湖畔にて


 腰をおろした私の眼前には、さざ波が夕日にキラキラ光る青黒い十和田湖の湖面が広がっていた。はるか向こう岸には、中山・小倉の両半島が影絵のように重なり、更にそのむこうに連なる山々の上には青インク色の空が広がり、ピンク色に染まった真綿のような雲が二つ三つその空に浮かんでいた。私はスケッチをしていた。けれども、水と空とその中間になだらかな山並みがあるだけのこの景色は、とうてい私の手にはおえそうもなかった。

 私はその時ふと妙な音を耳にした。小さな虫の羽音のようだった。私はすぐに音のする方を目で追った。やはりそうだ。私が腰をおろしたすぐそばの石の上で、アシナガバチとヤンマが死に物狂いの闘いをくりひろげていたのだ。私はそれを見て、てっきりヤンマがハチを捕らえたのだと思った。バタバタと音をたてて威勢よくあばれているのはヤンマだったし、ハチはヤンマの下にいて、死んだように動かなかったからである。しかし、しばらくして私はぞっとした。今までのあばれていたヤンマがぜんまいの切れたおもちゃのようにピタリと動かなくなると、下で死んだようになっていたハチがいそいそと動き出したのだ。私は息をのんで見守った。と、その時、カリカリという妙に澄んだ、そして乾いた音が聞こえてきた。ハチがヤンマを食い始めたのだ。ハチは完全に勝者だった。誰もいない湖畔にそのカリカリという悲しい音が大きく響いた。

 さざ波は単調な音をたてて絶え間なく湖畔に寄せていた。他には音ひとつしない静かな夕暮れだった。

 やがて、ヤンマの胴体にポッカリと大きな穴があいた。ハチは自分の体程もある大きな肉ダンゴをしっかりかかえていた。ハチはおもむろに羽根をふるわせたが、その重みで、なかなか体が浮かび上がらなかった。それでも何とか浮かび上がったかと思うと、ゆっくり上昇し、私の頭上を二、三回旋回した。そして今度は急に速度を速め、ブーンという音を残して、もうだいぶ濃くなってきていた夕闇の中にすいこまれるように消えていった。

 湖畔には風が出た。私は手早くスケッチ道具をしまうと、宿に戻るべく立ち上がった。そして、もう一度湖畔にさびしく横たわるヤンマに目をやった。肉をえぐり取られ、紙ヒコーキのように軽くなったそのなきがらは、夕風にひらひらと力なくふるえていた。湖面はいっそう黒み増し、青インク色の空も、ピンク色の綿雲も、もうとっくに消えてしまい、あたり一面に灰色の夕闇が広がっていた。

(1968)



高校3年で東北方面に修学旅行に行ったおりの思い出のひとこまです。この文章はぼくが通っていた東京教育大学の国文科のクラスでだしたガリ版刷りの雑誌「ささら」に掲載したものですが、この雑誌はつい先日物置を整理していたときに、ひょっこり出てきました。ほとんど忘れていた旧友に再会したような気分でした。文章は、志賀直哉の「城の崎にて」の下手なコピーみたいですが、この情景はフィクションではありません。楽しいはずの修学旅行中に、ひとり宿を抜け出してこんな光景を眺めていた当時の心境は、今でもはっきり覚えています。

(1998)