13 極楽とんぼの大晦日

2016.12.30

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 いよいよ今年もあと2日。例年、「年末所感」などと称して書いているが、(去年の「年末所感」はこちら)どうも今年は、年末という感じすらなくて、振り返ってああだこうだと書く気になれない。

 明日は、きっと紅白を見て年越しするのだろうが、その紅白自体がすっかり魅力を失ってから久しい。もちろん、見ているときは、それなりに楽しんでいるのだが、子どものときのようなワクワク感に欠けるのはいかんともしがたい。

 ぼくの家はペンキ屋で、数人の職人を使っていたが、父は「親方」(ぼくが中学生ぐらいの時に、株式会社になり、「代表取締役社長」となったわけだが)とはいえ、仕事をとってくることから、職人の車での送り迎え、帳簿付けなど、ほとんど一切をやっていたから、年中忙しくて、めったに家族そろってゆっくりと食事をしながらテレビを見るなどということはなかった。

 父は相当酒もタバコもやったが、酒は家では飲まなかった。夜の9時ぐらいになって帳簿付けが終わると、近くのフグちり屋に行って11時ぐらいまで飲んでくるというのが日課だった。フグちり屋といっても、居酒屋のようなもんだからもちろん毎日フグちりを食っていたわけではないだろうが、今思えば、ウラヤマシイ。

 そういう父が、家でこたつに入って酒をちびちび飲む唯一の日が大晦日であり、その時ばかりは、父、母、祖父、祖母、妹といった面々がうちそろい、紅白を見るのだった。父も母も、祖母とは折り合いが悪く、心からの「一家団欒」などというものとはおよそ縁がない我が家だったが、それでも、なぜか、大晦日の夜だけは、いっさいの諍いが消えて、不思議と幸福感が漂っていたような気がするのだ。

 11時を過ぎて、紅白もいよいよ佳境に入るころ、幼いぼくは、柱時計の針を見ては、ああ、もう終わってしまうのか、この針がもっとゆっくり動いて欲しいと、何度思ったことだろうか。あの、切ない気持ちは、こんなに歳をとっても、鮮明に残っている。

 紅白が終わり、「行く年くる年」が始まると、にわかに父はそわそわと準備をする。どこの神社からもらってくるのか一枚のお札を、「店」(店といっていたが、通りに面した事務所である)の入口の上に、正月が来ると同時にピタッと貼り付けるのだ。なんでも「融通の神様」だというのだが、その札をきちんと見た記憶がない。今年も何とか「融通」がききますように、つまり、銀行だか信用金庫だか、そういうところからちゃんとお金が借りられますように、ということだったらしい。それほど、ペンキ屋というのは、資金繰りに困る商売なのだ。何しろ材料のペンキが高い。そのペンキを材料屋から買って、現場で塗るわけだが、仕事が終わっても、支払いが滞ると、材料屋に払う金がないから銀行や信用金庫から借りる、ということらしくて、年中金策に奔走していたようなのだ。

 そんな父の苦労もしっかり把握できない世間知らずの大馬鹿者のぼくは、あれを買え、これを買えと、父にせがみつづけ、父も、「おまえは極楽とんぼだなあ」と嘆きつつ、結局はかなり高額のモノ(顕微鏡とか、カメラとか、美術全集とか、専門的な昆虫図鑑とか、もろもろ)でも買ってくれたものだ。

 大晦日というと、落語などでは、借金取りが付きものだが、ぼくの幼いころの大晦日も、やっぱり「金」にまつわる思い出につながるというのも、なんだか切ないようで、またおもしろい。おもしろい、なんて思うから、父に「極楽とんぼ」だと言われたのだろう。その「極楽とんぼ」だったぼくは、依然として「極楽とんぼ」のまま、歳を重ね、還暦を過ぎ、古希にむかって驀進している。父は草葉の陰であきれかえっていることだろう。

 「年末所感」を書こうとして、つい父の思い出になってしまった。それもまたよし。来年は、また、どんな年になるだろうか。楽しみに迎えたいものである。

 


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