだろうか。 「ああ、ゼフィランザスなら、カラオケ勝ち抜き選手権(サンテレビ) で、どこかのおばさんが歌っていた曲やな。結構記憶に残ってるで。」 とつぶやいた人は、マニアか病気の人であろう。そういう人は、 おそらく、奇跡の下手な手品魔術師 「平田旭人」が、 みのもんたに、 「旭人さん」ではなく、 「平田さん」ともっとも呼んで欲しくない呼ばれ方をされて しまったテレビ東京系の番組名 をカンパツ入れずに答えられることであろう。

    普通の人が知っているとすれば、私の同年代の尼崎市民であろう。 さらにいえば、ちゃんと成人式会場にいった人。 そこで、手配りしていた、カセットテープを捨てないで持って帰って、 いまだに保持している人である。これも、考えれば、かなり絞られるような気も するが、それでも、まあ、いないことはないかもしれない。 (だいたい、上で述べた「おばさん」も息子か蒸すからもらったテープで覚えた としか、考えられない。あの家庭では、やはりこの二曲は有名なはずである。?)

    是非気いてもらいたいがポール牧の「指パッチンの歌」(名前は定かでない) のCDすら探すのに苦労しそうなのに、もしてや、松本英彦(あのひとと同姓同名)& ファミリービジネスといわれても、ねえとおなげ気の人すら、いないという状況に 私は、どうすれば、良いのでしょうか。(自分で考えます)

    知ってたら、ホームページの場所を教えてくれ、リンクをはりたい。 (どっかできいたようなふれーず)


  65. 1995/6/9

    私が、大阪梅田阪急三番街へ、紀伊国屋書店のあるフロアからの階段で、 おりたった時に、妙な出来事にでくわした。 女のひと二人と、それを止めようとしているような男一人が、 絡み合っている。その中の一人の女が、ヒステリックに、 「これはあたしのです。皆さんきいて下さい!われあたしのなのに、とろうとする ですよ!」とさけんでみれば、 その人が持っている鞄をつかんで、逃がすまいとしているもう一人の女が 「このひとおかしいんです!これは、店のものです(ここは、記憶が曖昧)」 とか、いいたなっている。男の人は、その仲を「まあまあ」といわんばかりに、 取り持とうとしているが、一向にうまくいかない。 その、3人が絡んだ状態で、どんどん移動していくのであるから、 周りの人々(私も含めてだが)は、足を止めずにはいられない。 しかし、その状況は、何か進展するわけもなく、誰かの通報によって駆けつけた、 セコムのにいちゃんたちに、とり抑えられて、一人一人別々に、 つれていかれていった。その時にセコムのにいちゃんがいった説明が、笑えた。

    「何(なん)も関係ないですから。」

    確かに、関係ないが。

    その後30分後に難波の地下街で、「ちゃーっすぞ。」とかなんとか 彼の前にハダカル誰彼につけ、さけんでいた風呂にずいぶんはいってない人を 目撃した。どうも、世の中やんでる、という思いのした一日であった。


  66. 1996/5/30

    昔、ある言葉を間違って記憶していることがあった。 「ぶーめらん」である。 この言葉を私は、「ブンベラン」と覚えていたのである。 原因は定かではないが、おそらくは、音で記憶していて、それを修正する機会、 例えば、文章の中でそれを見つけるとか、友達にその言葉の間違いを指摘される こととかが、それまで、なかったことが原因であるとするのが、もっとも落ち着きのいいところであろう。 私の場合、その解決はどのようにおこなわれたか? それは、アドベンチャーゲームである。 これは、どういうことかというと、その時、所有していた、8ビットコンピュータで せっせと変なゲームを作るのに熱中しており、とくに、アドベンチャゲームは、 その際たるものであった。 そして、そのゲームを友達にやらして喜んでいたのである。 そして、そうこうしているうちに、問題の事件が起こるわけである。 当時、アドベンチャーゲームは、コマンド入力方式を採用していた。 正しい綴り(カタカナ)で入力しないと、進まないのである。 問題の「ぶんべらん」の登場である。 そのゲームに興じていたある友達が、画面の絵から判断して、 その「ブーメラン」をとる、旨のことを入力したが、反応しない。 あれやこれと入力しても同じであった。 なぜか?そう、作者が、「ブンベラン」を本当の綴りと思っていたから、 反応しなかったのである。 後は、おしてはかるべしである。 しかし、このような恥ずかしい、過程を通過してこそ、 大きくなれる(大げさ)のも事実であるからしょうがない。 ただ、こういうことは、できれば、早いうちに済ましておくことに こしたこはないことは、断言できよう。


  67. 1996/5/29

    今年は、気がつけば、暑い季節に移行していた。そのような印象を持つ。 そう、去年は、こんなにあっさりとこうはならなかったのだ。 その原因は、「鼻」である。去年は、これに難儀していて、「気がつけば」 というように平和りに過ぎゆく時期には、到底なり得るとは 考えられなかったのである。 何をするにも重くのしかかるあの鼻の重み、もうそれを思い出すだけでも、 いやな感じを持ってしまうのだが、今年は、それすらが嘘であるかのような、 さわやかさだ。 それでも、3月までのある時期には、鼻が少し重くなる現象を体験は していたのだが。やはり、去年は、以上に花粉が多かった年だったのか、 と、あらためて、感慨にふける思いである。


  68. 1996/5/24

    尼崎から京橋までを地下で結ぶJRの地下路線「片福連絡線」の正式名称が、 先頃 JR東西線という名前に正式決定した。 「東西線」て、地下鉄が付けそうな(東京の営団地下鉄でもあったか) 名前だが、JRの路線である。JRの路線の名前で、地名が記されていない 路線名というのも珍しいのではないだろうか? また、同時に各駅の正式名称も決定した。それによると、 「桜橋」と借りの名前で呼ばれていた駅は、結局「北新地」 という名前になったようである。 例の、「激しい運動」が功をそうしたというところであろうか? JR西日本は、「沿線住民の希望も考慮して(駅名を)決めたが、 どの駅が、その結果であろうかは、いえない」としている。ふーん。


  69. 1996/5/24

    だれか、「ウォーリー軍曹」 の行方をしらないか?

    実は、前から気になっていたことであるが、 題名にあるように、「ウォーリー軍曹」は、一体、どうしているのか? もっといえば、そもそも、彼は一体何者?という疑問が、 ことあるごとに、私の脳裏を走るのである。

    「ウォーリー軍曹」といわれても、いったいどの軍曹なのか? あるいは、そもそもそういうひとはしらない、とおもうひとは、 少なからずいるであろう。(しっている方が、ほとんどいない というのが、正確だろうか?)だから、全くの紹介なしに、 放っておくことは許されないであろう。ということで、 以下に、わかっていることを箇条書にする。

    ほとんど資料になるデータがない。と、おなげきの人も多いだろうが、 実際ここまでしかわかっていない。

    是非、しっている人に教えて欲しいものである。

    もし、これが、再放送された時は、要チェックである。 それを見ることによって、疑問は半分以上解決されるかもしれない。 それ以上に、この「ウォーリー」の独特の奇妙な雰囲気を リアルタイムで味わえる、と、いうことだけでも、その価値は十分あると思う。


  70. 1996/5/24

    Real-time性を要求するプログラミングは、なかなか、簡単にはいかない。 とくに、実行環境が、それを許してくれない時は、そうである。 ここにあげるものは、 厳密にいえば、リアルタイム性を持っていない。 だから、「リアルタイム」性云々いうことは、間違っているのかもしれないが、 単に実行環境が、「素晴らしい」ということを証明するものにはなっている。


  71. 1996/5/24

    お肉で、クッキングという番組は、必見である。 もし、斉藤慶子ファンならなおさらである。 でも、同じ斉藤は斉藤でも、ゆうこの場合は、見ない方がいいだろう。 まだ、ドクタースランプあられちゃんのビデオをレンタルビデオで借りてきて 見ている方がましである。(斉藤慶子に丸い大きなめがねをかけさせた場合は、 その限りではないかもしれない。) この番組は、日曜の朝から、肉を食おうといわんばかりの 時間に似合わない内容の放送であるが、それだけに、視聴者層が、厳選されて、 熱烈なファンをつくり出すことになっている。 しかし、それでも、この良さをしらないで、休日の朝を自らの堕眠を むさぼることによって、放棄しているのはあまりにも愚かだ。 一度、その眠さを冷水でうちまかして、見てみることを勧める。


  72. 1996/5/22

    TV ドラマの、VTR versus film

    最新の「はぐれ刑事純情派」は、VTRである。 前のバージョンまでは、確か、filmだったはずであるが、 今回からは、VTRに変わったようである。

    あまりこれは、褒められたものではないと思う。 というのは、ドラマは、やはりフィルムのほうが、重みを感じるという理由から である。

    VTRはたしかに、編集しやすく、保存もしやすいかも知れない。 しかし、その映像は、あまりにもリアルで、逆にそれだけに、 ドラマという「虚実」もあからさまにしてしまうのである。

    だから、あえて、虚実たるドラマの重み、言い替えるならば、 そのドラマに感じる「リアリティー」をつくり出すには、 一歩引いた映像であるフィルムの方が、かえって好印象なのである。

    たとえば、「暴れん坊将軍」(フィルム)と、NHKの時代劇ドラマ を比較して欲しい。後者の方は、妙にセットが身近にかんじられて、 「劇」という印象がよりましてしまい、どうも、融けこめないと感じたので はないだろうか?フィルムとVTRは、その媒体以上の、 見る側のそのドラマに対する印象を豹変させてしまうのである。

    それだけに、安易にVTRにかえるべきではない。 「はぐれ刑事」は、是非、フィルムに戻してもらいたいものである。


  73. 1996/5/21

    TV CM で気になるのは、「宝くじ」のやつである。 何が気になるのかというと、その映像である。 と、いっても、映像の構成が気になるというのではない。

    映像が汚いのである。

    おそらく、VTRの質の問題だと思うのであるが、 それにしても、家庭用のVHSビデオの3倍モードで録画したような 映像だけは、止めて欲しい。いったい、どういったことなのだろうか?


  74. 1996/5/21

    再春館製薬は、20年間、名前をかえていないとCMでいうが、 本当だろうか?

    再春館「薬業」 --> 再春館「製薬」 にかわったのでは?

    中村玉緒 にきくか。


  75. 1996/5/21

    週刊 まき ようすけとは?


  76. 1996/5/21

    宇津井 健は、役者ではない時の行動も、すばらしい。 彼は、あくまで、宇津井 健である。

    彼の貴重な、役者ではない、アドリブの姿を映し出した、 貴重な映像が、TVにて公開された。「親知らずバラエティー」と銘うたれた 番組においてである。その注目すべき発言のエッセンスを次にあげよう。

    彼の役者としての姿と何の変わりもない!

    役者としての彼と、彼自身の区別を付けない、いや、つかない、 彼の彼たる性質は、我々の誇りであり、心から楽しむべきである。


愛のHOME PAGEに戻る。