92 「road」貼り

2016.7.24


 顧みて人に誇れることのあまりに少なく、忸怩たる思いばかりがつのる我が人生だが、たった2つだけ、かの有森裕子のごとく「自分を褒めてやりたい」と思ったことがある。そのひとつを書いておく。

 栄光学園が創立50周年を迎えたのは1997年、ぼくが48歳のときだった。ぼくはその創立50周年記念行事の実行委員となり、記念誌の発行を担当することとなった。創立40周年の時も記念誌を発行したのだが、それは写真を中心としたアルバムのようなものだったので、今回は文章中心に学園の歴史をまとめようということになった。

 ぼくはその当時DTP(「デスクトップ・パブリッシング」コンピュータ製版のこと)に凝っていて、何でもかんでも版下をパソコンで作成して本やら冊子やらを作るのに熱中していた。ちょうどそのころ、ぼくが在学中から使っていた『中学生の古典』という学校独自の教科書の改訂の必要に迫られていて、その教科書の版下も手がけていたのだが、この記念誌の版下もぼくがやることにしてしまった。

 本や冊子を作ろうとした場合、いちばん金のかかるのがこの版下作成で、ものにもよるが、だいたい1ページ3000円ぐらいはかかる。それが例えば200ページの本だとすれば、それだけでざっと見積もっても60万円はかかる寸法である。それをぼくがパソコンでやってしまえば、その分はタダだから、1冊あたりの単価も相当安くなるわけだ。自分でヤリマスって言い出したんだから、金を払えとはいえないが、まあ、完成の暁には金一封ぐらいは出るだろうぐらいの気持ちだったかどうか知らないが(ちなみに、一銭もでませんでした。)、全部自分で版下を作ったんだという自己満足が得られればそれでよかったのだ。だから、このことについて「自分を褒めてやりたい」なんて思っているわけではない。

 1997年の4月頃だったろうか、およそ3年の歳月をかけたぼくを含めて4人の記念誌編集委員の努力が実り、299ページの記念誌『より高く』5000部が完成し、印刷所から納入されて天にも昇る気持ちでいた日の翌日の朝、学校へ行くと、編集委員の一人の若い教師が「山本先生、見つけちゃいましたよ。」と言う。「え? どうしたの?」って聞くと、誤植があったというのだ。まあ、299ページもの本に一つや二つの誤植があったとしても当然だし、たいしたことじゃないと一瞬思ったが、その誤植の箇所と内容を聞いて思わず絶句した。校正には万全を期したつもりでいたのに、とんだ落とし穴があったのだ。

 記念誌は「歩みをたどって」「思い出とともに」「今、そして…」という3部構成になっていて、その各章ごとに扉をつくり、そのそれぞれの扉に、よせばいいのに、学園で長く歌われてきた英語の歌詞を掲載したのだ。その第3章の扉には「We are building a road」という勇ましい歌を配したのだが、こともあろうに、その「road」のスペリングが間違っているというのだ。あわててそのページを見ると、なんと、「road」とあるべきところが「rord」になっているではないか。まるで英語を習いたての中学生のような間違い。しかも、ご丁寧に、この歌詞には、題も含めて3回も「road」が出てくる。ぼくが歌詞をタイプするときにコピペしたので、3ヶ所とも全部間違っている。

 文章の中に出てくる言葉に誤植があったとしても、まあ気づかなければそれまでだが、いちばん目立つ扉に、余白を十分にとって配置してある英語の歌詞に、こんな初歩的な、幼稚なミスがあるとなれば、とんだ恥さらしだ。

 で、問題はここからだ。これを放置できないことは確かだから、とるべき対策としては、正誤表を配るか、修正するしかない。しかし正誤表などを挟み込んだら、わざわざこちらの無知無学を宣伝するようなものだ。これは修正するしかない、そう思った。

 修正するといっても、修正液を塗ってその上から手書きなんてみっともないことは絶対にしたくない。そんなことしたら精魂込めた版下作成が台無しだ。これはもう、上から貼るしかない。幸い、自分で作った版下だから、まったく同じフォント(字体)で、字間・行間もまったく同じにプリントすることができる。修正箇所をよく見ると、2枚のシールを作れば、3ヶ所の修正をすることが分かった。つまり、1冊につき、2枚のシールを当該箇所に貼るという作業をすればいいのだという結論が出たわけである。

 しかしである。本は5000冊ある。5000冊の本がどのくらいの量になるかは、見たことのない人にはちょっと想像がつかないだろう。その本の当該ページを広げて、そこに2枚のシールを手で、しかも正確に貼るという作業が果たして制限時間内に出来るだろうか。

 記念誌が納入されたのが4月、記念式典は6月21日。式典の前に、様々な関係先に送付することもあるだろうから、1ヶ月ほどしかないことになる。しかも、こっちは授業がある身の上。どうすればいいのか。事務の人などに依頼して数人でやれば、可能かもしれない。どうしようもなければ生徒を動員するという手もある。けれども、ぼくは、自分のミス(つまり「road」を「rord」と恥ずかしくも打ち間違えたのは、他でもないこのぼくなのだ)の尻ぬぐいを他人に押しつけることだけは絶対に嫌だった。自分でやるしかなかった。

 次にぼくが考えたのは、どうやって時間を作るかということだった。

 中学校の国語の教科書に、井上ひさしの『握手』という小説が載っていた時期がある。それを授業で教えた時、その中に出てくる「ルロイ神父」(イエズス会の神父である)の「困難は分割せよ」という言葉がその時頭に浮かんだ。「そうだ分割だ!」

 それからぼくは、1冊の本に2枚のシールを貼るという作業(*注)に何秒かかるかを計った。そして、5000冊に貼るのに要する総時間を計算して割り出した。次に、およそ1ヶ月の間にそれを成し遂げるには、1日に(休日はもちろん除いて)どれくらいの時間をかければいいかも計算した。その結果は詳しく覚えていないが、1日にせいぜい1時間をその作業にさけば、1ヶ月ほどで達成できることが分かったのだ。

 次に、規則を作った。

1 どんなに忙しくても、決めた時間は必ず作業をすること。(1日サボると、ついついそれが度重なるものだから。)

2 どんなに興に乗っても、決められた時間以上は作業をしないこと。(興に乗ったらやるという形になると、興が乗らないときにはやらないということになりかねないから。)

3 休日出勤は絶対にしないこと。(これは元々のぼくの数少ないポリシーだから。)

4 誰の助けも借りず一人でやること。(誰かと一緒にやると、ついその人に頼る気持ちが出てくるものだから。)

 これをほぼ忠実に守った。作業の1日目に、件の若い教師が手伝ってくれたけど、やはりその後の手伝いは断った。同じ編集委員だとしても、自分のミスの尻ぬぐいはさせたくなかったし、仕事は楽になっても気兼ねの方がストレスになりそうだったということもあったようだ。

 その頃使われなくなって倉庫のようになっていた穴蔵のように暗い地下の部屋(知る人ぞ知るの、昔の購買部があった部屋)に、5000冊を運んでもらって、来る日も来る日も、シールを貼り続けた。最初はいくらやっても、山のように積まれた本の山はいっこうに減る気配すらなかったが、それでも「計算」を信じて、貼り続けた。別に辛いとも思わなかった。慣れというものはオソロシイもので、だんだんとスピードもアップしてきた。挙げ句の果てに、この作業を「ロード貼り」と勝手に名付け、「線路は続く〜よ〜、ど〜こまでも〜。」なんて鼻歌交じりでやるようになった。そして、とうとう、ほとんど「計算」通り、5000冊全部にシールを貼り終えたのである。

 そのとき、生まれて初めて「自分を褒めてやりたい」と思ったのだった。


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