近頃考えること


 最近、あちらこちらで反戦フォークソングの集まりがひんぱんに催されている。数人の男女学生がギターを持って大きな声で歌い出す。すると、次第次第に人が集まってきて、10分もすれば輪ができ、さらに数10分もすれば、輪は二重三重とふくらんでいく。カバンを下げた学生あり、サラリーマンありで結構楽しそうに(あるいは怒りをこめて)歌っている。けれど、そこを通り過ぎる時、私はその集まりを無関心な目でチラリと見るだけだ。歌を歌おうなどいう気持ちには到底なれないのである。

 「歌を歌ったからといって戦争が終わるわけでもないのだから無意味だ。」と現実主義者が言えば、「いやたとえ小さくても、次第にその輪を広げ、みんなが友情と連帯意識で結ばれれば、戦争はきっと終わらすことができます。」と理想主義者は言うだろう。私はどちらかというと現実主義者だが、私がそういう集会に無関心なのは、そんな理由からではなく、そういう集会につきものの何ともいえない感激に無関心であり、かつ、それを極度に警戒しているからである。

 私は誓ったのだ。「集団における感激は一切信じないことにする。」と。よく言われる連帯とか友情とかいう言葉が私には白々しく感じられてしかたがない。みんなで肩を組み、体を揺らしながら景気のいい歌でも歌えば、いわゆる連帯・友情を感じるのであろうが、私はそのような漠とした感情を信用する気にはなれない。

 友情というのは、二人の間に生まれるものであり、一人の人間が多くの人間に対して持つ友情などというものは本物とは思えない。また、連帯ということにしても、鎖の最小の単位が二つのリングのつながりであるように、二人の人間の結びつきをその単位として持っていなければ何の意味もない。

 シャガールは「一人一人の人間の愛を確かめることによってしか、この混乱した時代を生きのびる道はない。」という信仰を持っていた。それがそのまま私の信仰になるわけでもないが、シャガールの信仰は、私に確実な生き方を教えてくれる。

 「自分を知り、自分を知る者と共にあること。」森有正は、それが「生きる」ということの意味だという。今の私の心には、そういったシャガールや森有正の言葉が最も深くしみ込んでくるような気がする。

 フォークソング集会を非難する資格は私にはない。ただ私はそこを黙って通り過ぎる他の術を知らない。そして、喫茶店の片隅に一人で黙然として座り、孤独だとか愛だとかいった世間のチリにまみれてしまった言葉を、何とかして心の奥底に定着させようなどというヤクザなことを躍起になってしたりするのである。「君はベトナム人民がどうなろうとかまわないのか!」という非難の声を耳の底に聞きながら。

(1969)



ぼくが大学(東京教育大学)に入学したのは70年安保の前夜の1969年のことでした。政治的な立場を明確にしないと生きにくい時代で、ぼくのような立場の人間は「ノンポリ」とよばれ、活動家の学生や大学の教授たちにもっもと軽蔑されていたように思います。ぼくの「集団における感激は一切信じない」という誓いは、大学入学直後に、民青グループの卑劣な手口に引っかかってしまった事へのショックと反省から生まれたものだったように思います。ただ、ぼくのような生き方は、それなりに苦しく、やり場のないものでした。だから、ぼくは今でも「君はベトナム人民がどうなろうとかまわないのか!」といった罵声を浴びせかけた人間が、権力の側に居座っているのをみると、いいようのない不快感と憎悪を禁じ得ないのです。(1998)