88 学校と軍隊

2016.6.16


 ここ1ヶ月ほど、大西巨人の『神聖喜劇』を読み続けている。毎日50ページ弱の読書だが、全5巻(光文社文庫版)の3巻まで読み進んできた。

 対馬要塞の銃砲兵聯隊に補充兵役として入隊した東堂太郎二等兵が主人公で、その目を通して軍隊の内部がこと細かに描かれる。

 この小説を読むきっかけとなったのは、最初の勤務校、都立忠生高校で同僚だった西尾文雄先生の「オレは、死ぬまでに読みたい本がいくつかあるんだ。」という言葉で、その中にこの『神聖喜劇』が入っていたのだ。その言葉を聞いたのはもう15年以上も前なのだが、ずっとそれが気になっていた。

 例の大きな手術の後、毎日少しずつ世界の長編小説を読む「プロジェクト」を始め、まずは西尾先生の「読みたいリスト」に入れていた『失われた時を求めて』からスタートして、その後さまざまな名作長編を読破したのだが、やはりどうしても翻訳の壁というものがあって、どこか「隔靴掻痒」の感を免れなかった。それで『カラマーゾフの兄弟』読了をもって海外ものはひとまず休憩として、この『神聖喜劇』にとりかかったのだ。

 読み始めて驚いたのは、主人公の東堂太郎の生まれたのが大正8年、そして作者大西巨人もまた大正8年生まれということだった。というのは、ぼくの父が他でもないその大正8年の生まれだったからだ。しかも父も二等兵として戦地へ赴き、大変な目にあったのだ。(満州で終戦を迎え、シベリア抑留となった。昭和23年夏に復員。)学歴においてはまったく違うけれど、軍隊で置かれた立場には共通する面も多々あっただろうと推測される。そのため読んでいていちいちああ父もこういう目にあったんだろうなあと思うわけだ。

 父は平成になる直前に69歳で亡くなったが、シベリア抑留体験や兵隊の体験を割合よく語ったほうだと思う。しかし肝心のところはたぶん語っていないのだろう。ぼくも根掘り葉掘り聞くこともなかった。その父の語られなかった体験を大西巨人が代わりに語ってくれているような錯覚にまで、ともすれば陥りそうになる。そういう点で、ある意味稀有な読書体験となっているのである。

 それはともかく、読んでいてギクッとするのは、この小説に出てくる言葉や事件とぼくが42年間の教師稼業における言葉や事件との驚くほどの類似性である。

 小説の初めの方に印象深い「事件」があった。上官に向かって「知りません」と言うことが許されず、「忘れました」と言えと強制されるという「事件」である。軍隊での規則をまだきちんと教わっていなかったので、「知りません」と新兵が答えると、上官が有無を言わせず「知りませんじゃないだろ! 忘れましただろ!」と怒鳴るのである。東堂はそこに執拗にこだわり、その言いぐさの法的根拠を求め、この問題は意外な広がりを見せることになる。

 けれどもそのこととは別に「知りませんじゃないだろ! 忘れましただろ!」というセリフは、「教師ぼく」(この言い方も、『神聖喜劇』独特の言い方だ)がずいぶんと多用してきたセリフなのだということが、ショックだった。もちろん「教師ぼく」は教えてもいないことに対して「知りません」と答えた生徒に「知りませんじゃないだろ! 忘れましただろ!」なんてことは言わなかった。ちゃんと教えたぞ、という確信があったからこそ、そう言った。しかしである。そのセリフ、つまりそういう言い方をぼくはいったいどこで覚えたのだろうかと、ふと思ったとき、暗然たる気持ちにとらわれたのである。

 ぼくがそんな言い方を考えついたわけではあるまい。きっと昔の先生が言った言葉を覚えていてそれをマネしたのだろう。じゃ、その先生はいったいどこから? と、考えていくと、つまる所は「軍隊」じゃないかと思ったのだ。

 ことはそれだけにとどまらなかった。集合している生徒に向かって「解散!」と言い、修学旅行に行けば、旅館で「貴重品袋」を使ったが、それもみなこの小説に出てくる「軍隊用語」なのだ。

 「校庭に集合!」「はやくしろ!」「なにグズグズしてるんだ! 走れ!」「解散!」「列を乱すな!」……数え上げたらキリがないほどの数々の「命令」。そして校則の数々。公立、私立を問わず、学校現場で日々行われている多くのことは、何と「軍隊」に似ていることだろう。

 「教師ぼく」は、そうした軍隊的な物言いや数々の規則に、42年間、いったいどう向かい合ってきたのだろう。そのことを十分に自覚し、それと懸命に闘ってきただろうか。今更そんなことを反省したところで遅きに失すること甚だしいのだが、やっぱり考えてしまう。
そして、そういう「退職教員ぼく」の耳に、20年ほど前に栄光学園のある先生の言った言葉が鮮明に蘇ってくるのを覚えるのだ。その先生はこう言ったのだった。

 「生徒に向かって大声を出すようになってしまったら、ぼくは教師を辞めるつもりだ。」

 それを聞いたとき、ぼくはたぶん軽い反発を感じただろう。そんなことで教師を辞めることができるなんていいご身分だ、ってきっと思ったろう。けれども、教師になったその年から、生徒指導部に「配属」され、生徒を怒鳴り散らし、命令することを叩き込まれたぼくには、ハッとさせられるインパクトがあったに違いない。しかし、それにもかかわらず、ぼくは相変わらず生徒に、大声で指示し、命令しつつ教師としての日々を過ごしたわけである。そのことが、ぼくが教職を嫌い、一日もはやく引退したいと切望した理由だったことも確かなのだが。

 何の指示も、命令をできないのでは、教師の仕事はつとまらない。生徒を「引率」すれば、旅先では必然的にヒステリックに威圧的な言葉となるのもやむを得ない。けれども、学校という組織、あるいは学校が催す行事、そのひとつひとつが、どういう「必然性」によって成り立っているのかを、ほんとうは問いなおさなければならないのだろう。そういう反省を『神聖喜劇』は促すのである。もっとはやく読むべきだったのだ。


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