本のある部屋


 

 昔から僕は本を買うのが好きだった。他の物にはしぶっても、本を買うといえば、まずしぶったことのない親達のおかげを蒙って、僕の本棚はだんだん本に埋められていった。その、本棚に並んだ本を眺めている時間の方が、本そのものを読んでいる時間より多いかも知れないくらい、一冊一冊の本に、僕は愛着を感じている。装丁の気に入った本などは、なでまわしたり、抱きしめたりという異常事態になることもしばしばといってよい。といって、本をただ切手を集めているようにその外見だけの興味で集めているわけでもない、という事は一応いっておかねばなるまい。

 三島由紀夫が、生前、某社の世界文学全集の推薦文の中で、一冊一冊が一つの宇宙であり、その宇宙を指一本で引き出すことができるのだ、というようなことを言っていた。こんな言葉からも、彼が広告マンとしても超一流であった事がうかがえるが、それはともかく、本は一つの宇宙であるという考えは、とても楽しい。僕が本をなでたりさすったりするのも、この宇宙への愛惜の念押さえ難き故でもあるわけである。

 ところで、かように本に愛着を感じ出すと、それを失う事への恐怖が次第に拡大してくるのである。火災が何といっても一番恐しいが、昨今のように大地震の噂が巷に乱れ飛んだりする時勢にあっては、その恐怖は、筆舌の限りではない。本棚より愛する本をひき出して「汝、いつまでも我と共にあれよ」と涙ながらにいってきかせるのが毎夜の習慣となりつつある。

 ここに至って、初めて僕は、こんなにたくさんの本を買い込んだことに限りない悔恨を感ずるのである。そして、いっそ大火事にでもなって、一冊残らず灰になってしまえば、どんなに気もさっぱりするだろうとさえ考えはじめる。

 僕の今の理想は、生活に必要な最低限のものだけ持って、草庵に住むことである。何も持っていないという事はどんなに気の楽なことか知れない。本など一冊もいらない。持つとしても、本の目録か、あるいは文学辞典の類に限る。これも某社の世界文学辞典の推薦文に、かの碩学福原麟太郎氏が、孤島に一冊だけ持っていくならこの辞典にすると述べておられたが、さすが、古合東西の書物を大量に読んだ人だけあって、言うことが違うものだと感心したものだ。

 通とかマニアというものは、女遊びにしろ、ヨットにしろ、その最終的段階では、そのもの自体を必要としなくなるそうだが、福原氏もそのよい例だというわけだ。そういう意味では、僕なぞが、文学辞典一冊持って孤島へ行っても、これは退屈するだけなわけで、それは、一度もヨットに乗ったことのない者が、ヨットの写真を見てもさしておもしろくはないのと同様である。が、理想というからには、多少とも将来のことなので(少くとも僕はそう考えている)その頃には文学辞典でけっこう楽しめるようになっているだろうという前提にのっとっての話である。

 ともかく、本は多く持つべきではない。それは別の面からも言えるので、例えば、ある人が僕の本棚を見るとすると、まず彼は、九分九厘「ずいぶん持ってますね」というだろう。(少くとも今まてはそうだった)さて、そういってから、彼は次に何というだろう。それは九分九厘どころではない、もう十分、百パーセントこう言うに決まっている。「ところで、全部読んだんですか。」彼は、当然僕が全部読んでいるわけではない事は常識でわかるはずなのだ。それなのに、そう聞く。何という皮肉!だから、やむを得ず本がたまってしまった場合は、なるべく人目につかない所にかくしておくのがよい。そして五六冊机上に並べておく。さすれば、人が入ってきたとして、こういう言葉が期待できる。「ずいぶん本を選ばれるのですね」彼はまさか、つづけて「全部お読みになりましたか。」とは聞くまい。それで、こう答えればよい。「ええ、これでも全部読んではいないんですよ」と。それを聞いて、彼は軽蔑よりはむしろ尊敬の念にとらわれるに相違ない。「それでは、あの人の学識はどこから来るのだろう」と考えて。

 要するに、本をたくさん買い込んで、人目の立つところにれいれいしく並べておくのはまさに愚の骨頂といわねばならない。そしてその愚の骨頂とやらをひたすらに形象化しているのが他ならぬ僕の部屋なのだから、これはもう、何が何でも大火事か大震災に見舞ってもらわねばなるまいと考えるのである。

(1971)



本はその後も相変わらず増え続け、読書量も相変わらず増えないまま。しかし、本が物体である以上、その占める空間には限界があります。で、今までに3回ほど大量に古本屋に売らざるをえませんでした。中には、一度も目を通さずに、売られていった本もあります。合掌。しかし大地震の噂は27年も前からあったんですね。(1998)