【映画評】「戦ふ兵隊」──言葉は無力だ

2015.5.24

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 ドキュメンタリー映画『戦ふ兵隊』を見た。「鎌倉・映画を観る会」が30周年記念上映会として、上映したものだ。会場の鎌倉生涯学習センターホールは、定員286人だが、満席。大半は高齢者だったのが、残念といえば残念だが、ぼくが行ったのは午後2時半の回だから仕方ないだろう。午後7時の回はどうだったのだろうか。こういう映画を高齢者が見るのと、若者が見るのとではまったく意味が違ってくると思うのだが。

 そのチラシには、次のような解説がある。

 日中戦争下に戦意高揚を目的として、陸軍省の後援で企画製作されました。監督の亀井文夫は、当時のニュース映画や戦争映画に、兵隊が城壁の上で日の丸を振って万歳三唱する映画が氾濫していたため、これらとは違う映画を作ろうと考えていました。そして、撮影で中国人と触れ合う中で「戦争で苦しむ大地、そこに生きる人間(兵隊も農民も)、馬も、一本の草の悲しみまでも逃さず記録することに努力した」としています。ところが、こうした内容が内務省の検閲で厭戦的な描写であり、反戦的で『戦ふ兵隊』どころか『疲れた兵隊』などと問題視され、映画は上映禁止となりました。1975 年(昭和50)になってフィルムが発見された幻の名作です。今年は戦後70 年。いつか来た道に進みつつある現在、戦争について改めて考えたいと思います。

 上演時間は66分。DVD・プロジェクターによる上映である。当然鮮明な映像ではない。同時録音によるため、人のしゃべっている内容もよく聞き取れない。音楽も音質は悪い。それなのに、ぼくがまず驚いたのは、映像の「美しさ」だった。軍馬や戦車が走るシーンでは、ジョン・フォードの『駅馬車』を思い出したし、ロバが映し出されると、ロベール・ブレッソンの『バルタザールどこへ行く』を思い出した。家を焼かれた中国人のオジイサンの顔が画面いっぱいにアップになると、なぜか『戦艦ポチョムキン』が頭に浮かんだ。前線司令部の一室の隅に固定されたカメラが、延々と隊長(?)と部下のやりとりをワンカットで写し続けるシーンでは小津映画を、そして侯孝賢(ホウ・シャオシェン)を思い出した。

 この映画には、ありとあらゆる映画を喚起させる何か、があった。そう思ったのは、映画が持つ力だったのだろうか、それともぼくの勝手な想像だったのだろうか。

 いずれにしても、この映画が、あらゆる映像的なテクニックを駆使して、万感の思いを込めた映画だということは確かなことだ。

 ドキュメンタリー映画は、現実を写すわけだが、もちろん、現実のどこをどう写すかによって、まるでちがった「現実」がそこに現れる。

 たとえば、軍隊の行軍。カメラは、ただ隊列を組んでひたすら中国の奥地へと歩く兵隊を写す。そして、そこにザクザクザクと重く響く軍靴の音。このとき、またもや、ぼくの頭の中には想像の世界がひろがって、あの萩原朔太郎の詩『軍隊』の、「ざつく、ざつく、ざつく、ざつく」がなりひびいた。そうだ、ぼくは、朔太郎のこの詩で、軍靴の音を聞いたけど、実際の音としては、聞いたことがなかったのだ。神宮外苑の学徒動員の映像は何度も目にしているが、こんなに生々しい軍靴の音は、初めて耳にした。朔太郎は、詩の中でこんなふうに軍隊の行進を描く。

 

お この重壓する
おほきなまつ黒の集團
浪の押しかへしてくるやうに
重油の濁つた流れの中を
熱した銃身の列が通る
無數の疲れた顏が通る。
 ざつく、ざつく、ざつく、ざつく
 お一、二、お一、二。

暗澹とした空の下を
重たい鋼鐵の機械が通る
無數の擴大した瞳孔ひとみが通る
それらの瞳孔ひとみは熱にひらいて
黄色い風景の恐怖のかげに
空しく力なく彷徨する。
疲勞し
困憊し
幻惑する。
 お一、二、お一、二
 歩調取れえ!

 

 「反戦詩人」でもない、むしろ晩年は「日本浪漫派」に属した(だからといって、そのことが即好戦的だったことを意味するわけでもないだろうが)朔太郎だが、日本の街中を更新する軍隊を見て、すでに、この中国の大地を進む軍隊の「疲労困憊」を見ていたのだ。なんという想像力だろう。まるで、この朔太郎の「言葉」は、「戦ふ兵隊」のナレーションのようではないか。

 この映画には、ナレーションはない。あるのは、ときどき現れる字幕である。字幕といっても、映像の下に出るアレではなく、無声映画の、あの画面一杯に文字だけ写される「字幕」(専門的には何と言うのだろうか)である。(この字幕の書き文字のおもしろさも印象に残った。)

 映画の最後の方に、破壊された漢口の街の建物の入り口階段で「休息」する兵隊の姿を写す前に、字幕は、「兵士はこの偉業を成し遂げたことに大きな安らぎを感じているのです」といったようなことを語る。字幕の「言葉」をきちんと覚えてはいないが、どの字幕も、兵士の勇気をたたえ、この天皇陛下のために行われている戦争の素晴らしさを語る。けれども、その「言葉」を、「映像」がそして「音」が、片っ端から見事に裏切っていく。銀行の入り口の階段に腰を下ろし、横たわる兵士の姿からは、「天皇のために戦い、そして成し遂げた」ことへの満足感などまったく伝わってこない。そこにあるのは、ただただ虚脱感と疲労困憊である。

 当日配られたパンフレットには、野田真吉のこんな批評が掲載されていた。

 

「戦ふ兵隊」のなかで私がもっとも心をうたれたシーンは長い苦難にみちた進軍のすえ、多数の戦死者をだしながら、やっと漢口に辿りついた兵隊たちが街の中心地にある塩業銀行の石の階段や前の広場に、疲れ果てた身体を、抱きかかえている銃身にささえられ、腰おいて休息しているシーンである。彼らは群がりよるハエを払う気力さえもない。銀行前広場の一角には軍楽隊が士気を鼓舞するかのようにスッペの「軽騎兵」の曲を奏楽している。生き残った兵隊たちはただひと時の眠りしか求めていないようである。彼等は眼を閉じたまま。身動き一つしない。ハエが胡麻をふりかけたように兵隊たちの疲れた服にまといついている。疲れきった兵隊たちの顔をはいまわっている。呼吸をしているのさえわからない石像のような兵隊たち。私はこの「戦ふ兵隊」のラストシーンほど、深い人間的感動を表現した戦争映画のシーンをいまだしらない。(野田真吉「日本ドキュメンタリー映画全史」現代教養文庫)

 

 この銀行の前のシーンがラストシーンとはなっていないが、野田は、実に細かく書いてくれている。

 映像が、そして音が、すべてを語っている。その中で、「言葉」は、どんなに「きれい事」を連ねても、まったく無力である。その無力を知ったとき、時の政府は、この映画を「上映禁止」としたのだ。その「敏感さ」を讃えてもいいくらいなものだ。もちろん「敏感さ」といってもたいしたものじゃない。誰だって分かるテイのものなのだが。

 言葉は無力である。言葉は裏切るものである。かのハムレットも「言葉、言葉、言葉」と言っていたではないか。それがどういう文脈だったか忘れたが、「言葉はすばらしい」という意味ではなかったはずだ。「言葉なら何とでも言える」というのも、言葉への不信を表明する「言葉」だ。

 けれども、「われわれはただ言葉だけによって、人間なのだし、またつながっているのである。」(モンテーニュ)ということも事実なのだ。とすれば、誰が間違っているかは明白だろう。そういう嘘っぱちの字幕を入れなければこの映画を作ることすらできなかった状況、そしてそこまでしても結局は上映禁止に追い込まれてしまった状況、そういう状況を作り出した人間、彼らが間違っていたのだなどということは今更言うまでもないことだ。

 それでも、それほどまでに絶望的な戦時下の状況にあって、これだけ誠実な映画を作ろうとした人たちがいたことは何という救いだろうか。ひるがえって現今の日本の状況は、ひょっとしたら、この時よりも悪いのではないかとさえ思われる。言葉はどこまでも軽くなり、現実を裏切り、捏造し、隠蔽しつづけている。映像が裏切ろうとするほどの手ごたえもない「軽い言葉」。こういう世の中にあって、言葉を使って表現をする人間は、どうしたらいいのだろうか。ほんとうの言語表現は、まずは絶望するところからしか生まれてこないような気がしている。絶望して、言葉もない、というところからしか、ほんとうの言葉は生まれないのかもしれない。その可能性を探る人たちを、いまのぼくは、探るしかない。できることなら、ぼく自身がそういう言葉を探らねばならないのだろうが、ぼくは、悲しいことに、あまりにも非力すぎる。

 


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