春雷


 

 赤錆び色を帯びた雲がぶ厚く覆っている春の空に透明な閃光が走り、乾いた雷鳴がそのあとを追ってひびきわたった。

 芝生の上に撤かれていた色とりどりの服をまとった少女達は申しあわせたようにかん高い悲鳴でそれに答えた。花火のようにはじかれ散って、少女達が物陰を求める中で、ツツジの群落だけが華やかな静止を保っている。

 再び閃光が走り、雷鳴がひびく。友人のDの婚約式に立ちあってきたばかりの私の耳は、そのひびきに歓喜と祝福とを聴いている。

 

 S女子大学の庭ではガーデンパーティが催されていた。芝生の上には大きなパラソルが立ち、円卓が並び、少女達はバンドの演奏を聴きながら、そのはれたような赤い口唇にストローをくわえている。

 偶然にかちあっちゃってね、うるさくてしょうがないよ、と不機嫌そうにいうDについて聖堂の中に導かれると、そこは外とはうってかわったひんやりとした空気に満たされていた。外のバンドの演奏の音も何か抽象的にきこえてくる。古風なガラス窓から庭を眺めると、あいかわらずそこは少女達の天国だが、あのストローをくわえたはれたような赤い口唇が不思議と見えない。

 私の背後で、一緒に来た私の若い妻が、高い天井の下に据えられたソファーに腰かけて、Dの御両親と静かに話をしている。その声は、必要以上に低いように思われる。

 

 うす暗い祭壇の前におかれた二つの静物。赤いビロードの小箱にはダイヤの指輪、青い皮張りの小箱には金色のタイピン。それらは左側の窓からまっすぐにさし込む光をうけて静かな輝きをたたえている。

 左の胸に高くカトレアの花を飾ったKさんのとなりに、少し頬の肉の落ちたDの俊厳な顔がある。

 最近結婚したばかりの私が、今こうして妻とともに友人の婚約式に参列している。私達も結婚まで長い道のりだったが、Dたちも、又、長い長い道を歩んできた。それは一つの果実が実るような、静かな目立たぬ、そして決して安易ではなかったであろう「愛」の成熟の過程であったはずだ。二人の静かな祈りの姿に私はそれを確信していた。

 4

 厳粛な、しかし簡素な式が終わり、私達は再び明るい光に満たされた外の世界にうち出ていった。

 バンドマンは休憩なのか姿がなく、明るいざわめきが潮騒のようにきこえている。

さあ写真をとります。そうだそこがいい、並んでください。照れる二人をまん中にして、二人の御両親、神父さんたちを、バンドの消えた「舞台」に並べる。円卓のまわりの少女達はしばし、口唇からストローを離して、こちらをみつめる。さあ、いいですか、とりますよ、ハイッ。

 そこに定着される一つの「幸福」。

 5

 とてもいい式だったわね、僕たちもあんなふうにやりたかったね、そんな話をかわしながら、今にも降りだしそうな雨雲を上目づかいで見ては足を早めていた私達を、にわかに大粒の雨が両手を広げてさえぎった。

 私達はとっさにふとん屋のビニールの大きなひさしの下に逃げ込んだ。広い道路に一面の水しぶきがあがった。ひんやりと湿っぽい風が私達の足元を吹いていく。

 アマヤドリなんて何年ぶりかしら。ひょっとしたらはじめてじゃないのかなあ。こんなふうに知らない人の家の軒下で雨のやむのを待つなんて。むかしは待っていなかったわね、ほらあんなふうに駆けていったもの。トシなのかなあ。ううん、そうじゃないわ、むかしはいつも行先があったからよ……。

 雨は次第に小ぶりになり、空が急速に明るくなった。雨のしぶきがきらきらと光ってみえる。私達は黒く濡れた歩道に一歩踏み出した。その時、再び又春の空の遠く彼方に雷鳴がひびき、そして、それは、次第に遠ざかっていった。

(1974)




五反田と清泉女子大学が舞台です。この婚約式は印象的でした。今ではこの夫婦も私たち夫婦もそろそろ銀婚式を迎えようとしています。

(1998)