41 「カイベツ」の不思議

 

2018.8.21

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 『源氏物語』の読書が終わったあと、「日本近代文学の森へ」と題して、明治以来の近代文学を片っ端から読んでいこうという計画を立て、さしあたり、斎藤緑雨を読み始め、すぐに岩野泡鳴へ移ったら、ここでとんだ足止めをくらっている。

 まさに沼に足をとられ、もがいてももがいても、抜け出ることができないといった感じだ。別に仕事じゃないからいいんだけど、ちっとも先へ進まない。

 『源氏物語』のときは、毎日必ず数行から数ページを読んで、フェイスブックに、引用したり、感想を書いたりしていたので、全54巻という大長編でも、一年ちょっとで読了したのだが、近代文学のほうは、週に一度程度、ブログにアップするという形をとったので、読書にあてる時間からしてぜんぜん違うという事情もある。

 なぜ、フェイスブックではなくて、ブログにしたかというと、友人には、フェイスブックをやっていない人間がけっこういて、そういう人たちが、不満を言ってくるということもあるのだが、それ以上に、フェイスブックというのは、どうしても、その時その時の記事として読まれ、過去の記事に遡ることがなかなか難しいという事情もある。

 ホームページからブログに移行したときも、同じような不便さを感じ、「100のエッセイ」などは、ブログ掲載あとに、わざわざホームページの方にも「収納」した。

 そんなこんなで、遅々として進まない「泡鳴読書」だが、先日も、フェイスブックをやっていない友人から、「カイベツ」について、メールが来た。「カイベツ」というのは、岩野泡鳴の小説『放浪』に出て来る言葉で、「キャベツ」の北海道弁だということなのだ。その小説に何度も「カイベツ」と出てきて、泡鳴も、北海道ではこう言うのだと書いているわけだが、それに関してぼくは、前回の「泡鳴読書」の中で、

 

 またここに出て来る「カイベツ」というのは、「キャベツ」のことで、当時は、まだ英語の読みが北海道では「キャベツ」として定着していなかったということらしい。

 

と書いた。それに対するメールである。

 

 「きゃべつ」って、どこから来た言葉だろう、いつか調べよう、とおもってたので、今回のを読んで、「え? 英語なの? そんなに知られてるの?」と、わが無知を恥じて、ネットを検索、勉強しました。
 ひとつ、きみが知ってなさそうと見えたことを発見。caput(chapterなどの語源で「頭」のラテン語)→cabbage→キャベツらしいんだけど、「英語の読みが北海道で定着していなかった」のではなくて、「キヤベツという読みを、名古屋東海とか北日本とかdaikon(だいこん)をdeyakon(でやこん)と発音する地方の出身者で、北海道に暮らす人々が、もとの読みを「誤って推測して」、もとに匡して読もうとして「きや」→「かい」ベツ、と読んだ」のである、らしいぞ。
 調べたらすぐ分かったことなので、自慢ではなく、きみだと、エッセエのネタになるかな、とおもって。

 

 エッセイを読んでくれるだけでなく、ネタまで心配してくれるよき同級生であるが、この年になって「ネットを検索、勉強しました」などとは殊勝なことである。

 しかし、これには驚いた。そういうことなのかあ。

 英語の発音は「キャベッジ」に近いから、そこから「キャベツ」となることは自然な成り行きである。ところが、北海道に移住した名古屋あたりのひとが、同郷の人から聞いた「キャベツ」という言葉を、なんじゃそりゃ、そうか、おれたちが「エビフリャア」とか、「そうきゃあも」とか、「おみゃあさん」とか言うのと同じで、「キャベツ」というのも、オレたちのなまりに違いない。とすりゃあ、「きゃ」のっていうのは「かい」だから、「カイベツ」っていうのが「元」なのかしらん、いやそうに違いない、なんて、いろいろ考えているうちに、「カイベツ」として、北海道では定着した、ということになる。

 しかし、である。北海道には、名古屋から来た人ももちろん多かったろうけど、佐賀やら、高知やら、山梨やら、新潟やら(適当に並べただけです)から来た人も多かったはずだ。それなのに、どうして名古屋人が「修正」した「カイベツ」だけが、北海道中に広がったのだろうか。

 友人の紹介してくれた説では、名古屋人自身が「修正」したことになっているが、「修正」したのは、別の地方の人たちだったという可能性もあるのではないか。つまり、名古屋人が「キャベツ」と言うのを聞いて、別の地方出身者が、あいつら「エビフリャア」とかいうから、きっとなまってるに違いない。とすりゃあ、「カイベツ」ってのが「正しい」に違えねえ思ったという可能性である。

 しかし、それなら、なぜに、名古屋人ばかりが「キャベツ、キャベツ」と騒いでいたのだろうか。大阪人なら、お好み焼き食べるたびに、「今日はお好み焼きさかい、キャベツぎょうさん用意しや。」(いいかげんな大阪弁です。)とか叫んでもおかしくないけど、名古屋人が、どういう料理のときに、「キャベツはないかあ、そうきゃあ。エビフリャアしきゃにゃあのきゃあ。」(いいかげんな名古屋弁です。)とか叫ぶのだろうか。エビフライにはキャベツの千切りが付きものだとしても、お好み焼きにおけるキャベツとは比べものになるまい。

 仮に、名古屋人密集地で、「キャベツ! キャベツ!」の大合唱があったとしても、どうして、他の地方の人は、「キャベツ」って言ってるのは、名古屋人だけじゃないぜ。埼玉県人だって「キャベツ」というじゃないか、って思わなかったのだろう。埼玉県人が「キャベツ」と言っても、それはきっと名古屋人の影響に違いないと思わせる「何か」があったのだろうか。

 などとどうでもいいことを考えているうちに、時はたち、「泡鳴読書」は進まない、というわけである。

 


 

友人が「調べたらすぐわかった」というサイトはこちらです。勝手にリンクを張らせていただきました。

 

 

 


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