22 この小っちゃな世界の片隅で

2017.4.24

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  柳家小八昇進披露興行を見るために、今まで一度も行ったことのなかった東京の4つの寄席を全部まわろうと決めて、このたびめでたく全席制覇を成し遂げた。興行のラストは、国立演芸場だが、これは何度も行っているので、チケットは買わなかったのだが、さて4席見終わってみると、有終の美たる国立演芸場の興行を見ないというのも、なんだか中途半端な気がして、やっぱり行くことにした。幸いチケットも簡単にとれた。

 上野の鈴本演芸場を皮切りに、新宿末廣亭、浅草演芸ホール、そして最後に池袋演芸場と見てまわったわけだが、つくづく寄席というのは、おもしろいというか、不思議というか、なんとも変わったトコロであると感じ入ってしまった。

 だいたい4時間という長丁場、中入りが15分ほどあるが、とにかく、次から次へと落語と色物が続いて途切れることがない。今回は、どれも「真打昇進披露興行」であるから特別で、次から次へと出てくるのが、当代きっての一流所である。柳家小三治などは、小八の師匠(小八は、柳家喜多八のたった一人の弟子だったが、昨年喜多八死去にともない、小三治門下となった。)ということもあって、4席全部に出演していたし、もちろん口上も全部述べた。その口上は、そっけなさそうでいて、先年亡くなった弟子の喜多八に対する哀惜の念と、新たに弟子に迎えた小八への愛情のにじみ出る口上で、涙なしには聞けなかった。

 それはそれとして、その小三治がやったのが、4回とも「小言念仏」だった。仏壇の前でジイサンがお念仏をあげながら、仏壇の花の水を替えろだの、鉄瓶の湯が煮えたぎってるぞだの、メシが焦げてるぞだの、はやく子どもを学校へやれだの、赤ん坊がこっちへきたぞだの、ああ、もらしたから、鉄瓶の湯で畳をふけだの、おつけの身ならドジョウ屋が来てるから、はやくドジョウ屋を呼べだのと小言を言い続けるというだけの噺である。実にくだらない、どうでもいい内容である。小三治だけではない、他のどの噺家も、ほんとにしょうもない、世界を変えることなど絶対になさそうな、小っちゃい噺ばっかりしている。

 誰がやったか忘れてしまったが、「初天神」もあった。これも、ただ、生意気な子どもが、親に祭りに連れていってもらうのだが、今日はあれ買ってこれ買ってと言わないと約束したのに、盛大にあれ買えこれ買えとせがむ、というだけの噺だ。世界が小さすぎるではないか。そんな噺が4時間も続く。それを4回みたのだから、16時間も、それに付き合ったことになる。それでも、飽きない。

 飽きないのだ。飽きないどころではない。おもしろくて、おもしろくて、どうしようもないのだ。ほとんど、16時間という時間を、ただ、へらへら、ゲラゲラ笑っていただけなのに、(いやそれだからこそか)幸福感でいっぱいになるのだ。

 世の多くの芸術家というものは、「人間を描く」とか、「人間の真実に迫る」とか、「世界を変える」とか、「自分だけの世界を構築する」とか、いろいろなことを言って、目をとんがらかして、力み返っている。そのあげく、疲れ果て、絶望し、その苦悩だけが芸術家の証であると勘違いしたりもする。

 寄席の世界は、そうした世界とは、まったく異質な世界に、見える。もちろん個々の噺家においては、血の滲むような努力と苦労があることは当然のことだ。けれども、彼らは、そんな苦労を隠し、否定してみせ、そして、どんなに出世しようとも、たとえ小三治のような「人間国宝」になろうとも、「くだらない」ことを決しておそれない。演歌歌手が、えらくなると、やたら肩をいからせて「人生」を歌い上げたがるのとは大違いだ。「人間国宝」になっても、ジイサンのどうでもいいようなくだらない小言を言い続ける。そして、そのたった10分か15分の噺が、「神品」としかいいようのない完成度なのだ。

 「くだらない」とか、「小っちゃい」とか、「どうでもいい」とか、そんな言い方をしてきたが、今は、そうしたことこそが、実はとても大事と思われてならない。それらの反対語は、いろいと考えられるだろうが、一言でいえば、「金になる」というのが昨今のありようだろう。教育の世界でいえば「役に立つ」ということにもなるだろう。そうした価値観が、世界を霧のようにおおっている。

 その霧を晴らし、世界を見通しのよいものとし、深々と深呼吸して生き生きと生きるためには、たとえば、小三治の「芸」のようなものが、実は、今もっとも「必要」とされているのではなかろうか。寄席は息苦しい世の中に、ぽっかりあいた風穴ではなかろうか。

 新真打柳家小八が、この小さすぎる世界に肩肘張らずに末永く生息し、師匠喜多八の「けだるさ」を受け継ぎつつ、彼特有の「元気」さで、このロクデモナイ世界に爽やかな風を吹かせてくれることを願うばかりだ。なんか「口上」みたいになっちゃったけど。


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