42 「語り」の極限へ!──夏目幾世『父亡き後、母に守られて』・小林もと果(キンダースペース)

 

2018.8.29

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 新宿の「平和祈念資料館」での今年の「一人芝居」は、キンダースペースの小林もと果だった。これまで、瀬田ひろ美、森下高志、が演じてきたが、今年は満を持して小林もと果の登場となった。

 今回の手記、夏目幾世『父亡き後、母に守られて』は、八歳の子供の視点から書かれており、身長の低い小林もと果が適役だったということもあったようだが、これまで、キンダースペースで数々の役をこなしてきた、中心的な女優としての演技力の高さからも、この役はまさに適役だった。

 戦争体験は、これまでさまざまな形で本人から語られてきたわけだが、なかなか、生身の本人が自らの体験を語るということは難しい。どうしても、当時の思いが蘇り、言葉につまったり、言葉にならなかったり、そして、涙してしまう、ということになるだろう。何度も何度も語っているうちに、慣れてくるということもあるのだろうが、それでも、語り慣れた言葉の隙間に語り手が思わずすくんでしまうということもあるだろう。

 岸政彦は、大学での戦争体験者の話を聞く会の体験を書いた文章の中で、語り手が戦友の死を語るところにさしかかり、思わず涙を流しながらも、力を振り絞って語り続けている最中に、会場係の学生が出した「あと二十分」というカンペを目にして、話が途切れた、と書く。

 

 完全に話が途切れた。男性は目をむいて大きく驚き、小さなかすれ声で、「もうそんなに時間が。」とだけつぶやいた。それまで全身をつかって熱っぽく語っていた彼の語りは、そこで中断され、十秒か二十秒か、かなり長い間、聴衆が静かに見守るなか、一言も出せなくなり、ただ狼狽して、黙り込んでしまった。
 やがて男性は、すぐに語りの「軌道」を立て直すと、何もなかったかのように、それまで通りはっきりと大きな声で、迫力のある語りを続けた。

 

 こう記述した後、岸は、この「沈黙」をこんなふうに分析する。

 

 ある強烈な体験をして、それを人に伝えようとするとき、私たちは、語りそのものになる。語りが私たちに乗り移り、自分自身を語らせる。私たちはそのとき、語りの乗り物や容れ物になっているのかもしれない。
 物語というのは生きていて、切れば血が出る。語りをとつぜん中断されたあの男性の沈黙は、切られた物語の静かな悲鳴だった。
 あるいは彼は、その一瞬のあいだで、一九四五年の南洋の小さな島と、二〇一三年の大学のキャンパスとを往復したのだろう。その時間と空間の距離を飛び越える数十秒のあいだ、沈黙が彼を支配していたのだ。

『断片的なものの社会学』2015

 

 自分自身の体験を語るとき、この男性のような「悲鳴」が、実はその語りの言葉の背後にある。物語が、「語りの乗り物」であっても、乗っているのが自分自身だとすれば、いつでも、自分はその「語られないこと」の深淵をのぞき込んでいるのだ。だから、突然の「中断」があったとき、自分自身はその「乗り物」から放り出されてしまう。そして「語れないこと」=「沈黙」の中に沈んでいってしまう。

 だから、もし、ぼくらが、体験者からの話を聞くとすれば、いつも、その語られる言葉の背後にある、その人の沈黙にこそ耳を傾けなければならないだろう。言葉だけではなく、その語る口元、表情、皮膚のシワ、声、体のこまかな震えなどに目を凝らし、感じとらねばならない。そこにある肉体が体験したことは、その肉体の中にあるのだから。

 こう考えてくると、他者の「体験手記」を「一人芝居」として演じることが、いかに困難なことかが深く納得される。

 体験者が抱える「沈黙」、その「沈黙」を深い井戸のように湛えている肉体を、役者は持たない。役者に与えられているのは、体験者が「手記」として書いた言葉だけだ。けれども、「手記」は、その体験の「すべて」ではない。書かれていないこと、書けなかったことが、山ほど言葉の背後にあるに違いないのだ。

 それだけではない。八歳の少女を演じるといっても、役者の肉体は、その後の数十年の歳月を刻んだ女性の八歳の時の肉体を演じなければならないのだ。こんな絶望的に困難なことがあるだろうか。

 芝居の中に、こんな言葉があった。

 

ある開拓団では、足手まといになる八歳以下の子供を焼き殺して、大人と大きい子供だけで引き揚げたところがあると聞いて、とても恐ろしく身の毛がよだちました。当時八歳だった私には他人ごとではなかったのでしょう。ちょうどそのころ、優しかった祖母が亡くなったのです。土葬はできないので野草を積んで火葬にされました。「お祖母ちゃん熱かろうなあ」と心に焼き付いて離れません。それからは、いつも子供が並んで焼かれるのを待っている、「怖いよう、嫌だ、嫌だ」と言いながら自分が焼かれて骨になるまでの夢を見るのです。同じような夢を何度も見るのです。

 

 子供を焼き殺したという開拓団がほんとうにあったのかは定かではないにしても、このこと自体が「悪夢」だ。しかも、自分が八歳という当事者である。その恐怖。そして何度も見る同じ夢。

 こんな言葉の数々を、舞台の上で、いったいどう演じればいいのか。たんなる「かわいそうな話」で終わってはいけない。役者の叫びが、その少女の叫びそのものでなければならない。そんなことはベテラン女優小林もと果には難なくできるだろう。けれども、この叫びが、もし「中断」されたとき、小林もと果の肉体から、声から、言葉から、「血が吹き出る」だろうか。そんなことはどだい不可能なことだが、小林もと果は、そこまで「演じきる」ことができただろうか。

 この芝居を見てすでに3日が経っているが、この舞台の余韻はまだぼくの中に色濃く残っている。あの舞台に、八歳の夏目幾世さんが確かに「いた」という実感がある。そうだとすれば、小林もと果は、「切れば血が出る」芝居をした、あるいはそれが褒めすぎだというなら、少なくともそういう芝居を目指して渾身の努力をしたと言えるだろう。

 狭い空間の中に、十字の形に作られた舞台を小林もと果は縦横に使う。それによって、舞台は何倍にも広く感じられる。前に出る。後ろに退く。右へ、左へと走る。それは、八歳の少女の世界のすべてだ。

 その十字架のような舞台の上での「惨劇」。そしてその十字架の真ん中で平和を祈るラストシーン。舞台がうしろからせり上がり、小林もと果が十字架にかかっているような、人間の受難を象徴しているかのような幻想がわいた。実に見事な、感動的な芝居だった。

 この手記を書かれた夏目幾世さんは、現在もご健在であるばかりか、なんと、会場に来てくださり、この芝居を見てくださったということも感動的だった。夏目さんは、涙を流してご覧になっていたということだが、その思いは計り知ることはできない。できないけれど、この芝居が演じられた8月25日が、奇しくも、その夏目さんのお父様の命日(父は、満州で殺されたと芝居の中で語られたのだった。)だと語られたことに、強い印象を受けた。会場も一瞬おどろきでどよめいたが、同時に、深い沈黙が会場を包んだように思われた。

 


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