18 古典芸能の万華鏡──遊戯空間『全段通し 仮名手本忠臣蔵』を観る

2017.2.18

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 「遊戯空間」の『全段通し 仮名手本忠臣蔵』を見た。先日のキンダースペースの『河童』に引き続き、両国の「シアターX(かい)」である。

 「仮名手本忠臣蔵」の全11段を、3時間弱で「通し」で上演するなんて、いったいどうしたら可能なのかといぶかりつつ、劇場へ足を運んだわけだが、始まってみて、ああ、こういうことかと納得がいった。

 チラシにも書かれているとおり、4年間も浅草木馬亭で、「リーディング上演」をしてきたのだ。何を「リーディング」してきたのかというと、文楽の台本なのだった。その「リーディング」をもとにした「無謀にも」舞台化が今回の舞台というわけだ。したがって、普通の芝居のように、セリフだけで進行するのではなくて、語りとセリフがない交ぜになって進行する。しかもセリフは文楽の台本だから、原則的に「古語」である。(一カ所、ラップを入れるという遊びもあったが。)

 古典語での上演であるにもかかわらず、休憩をはさんでの3時間弱の舞台は、分かりやすく、飽きさせることなく、あっという間の出来事のように進行し、見終わったあと、ああ、「仮名手本忠臣蔵」っていうのは、こういう話だったんだということが、実にクリアにわかり、ものすごく得した気分になった。

 思えば、その昔、歌舞伎で見た「四段目 判官切腹」で、腹に刀を突き立てた判官のあまりに長いセリフに業を煮やしたり、勘三郎と梅雀の「お軽寛平」の道行きを前の方の席で見て、そのあまりの「老醜」にあきれ果て、もう二度と歌舞伎なんかみないと憤慨したりしたこともある「仮名手本忠臣蔵」である。「全段通し」で見たことなんてもちろんないから、物覚えの悪いぼくは、いったい「お軽寛平」ってどうなってるの? なんて思ったりしているばっかりで、きちんと筋を把握しようともしなかった。それが、今回の「全段通し上演」で、すっきりした。そうか、そういうことだったのかと、膝を打つ場面も多々あった。それだけでも、この芝居を見た価値があったというものだ。

 劇場で配られたパンフレットに、篠本さんは、こんなことも書いている。「落語には、芝居噺というジャンルがあります。それはかつて、歌舞伎を芝居小屋で鑑賞することのできない庶民のための娯楽でした。ひとりの噺家が声色などを使いながら、作品をコンパクトにまとめ、原典の面白さを伝えるというものです。今回の上演には、そんな要素もあるかと思います。」

 この芝居噺を得意にしていたのが、先代の林家正蔵(彦六)で、その映像を見たことがある。それは、噺家がほんのさわりを簡単な装置の中で演じるものに過ぎないが、それでも、ビデオもテレビもない江戸の庶民にとっては何よりの娯楽であったろう。現代ではその芝居噺を継ぐ噺家は、ほんの一人二人と聞いている。今回、その芝居噺の伝統を受け継ぐ意識が演出家にあったということは嬉しい限りだが、それ以上に、今回の上演には、歌舞伎、文楽、能、落語、講談といった古典芸能のエッセンスが随所にちりばめられていて、まるでで伝統芸能の万華鏡。楽しいこと、このうえもなかった。あ、ここは歌舞伎の世話物のセリフ回しだ、あ、この所作と発声は能だ、あ、これは講談、あ、義太夫だ、といちいち心の中で興奮してしまった。そのうえ、太鼓、笛、チェロの生演奏が、控えめに、そして効果的に使われていたこともよかった。太鼓ひとつとっても、歌舞伎、能、落語などを髣髴とさせ、それがそうした古典芸能への窓となり、その世界とのつながりを深く感じさせた。伝統とつながるというのは、こういうことをいうのだろう。

 今回観に行ったきっかけは、キンダースペースに客演してくださった俳優座の渡辺聡さんが「早野勘平」役で出演するということだったのだが、その渡辺さんも華のある素敵な寛平を演じていて惚れ惚れしてしまった。俳優さんも多彩で、民藝の佐々木梅治さんは由良之助を演じたかと思うと、与市兵衛の女房を完璧に歌舞伎のセリフ回しで演じてしまう。更に驚いたのは、体調不良のため降板したをはり万造さんの代役を、篠本さんがこれまた完璧に演じていたこと。すいごいなあ。とにかく、ベテラン俳優から若い俳優まで、楽しそうに、生き生きと演じていたのが印象的だった。

 芝居の後での挨拶で、篠本さんは、「シェイクスピアは今でも、現代の劇として、繰り返し上演されていますが、日本の古典芸能である歌舞伎や文楽は、なかなか現代劇として上演される機会がありません。こんな『忠臣蔵』があってもいいのではないでしょうか? みなさん、いかがですか?」と問いかけた。会場からは、万雷の拍手。「その拍手を励みとして、これからも無謀な上演を続けて行きたいと思います。」と締めくくった篠本さん。「無謀」には違いないが、4年間という積みかさねの上での上演、「無謀」とはほど遠い、用意周到な舞台だったのだ。してみれば、これからの舞台への期待も高まる。ずいぶん前からこうした芝居を続けてきた劇団とのことだが、ぼくはちっとも知らなかった。また楽しみがひとつ増えた。

 


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