62 よみがえる青春の傷み──劇団キンダースペース ワークユニット公演「ファイナルチャンピオン」を観て

 

2019.11.11

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 長いことキンダースペースの芝居を見てきたけれど、ぼくが本格的にキンダースペースの追っかけとなったのはどうやら2000年以降のようで、1985年のこの記念すべき旗揚げ公演の演目「ファイナルチャンピオン」は見ていなかった。旗揚げのあと、何度も再演されてきたのに、それもことごとく見る機会を逸していたのだ。だから、とても今回の公演は楽しみだった。

 キンダースペースの本公演ではなく、「ワークユニット」の中間発表公演ではあったが、若いエネルギー溢れる素晴らしい舞台だった。

 開場してすぐに入ると、場内には、いわゆる「客入れ」の音楽が流れている。キンダーの芝居の「客入れ」の音楽はいつも楽しみなのだが、今回は、一瞬にして遠い青春時代に連れ戻された。南沙織と天地真理の交互メドレー! 驚愕である。

 というのも、南沙織はぼくのアイドルだったからだ。南沙織が「17才」でデビューしたのが、1971年、ぼくが大学4年の時だ。そして天地真理は、ぼくの中学からの親友のアイドルだった。それが交互に流れる。それらの歌を「全部」知ってる。これだけで十分幸福だ。

 同時代──という感覚は、いろんな意味で価値判断を呪縛する。分かりすぎてしまって、そこに込められた作者の意図を超えて享受してしまうおそれがある。分かりすぎて、そこにある表現と距離がとれないこともある。

 その「分かりすぎる」場面は、やはり学生運動が出てきたところ。「先生」が「オレは、東大の試験が中止になった翌年に大学に入った。」と述べるわけだが、そうだとしたらこの「先生」は、ぼくより2つ下だとすぐに判断できる。(もちろん、「先生」が現役合格としての話だが。ちなみに、1949年生まれのぼくは、1968年に東京教育大学に入学した。東京大学および東京教育大学の入試が中止されたのは、翌年の1969年のことだ。この前代未聞の出来事は、ぼくの同級生たちの人生を根底から揺るがすことになった。今の英語の民間試験の突然の中止どころのさわぎではない。)

 「先生、東大なんですか?」って生徒の質問に「いや、明治だ。」と答えるのだが、ぼくは思わずクスっと笑い声を漏らしそうになった。けれども、観客は誰も笑わない。冷や汗をかいた。「明治」をバカにするわけじゃまったくないけれど、「東大の試験が中止になった翌年に大学に入った」と言われれば、当然「その翌年に東大に入った」と思うのが自然で、そこで「明治だ」というのは、一種の「オチ」で、やっぱり笑っていいところだろうとぼくは思う。でも、誰も笑わなかった。時代は変わったのだということだろう。もしぼくが笑ったら、「明治のどこが悪い!」って叱られたに違いない。

 ことほどさように、やはり「同時代」であることは、芝居の見方にもあるバイアスがかかってしまうわけだ。

 あのピンクと黒に半々に塗り分けたヘルメットを被った学生が登場したときも、笑いそうになった。黒は確か「アナーキスト」で、ピンクは見たことないけど、「中ピ連」(「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」の略)のヘルメット色だったはずだ。いったい何というモノスゴイ取り合わせ! 

 それにしても、もうかれこれ50年近くも経つのに、どうして記憶力の乏しいぼくが「中ピ連」なんて覚えているのか不思議である。その不思議な記憶の彼方から、この二人の学生の「演説」が実に生々しく迫ってくる。言っていることは観念的で、今から思えば、「なんじゃそりゃ!」って言われるような「演説」でも、その時代を生きたぼくには胸の底に重く響いてくる。

 主人公が言う。「本当に君は信じているの? 本当に君らの言うように、世界は君らの言うような世界になるの?」(セリフはうろ覚えです。)それに対して学生は、たじろぎながらも、「信じている」と言い放つ。

 こうした議論をいったい何度したことだろう。ぼくの立場は、この主人公とほぼ重なっていた。ヘルメットを被って革命を叫ぶ友人たちに、いつも「本当にそう思うの?」って思っていた。ぼくにはそんなことは信じられなかった。東大を解体し、学問を刷新し、まったく新しい世界を作るなんて、カッコいいけど、無理に決まっている。どうしてそんな無理に決まっていることに命を賭けられるのか、それが不思議だった。だからどうしていいかわからなかった。分からないから、「行動」しなかった。けれども、周囲の友人や先輩は、そして教授すらもが、「行動しない」こと自体を非難しつづけた。

 その非難の声が、今もぼくの頭の隅々に響いている。そして、ぼくはその後の50年というものを、この非難の声を聞きながら生きてきたように思うのだ。

 当時の「闘士」も、実にいい加減なもので、ぼくを非難してやまなかった「筑波移転反対闘争」を戦っていた友人も、簡単に寝返ってしまって、こともあろうに当の筑波大学の教授になる始末で、苦々しいこと限りもなかったのだが、いつまでもそんなことを根に持っていじいじしている自分も相当情けないヤツには違いなく、人にはそれぞれ事情があるよねと、最近ではまあ納得するだけの分別はついたけれど、気がついたときはとっくに還暦を過ぎていた。

 そういうぼくは、「コップの中の水にはいったいいくつの分子があるか分かる?」という問い、「分かるわけないよね。知らないことが世界にはたくさんあるよね。だから分からなくたっていいじゃない。」というセリフに、得体のしれない感動をおぼえて涙ぐんでしまい、正直うろたえた。

 「あれか、これか」の二者択一をいつも迫られ、それを選べないと、「軟弱だ」「日和見だ」の怒号を浴びた日々。「あれでもない、これでもない」という選択肢を自信を持って提示し選択してみせることができなかったことへの限りない悔恨。当時、「どっちでもいいんだ」というような言葉をいったい誰が語っていただろうか。ぼくは寡聞にして知らない。やっぱり旗揚げ公演を見なかったのは、ぼくの人生にとって大きな損失だった、とまでいうのは大げさだろうが、もし34年前にこの芝居を見ていたら、その時、ぼくはどう感じただろうか、それだけでも知りたいと痛切に思った。たぶん、その時のぼくは、最後に語られた「希望」を、大きな「救い」と感じとり、それを心の軸にすえて、その後の34年間を生きることができたのかもしれない。そんな気がする。

 どうも自分語りに終始してしまったようだが、この芝居が、70才のジイサンにはどのように見えたのかだけでも、若い人には知ってもらいたいという気もする。ここにあるのは、全部、ほんとうのこと、実にリアルな現実だったのです、ということだ。そして芝居というものは、そういう過去の現実を生々しく今に蘇らせる力をもったものだということだ。

 あの「まぼろし仮面」だって、ぼくらのヒーロー「まぼろし探偵」そのものだったということ。「まぼろし探偵」やら「少年ジェット」やら「月光仮面」やらといったヒーローとともに育ったいわゆる「団塊の世代」あるいは「全共闘世代」というのは、ひょっとしたら、そういうヒーローに自分もなりたいという、あるいはなれるかもしれないという止みがたい幻想を抱いて青春時代を送ったのかもしれない。

 このどこを切ってもどくどくと鮮血のあふれ出る芝居を作った原田一樹さんはもちろんのこと、今回渾身の演出をみせた瀬田ひろ美さん、そして、全力でこの芝居を演じ切ったワークユニットの皆さんやスタッフの皆さんに、最大限の敬意と感謝を捧げます。

 


 

 

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