雪の峠で


 柏木林道なる山道をようやく登りつめて、ホッと一息ついたヤビツ峠は、雪の反射がまぶしかった。あしたはきっと日本晴れだと言ったHの言葉が見事に的中した。防水のきいていないキャラバンシューズには遠慮もなく水がしみ込んで──それが雪解けの水だから凍るように冷い。

「おい、あそこで休んでいこうぜ」

雪のない日なら見向きもせずにその前を通り過ぎて、めざすヒュッテへと急ぐのに、その日ばかりは疲れたので、僕は丹沢ホーム経営の休憩所を指してこう言った。H以下同行の三人の友人も、一も二もなく賛成の意を表した。

「こんちわー」

ガラリと戸を開けて、あいそよくあいさつすると、四角い顔を、いかめしく張った肩の上に乗せた小柄なおやじさんが、ニコニコ笑って

「ごくどうさん」

と言いながら、ストーブで尻をあぶっている。

「雪はどうだったね」

「いやー、すこいですね。こんなにあるとは思わなかった」

我々は、ひとまずストーブの周囲に腰をおろし、びしょぬれになったキャラバンシユーズを脱ぐ。足がスーッと軽くなったようだ。

「ハッハッハッ。こでかだの方が、もっとすごいぞ」

おやじさんは、どこの人だか知らないが「ラ行」をうまく発音できない。めがねの奥の細い目にしわを寄せながら、肩の上でクックッと笑う。

「あれ、いやだなー。この犬ばかにもの欲しそうな眼で俺を見つめるぜ」

とSが言う。Sはいつのまにかうまそうなサンドウィッチをほおばっている。

「この犬、どこの大?」

とM、

「そで?そでは、あそこのヤビツ小屋の犬だ。日曜日しか餌を食えないんだ。そででガツガツしていず」

「日曜だけって?」

「小屋は日曜だけしか開けないのさ、冬は。月曜になずと、こいつウチへ来ず」

「へえー」と感心したような顔をしながら、Sはサンドウィッチを惜しげもなく哀れな犬に与えている。Sの手まで食いちぎりはしまいかと思う程、大はガツガツとSの手からむしり取るようにサンドウィッチを奪っている。おやじさんは、それを見ながらクックッと笑って、

「暖ったかくなでば、お客さんもたくさん来てザンパンも出ずんだが……」

おや、このおやじさん、それならこの犬に餌をやってないのかしらん。犬の訴えるような眼差しを見るにつけ、僕はこの推量にだんだん確信の度合を深めていった。

「そでで、君たちはどこまで?」

「僕たちですか?札掛までです」

「札掛?」

「ええ、栄光ヒュッテです」

「ああ、栄光の人かい」

丹沢ホームと栄光学園とは昔なじみだから、このおやじさんも栄光ヒュッテぐらいはよく知っていると見える。

 しばらくして、おやじさんは、今度は両手をストーブの上にかざしながら、さりげなくこう言った。

「きのう、遭難があってね」

「遭難?どこですか?」

「うん、ほだ、大山さ」

「へえ−ッ。大山でねー」

「二人で登ってね、一人は動けなくなっちまって、一人はそいつをおいて下ぢたそうだ。さっき、めっけたっていってたなあ。何も持たないで登っただしい。あの吹雪の中を──」

そう言っておやじさんは又肩の上て例の如ぐクックッと笑った。

「きのうは、栄光の人が二人ミノゲまで来たそうだが、戻ったんだどう」

僕はSと顔を見合わせて苦笑した。その二人とはいうまでもなくSと僕だったからである。

 僕とSはその日の前日、大雪の降る中をバスで蓑毛まで来たのである。同行するはずの他の三人は、約束の時間を過ぎても来ないので電話をすると「行かない」という。我々も、それでやめればいいものを、意地をはってでかけたというわけだ。リュックを背負って東海道の電車にのると、車内の人がみんなあきれかえったような顔をして我々を見た。僕とSは、さすがに多少動揺して、「全く俺達もおかしいな」などといって、自分達の馬鹿さかげんをなぐさめあっていたが、本気で自分達が馬鹿だと思っていたわけではもちろんなかった。が、電車をおり、バスにのり、山に近づくに従って、どうやらその冗談が本当のことになってきつつあるのを感じだした。そして、雪にうずまった蓑毛に降りて、それでも、まだ冗談だと自らに言いきかせて、のぼろうとした時、二人の土地の老人が寄って来て、登るのをきつく諫めてくれたのである。僕達はとうとう観念して山を降りたと、まあこういったわけなのである。

「登らなくてよかったなあ」

とサンドウィッチをほおばりながらしみじみとした口調でSがいった。

「登ってたら、死んでいたね、きっと」

と僕がいう。

「なあに、平気だったさ。ミノゲまで来て帰るなんて全く馬鹿だよ。全く」とH。

「いや、死んでいたさ、絶対」

僕は断固として昨日登っていたら死んだであろうという旨を主張しつづけた。おやじさんはそんな話には関心がないといったような顔つきで、ストーブに重油をうまく導き入れる為に(ストーブは円筒形をした重油ストーブだった)いろいろと工夫をこらしている。犬はあい変らず訴えるような眼差しを客に投げかけている。

「そろそろ行くかい」

とHが腰を上げた。

「じゃどうもお世話様」

又あいそのいいあいさつをのこして僕はガラリと戸をあけた。サングラスをかけたので雪の反射はもうまぶしくない。おやじさんはニコニコ笑って尻をあぶりながら見送ってくれた。

「おい」

としばらくして、五○センチもある雪の中を、歩きにくそうに歩きながらHが言った。「あのおやじさんの神経はどうなってんだ。人が死んだってえのに、笑いながら話すなんてことあるかい」

「うん、全くだ。どうかしてる……」

と無気力そうに答えながら、あるいは人の死なんてものはそんな程度のものなのかもしれない。だってきのうあの二人の老人に会わなかったら、僕とSだって死んでいたにちがいないんだもの、などと考えていた。そして、きのう電車の中で、あきれたような視線を僕たちに投じた人たちは、大山での遭難を報じる新聞記事を見て、死んだのは僕たちだと信じて疑わないだろう。そうすれば、その人たちの目から見れば僕やSば死んだも同然なんだ、などとわけもわからないことを考えながら、雪の中を一歩一歩、歩いていった。

(1969)




大学に入ってからも、栄光学園の山小屋(ヒュッテ)にはたびたび出かけました。しかし、この大雪の日の登山はやはり無謀でした。ほんとうにあの日、ぼくたちは遭難していたかもしれません。ここに書かれているように、翌日の日本晴れの登山でさえ、林道もものすごい積雪で、普段の三倍くらいの時間と労力をかけてようやく山小屋に辿り着いたのでした。今となっては、ほんとうに楽しい思い出ですが。

(1998)