【劇評】『蜜の味』──あなたならどうする?

 

2016.6.12

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 作者のシーラ・ディレイニーのことを何にも知らずに出かけ、始まる直前にパンフレットで、18歳でこの戯曲が書かれたことを知った。見た後で、作者が女性であることを初めて知るほど無知なぼくだったわけだが、ある意味、「まっさらな気持ち」で芝居を見ることができたわけで、それはそれで悪くない。(体のいい言い訳だが。)

 穴蔵のような小さな部屋の中で繰り広げられる人間同士の葛藤が丁寧にダイナミックに描かれる。はやいテンポのセリフによって人間の心の奥底が舞台に現出する様は、スリリングで、見ていて飽きることがなかった。特に、後半は密度の濃い時間が舞台を満たして見事だった。

 それにしても、「ののしりあい」ってどうしてこんなに面白いんだろう。次から次へと悪態が口をついて出てくるっていうのは、やっぱりひとつの文化だ。これは何も西洋の専売特許ではなく、日本だって落語の世界などにはよく出てくる。それなのに、今では、悪態をつこうにも、語彙があまりに貧弱になってしまっている。貧弱な語彙で人を非難すると、人は深く傷つくような気がする。豊富な悪態の語彙は、かえって人の間のスキマを埋めるように働くのかもしれない。

 芝居のラスト近く、さまざまな人間関係の中でもがき苦しみ、最後にどうにも出口がない状況に追い詰められた母親のヘレンが、突然、観客席にむかって「あなたならどうします?」と問いかける。そうか、芝居というのは、こういうセリフがなくても、いつも舞台から観客に向けて「あなたならどうします?」と問いかけているのかもしれないな、ってふと思った。そして同時に、こういう問いかけを率直にするところに、作者の「若さ」(「未熟さ」ではない。「初々しさ」だ)を実感した。

 この作品は「自伝的」なものだというから、作者シーラは、とにかく自分の経験のありったけを芝居にぶち込んで、「私の生活は、こんなふうだったのよ。いったい、あなたなら、こういう時、どうしますか? 教えて頂戴!」って言いたかったのだろう。なんて初々しい戯曲だろう。

 芝居は、何も解決しないまま、いやそれどころか事態は最悪の結末を迎えるかのような暗澹たる余韻を残して幕を閉じるが、その暗闇の中に、「あなたならどうしますか?」というヘレンの言葉が、いつまでも反響しているかのようだった。

 今回は、キンダースペースのアトリエ公演には珍しく、海外もの。しかもキンダーからは「若手」の役者中心の公演。いろいろな意味で、新鮮だった。「若手」とは言っても、実力は十分。もちろん、まだ「発展途上」ではあろうが、真剣な演技への取り組みに心打たれた。客演の白州本樹さん、山本明寛さんは、さすがの存在感で、お二人によって、芝居の厚みと奥行きがぐんと増した。

 というわけで、とにかく楽しめました。みなさん、ありがとう! できることならBプログラムの方も見たかったです。

 これだけの芝居をたった30数人しか入れないアトリエでやるのはもったいない。せめて200人ぐらい入れる劇場での再演を期待したいところ。かなわぬ夢かなあ。

 


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