師走の街・三景


 1

 師走の街は消炭色に汚れている。僕はその街を、冷たい風に吹かれながら歩いていた。街には、埃っぽい河が一本流れていたが、その河は、いつの間にかせき止められて、そのどす黒い水面には、残飯のいっぱいつまったビニール袋や、どぎつい色彩の女の裸の写真を舌のように伸ばした週刊誌などが岸近くになる程濃い密度になりながら浮んでいた。そして又水面には、ヒビだらけの薄い氷がはっていて、風のせいかそれとも車の振動のせいか、それがブクブクと揺れ動いた。上流に染色工場などがある為に、もともときたない河だったので、埋めてしまっても惜しいとは思わない。けれど埋められていく河のこの醜い姿に、僕は眉をしかめずにはいられなかった。無雑作に盛りあげられた赤土が、次第にまだ残っている水の上におおい被さっていくのだろう。その間に、人々はありとあらゆる汚物をそこに投げ込むのだろう。そして、そこはやがて埋められ、その上にビルが建つのかも知れない。そんなことを想像しているうちに、街の人は、この汚い河を美しい澄んだ河にすることよりも、埋め立ててしまうことをどうして選んだのだろうという、いわば悔恨の情のようなものが僕の胸中にわき起って来た。「美」はいつもあとまわしにされ、それ故に知らず知らずのうちに「美」は忘れ去られていくのだろう。僕は冷たい橋の手すりに胸を押しつけながらそう考えた。

 2

 「チリ紙交換」の小型トラックが例によって、スピーカーでブツブツとつぶやきながら、僕のわきをのろのろと走っていた。「御家庭ノ古新聞、古雑誌ガゴザイマシタラ、ドウゾオ声ヲオカケ下サイ。チリ紙ト交換イタシマス………」男の低音が何ともわびしく師走の街を流れていく。何のことはない、その昔、くず屋がリヤカーを引っぱって、「エー、クズイー、オハライ」とやっていたのを、多少近代化したにすぎないのだ。

 しばらくたって、歩いている僕の前方で、ガラッとガラス戸のあく音がして、突然けたたましく犬が吠えた。見ると、背の高い男の足元で白いスピッツが気が狂ったように飛びはねながらその男に吠えかかっているのだった。男は、顔をひきつらして、犬をにらんでいる。逃げようとしても体がこわばって逃げられないようだった。「しょうがないわねえ」とかん高い声がして、犬は荒々しく女の両手に持ちあげられた。「どうも、すいませんねえ」女は男にあやまりながら古新聞のたばを渡した。けれど男は蒼ざめたまま、地面に八十度程の傾斜を保ってつっ立っていた、と僕は思った。

 動物というものは、元来極めて傲慢なものなのだ。動物園の虎は、悠然とオリの中から見物する人間を眺めている。その傲慢なまなざしを受けて心中たじろがない人間というものはそう多くはないだろう。ところが、人間に飼いならされた動物は、人間にこびることを覚えた。犬はその代表である。けれど、その犬でさえ、あやしげな者に対してはあのように傲慢に吠えかかることが出来るのだ。僕はその犬の傲慢さを、はじめ憎く思った。けれど次第に、あんなちっちゃな犬に吠えられてちぢんでしまった人間のみじめさが何ともいえずやりきれなくなってくるのだった。恐怖の前では、どんな人間でも、あのように一本の棒になる他はないのだ、と思うと、その男を軽蔑するよりは、むしろその男に同情したいような気持になるのだった。

 再び師走の街に低い男の声が流れはじめた。

 3

 繁華街に近づくにつれて、師走の街は活気を帯びはじめた。夕闇の広がった空に、原色のネオンのしめった光がにじんていた。店々の明るい螢光灯の光が歩道を照らし、人々は、ものにつかれたように前ばかりみて歩いていた。様々な人間が、様々な恰好をして歩いていた。僕はその一人一人の人間が、みな三十年とか五十年とかいう人生の歩みを背後に背負っているのだということを思うと、それらの人間の一人として無意味な存在であるものはないのだと、少しばかり感傷をまじえて考えた。

 しばらくぼんやりと歩いていると、向うから、背の小さい老婆が歩いてくるのに気がついた。老婆はボロきれのように汚ない着物を着て、半ばよろめくように歩いていた。しわくちゃの顔は埃にまみれ、しわの奥にある小さな目は、決して上を見る事がなかった。その老婆が、三人程並んで歩いていた労務者風の男とすれちがいざま、ガックリと膝を折って前に手をついた。男の足につまずいたのだろう。けれど、それはつまずいて転んだというよりは、力つきて膝が折れたといった方がふさわしいような、いわば枯木が倒れるような、そんな印象を僕に与えた。男は「おや」という顔をして振り返り、ころんだ老婆を見ると、ニヤリと笑って、つれの男に合図をした。つれの男も抜り返って、二人は顔を見合わせ、首をかしげながら、さっさと歩いていってしまった。

 老婆はすぐに立った。けれど、それも立ち上ったというよりは、自然に膝が伸びたように僕には感じられるのだった。老婆の顔には、その間、ほとんど変化がなかった。転ぶ前も、転んだ瞬間も、立って歩き出した時も、みな一様に暗く悲しい顔をしていた。僕は老婆の着物の膝が、ぞうきんのように汚れているのを見た。老婆は、膝をついても、ほとんど人が気付かない程小さかった。僕はトボトボと人混みの中を歩いていく老婆の後姿をみつめながら、老婆が埃にまみれた歩道の上をころがっていくような錯覚にとらわれはじめるのだった。

 せわしなく、汚れた師走の町も、新年を迎えれば、きっと清々しい街に変貌するだろう。元日の朝日は、あの老婆の汚れた膝にも明るい光を投げかけるだろう。僕は、又、感傷的になっている自分を発見した。

(1971)



横浜市南区の南吉田町から伊勢佐木町に向かって歩きながら目に触れた光景を、点描風にスケッチしたものです。このとき埋め立て中の河にはちゃんと建物が建っていたり、公園になっていたりして、その面影はありません。(1998)