93 ピエロの哀歓

2016.8.6


 記憶力が弱いというのが、ぼくのおおきな弱点である。特に人の名前を覚えられない。従って、生徒の名前も覚えられない。教師としては致命的な欠点である。

 カラオケは好きだが、歌詞を見ずにちゃんと歌えない。カラオケは歌詞を見て歌うのが前提だからいいけど、これではのど自慢には出られない。

 だから、教師になって以来、長いこと演劇部の顧問をしてきたが、生徒たちが、ちゃんとセリフを覚えてくるのが不思議でならなかった。演技について、ああだこうだと指導してきたくせに、じゃあ、お前がやってみろと言われたら、ぐうの音もでなかったに違いない。もちろん、生徒は思いやりがあるから、そんなことを言ってきた者はいないのだが。

 栄光学園で演劇部を創部して15年目、1998年の「栄光祭」の公演のために、当時高1の部員だった東畑開人君(今は気鋭の心理学者として活躍中だ)が、1本の戯曲を書き下ろした。題して『待ちくたびれた白雪姫』(たしか東畑君がつけた題は「ピエロ」だったはずだが、ぼくが、それじゃつまんないとケチをつけてこの題にしたように思う)。

 お話は、「白雪姫」のパロディ。白雪姫は森の中で7人の小人に守られてひたすら王子を待っていたのだが、ぜんぜん王子はやってこない。そのうち、7人の小人のうち6人が老衰で死んでしまい、残った1人が白雪姫のそばで王子の来るのを待っていた。ある日(ここから芝居は始まる)、サーカスのピエロをやっていた若者が、サーカス団からはぐれてしまい、森の中に迷い込んできて、今は老人となってしまった小人と出会った。小人は、ピエロの青年に事情を話し、とにかく姫に接吻してやってくれ、そうすれば姫と結婚できる。はやくしないと姫が腐ってしまうからと頼みこむ。ピエロは喜んで承知して、眠っている姫に接吻すると、姫はようやく眠りから覚めるのだが、これが小生意気な女で、自分を起こしてくれたのが王子様じゃなくて、ピエロだと知ると、ピエロなんかと結婚する気はないと結婚を拒絶。ピエロはあえなく振られてしまう。そこへ現れたのがカッコいい王子。姫は喜んで結婚式を挙げるのだが、式を挙げたとたん、魔法がとけて(かかって?)、姫はみるみるうちにバアサンになってしまう。それを見た王子は、オレはこんなババアと結婚する気はないと逃げてしまう。泣き崩れる姫に、ことの次第を木陰から見ていたピエロが駆け寄り、ぼくは君がどんなにバアサンになったって、愛しているよと告げる。喜んだ姫はピエロと結婚する。その時、また魔法がとけて(かかって?)姫はまた若く美しい姫になり、二人は仲良く暮らしたのでした、という筋である。

 この戯曲を読んだとき、その卓抜な発想と、軽妙なセリフに驚嘆し、これは「栄光祭」で成功間違いなしと思った。それから、2ヶ月ほどの練習を積み重ね、芝居は順調な仕上がりを見せ、いやがうえにも期待が膨らんでいたとき、忘れもしない、本番の土曜日を前にした水曜日の夜、ぼくの家に一本の電話が入った。何と、ピエロ役のY君が、急性の腸炎で入院してしまったというのだ。これではとうてい土曜日の初日に間に合わない。

 翌日木曜日の朝、部員を集めて、事情を話した。いくらなんでも裏方の部員をいきなり主役のピエロにはできないから、役の入れ替えをしよう。セリフの少ない役に裏方の部員をまわせばいい。それくらいしか選択肢はないように思われた。いや、もう一つの有力な選択肢は、公演の中止である。その方がより妥当な選択肢に思えた。けれども、これだけみんなで一所懸命に練習してきた芝居を中止することは絶対にしたくないとぼくは思った。

 役の入れ替えは絶対に無理だ。それまで自分のセリフで一杯一杯だった者が、たった2日で別の役をできるわけがない。といって、中止は絶対に嫌だ。それならどうする。

 結論はひとつしかなかった。オレがやる。

 こう格好つけて言うのは簡単だが、最初に書いたように、ぼくは何10年と歌い続けてきた都はるみの「涙の連絡船」の歌詞でさえ覚えられない人間である。3月に卒業したばかりの自分のクラスの生徒に4月に町でばったり会って、ところで君の担任は誰だったの? というトンマな質問をすでに25歳にして発した人間である。修学旅行の引率で自由行動から旅館に帰ってきた自分のクラスの生徒に向かって、担任は誰だ? と聞いた人間である。そういうほとんど記憶能力に重大な欠陥があるとしかいえない人間が、1時間になんなんとするこの芝居の主役を、たった2日の練習で出来るかどうか、そんなこと、考えるまでもないではないか。

 けれども、その時のぼくの頭には、そうした客観的な事情など一切浮かべる余地がなかった。この芝居を中止にはできない。そのためにはオレがやるしかない。そのシンプルきわまりない思いだけが頭を支配していたようだ。ぼくには、ときどきこうしたことが起きる。何かをやるとなったら、それ以外のすべてのことが、頭の中から消えてしまうのだ。そのことで、どれだけ今まで周囲に迷惑をかけてきたのかしれないのだが、それがプラスに働くことがごく稀にあるのだ。

 まあ、いきなり主役を(主役、主役と調子に乗って強調しているが、本当の主役が誰であるかは、作者の東畑君に聞くしかない。話を単純にするためにこうしておくだけです。)やるといっても、2ヶ月も演出をしてきているので、何となくだいたいのセリフは頭に入っていた。だから後はそれを相手に会わせて正確に言えればいいのだし、演技の方は、演技経験がないけれど、まあ演出するときに、こうしろああしろと、それなりに「模範演技」をやってきたので、何とかなる、と考えたのだと思う。

 しかし、それからの2日間は、大変だった。文字通り、寝ても覚めてもセリフを覚えるのに必死だった。ICレコーダに、すべてのセリフを自分のところだけを「空白」にして録音し、それをクルマの中でも家でも聞いた。お風呂の中でも、セリフを呟いた。挙げ句の果てには、夢の中でも練習していた。これは誇張ではなく、ほんとうのことだ。
金曜日の夕方にゲネプロ(本番どおりの通し稽古)をやったような気がする。そこでは、間違いだらけだったと思うけど、それでも、何とか最後まで行けそうな感じにまでなっていたように思う。けれども、部員たちはぼくの芝居を見て、満面に不安を浮かべ、何度も「ちゃんとセリフ覚えてきてくださいね!」と念を押した。大丈夫、まかせておけ、って言ったかどうか忘れたが、その夜もただただセリフを呟き続けた。

 そしてとうとう土曜日の本番。ピエロの衣装を着て、ぼくがいちばん嫌いなメークをやけっぱちになって、自分で塗りたくり、見るも哀れなピエロができあがった。

 幕があがった。ぼくは、その時、49歳。恥ずかしいという感覚はなかった。不思議なことに不安もなかった。できるような気がした。そして、実際に、最後までほとんどセリフを間違えずに演じ切った。

 翌日の日曜日にもう一度公演があった。その時には、アドリブをいえるほど、落ち着いていた。舞台の脇へ行って、オシッコをする場面があるのだが、そこでは、「あ〜あ、最近キレがないなあ。」なんてクスグリを入れて、客席の前で見ている同級生の教師にひそかに受けたりした。

 日曜日、中学以来の熊井という中学以来の親友が娘を連れてやってきた。(彼の息子が栄光にいて、東畑君と同級生だった。同級生の熊井は、ぼくらをおいて先に逝ってしまった。)まだ小学生だったその娘に、「おじちゃんがこれから講堂でお芝居をやるから見てね。」と言っておいたら、殊勝にも彼女は見てくれたのだが、芝居の後、その娘に、「どうだった? おじちゃんは?」って聞いたところ、その娘は一言「おじちゃん、体が重い」。

 え? そうだったのか? って驚いて、すぐにビデオを見たら、若者のピエロのはずが、自分では若々しく演じたはずが、あろうことか、全身から「オジサン」が立ち上っている。その無残な姿と動きに、思わずぼくは、キャッと叫んで目を背け、ビデオを止めた。それ以来、二度とそのビデオを見ていない。

 けれども、それは、ぼくが「自分をほめたい」と思った、たった二つの体験のうちの「もうひとつ」なのである。

 


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