6 伊藤整全集を買った

2016.10.29

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  もう買うまいと思っていた個人全集だが、どうにも欲しくてつい買ってしまった。「伊藤整全集」全24巻、が長崎の古書店から昨日届いた。定価25000円、送料2000円で、しめて27000円である。この全集はもう何十年も前から切実に欲しかったのだが、当時は20万〜30万円もする高値だったので、さすがに買えなかった。しかし、今ではこの値段。つい最近、念願の伊藤整著「日本文壇史」全18巻を読了したこともあって、記念にというわけでもないのだが、とうとう買ってしまったというわけである。

 伊藤整は、ぼくがまだ学生だったころ、有楽町の読売ホールで行われていた「夏の文学教室」で、実際に話を聞いたことがある。今、近代文学館のアーカイブで調べてみると、伊藤整が出ていたのは、1968年の「日本文学と外国文学」をテーマにした回で、第5回にあたっている。この年はぼくが大学1年の年で、大学に入って間もないぼくはこの「夏の文学教室」にまじめに5日間通ったのだった。その時、講師として出たのが、7月15日、中野好夫・長谷川泉・中島健蔵、16日、笹淵友一・山下肇・福田恆存、17日、瀬沼茂樹・篠田一・埴谷雄高、18日、高橋邦太郎・中村真一郎・太田三郎、19日、伊藤整・白井浩司・高橋和巳、20日、小島信夫・遠藤周作・阿部知二、といった面々で、実に豪華なラインナップである。しかも、この中のほとんどの人が鬼籍に入っている(*注)ことを思うと、思わずため息がでる。

 伊藤整がそのとき、何を話したのか、まったく記憶にないのだが、ほっそりとした、それでいて芯の強うそうなその姿は強く印象に残っている。そして、今回改めて認識したのだが、伊藤整はその翌年の1969年の秋に亡くなっているのである。ぼくが見た伊藤整は、まさに最晩年の姿だったわけだ。

 伊藤整の小説は、「鳴海仙吉」が好きで夢中で読んだが、それ以外はきちんと読んでこなかった。むしろ、随筆や評論をずいぶんと読んできたような気がする。今回、全集を買い込んだのも、小説よりは、随筆、評論を読みたかったからだ。

 段ボール箱から一冊一冊取り出しながら、その随筆が入った巻をパラパラと読んでいたら、こんな文章にいきなり出くわした。ちょっと長いが引用しておく。

 

 一つ、随筆というものを書きたい。理論にもしゃちこばらず、私のような理くつ屋がしばしばもとめられる自己の政治的傾向についての反省というニガニガしい妥協の心配もなく、できればラムのようにおとなしく、また彼のように少しばかりペダントリイをも含めた。
 
一九四〇年、昭和十五年のころ、私はしばしば銀座街の表通り、裏通りに遊んだ。私はそのころ三十五歳であったが、すみのすり減った敷き石の上におろす自分のクツの一足ごとに、また人なかで他人、同じ時代に生きて歩いている他の日本人、緑色に塗ったバスの色のはげたさまなど、一つごとに今の東京の今の自分や他人や事物が、新らしく、強い印象でせまるのを感じた。
 
おれは生きている、おれは歩いている、おれはつまらぬことを考えている、おれは……
 
おれが、三十五にもなって、こんなつまらぬことを考え、こんなつまらぬことをして、笑い、銭を勘定し、喫茶店の電話を借り、ああきりがない。何ということだ、これが生きているということなのか。これが。読者よ、そういう変てこなことを考えたことはありませんか。私はその瞬間に、今まで生きていた世界へでなく、月の世界へ来たように突然自分の世界に着陸したような気がした。
 
そして、こいつは素晴らしい、新鮮だ、こいつはつかまえた、と思った。そしてそれに続いて、私にしては激しい一つの決心をしたのです。十五年ほどたって五十歳になったら、おれはできることなら死なないでいて、この同じ街を、同じように日の照った午後に歩いて見よう。何という、それは生きがいだろう。そして一つのことをしよう。それは、つまり五十歳の、日本人で紳士である私には生がどんな風に見えるか、そして自分はそのときどういうことを考えるか、それを抜かりなく観察してやろう。
 
そして、我々の先輩、小説家とか随筆家とかいう連中が、そろそろ隠し、心内に押しこめ、なあに昔からおれは知っていた、分っていた、というような顔をするあの年ごろに考えることを、逃がさぬように一つ一つ書き立ててやろう。

『伊藤整全集』第23巻・228p 「典型の喪失」より

 

 ぼくが同じことを考えてきたわけではまったくなくて、いや、むしろ、こんなふうに考えたことなど一度もなかったのだが、それでも、ああそうか、随筆というのは、そういうものだったのかと激しく共感した。「こいつは素晴らしい、新鮮だ、こいつはつかまえた。」なんて思ったことはないのに、ぼくがずっとエッセイを書いてきたのは、ひょっとしたら、こんな気持ちが意識せずにどこかにあったのかもしれないと思った。

 たしかに、ぼくが三〇代あるいは、40代、いや50代になっても、まだ「60代の人間」の「考えていること」は想像もつかなかった。伊藤整は、それを、「死なないでいて」「抜かりなく観察してやろう」なんて言っていて、しかもそれが「何という生きがいだろう」とまで言っている。

 それならぼくは後二〇年ぐらいは「死なないでいて」、90歳近くなった人間が、相変わらずバカなことを考えているものかどうかを、とくと観察してみようか、そんなことを思ったのだった。

 


(注)書いた時に、ろくに調べもせずにこう書いたが、後で調べると、「ほとんど」ではなく、「全員」だった。本文はそのままにしておきますが、訂正致します。

 


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