76 「時間をかける」ということ

2016.3.6

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 水墨画を習いたいというのが長い間の夢だった。絵の方は、学生時代から水彩画を自己流で描いてきたのだが、書道をやるようになって墨に親しむようになってから、やっぱりこの墨で絵を描きたいものだと思うようになったのだ。

 水墨画入門といった本を買い込み、それを参考に描いたこともあったのだが、どうにもうまく描けない。抽象的な図像なら、墨のぼかしなどを利用して、面白いものがいくらでもできるが、鳥なら鳥をお手本どおりにちゃんとそれらしく描くとなると、これがなかなか出来ない。何度も描いてはみたが、あまりにうまくいかないので嫌気がさしてしまい、いつもそのままほっぽり出すということになっていた。

 水墨画のように伝統のあるものは、書道と同じように、ちゃんと先生に就いて習わなければダメだと痛感しつつ、その時間がとれなかった。いや、時間は、定年退職後の人生だからいくらでもあるのだが、行きたいと思う水墨画教室の開催される時間が、金曜日だけで、その金曜日には唯一残っている仕事が入っていたので、通うことができなかったのだ。

 しかし、今年にはいって、金曜日の仕事もなくなり、時間ができた。それで、この前の金曜日に、思い切って出かけてみた。

 桜木町の駅前にあるビルの5階に教室がある。先生は、中国の方で姚(よう)小全というおそらく50代の男の先生。以前、書展でお目にかかり、いつか行きますからと言ったことがあるのだが、先生は、もちろん覚えていなかった。あれから半年も経つのだから当然である。それに先生が生徒のことを覚えてないのは、ぼく自身が証ししているではないか。しかも、まだ「生徒」ですらなかったわけだから。

 その日は、見学だけのつもりで、何も持っていかなかったのだが、教室にはぼくより高齢と思われる男性が3人ほどと女性がひとり。開放的で実に自由な空間だった。せっかくだから何か描いてみてくださいと言われて、お手本を二枚渡された。ツバキのような花の絵と、竹にすずめがとまっている絵だった。筆は、隣に座った女性から借りた。その他の道具は全部教室に備え付けてある。

 描いていると、先生が、いろいろと話してくれる。完全な日本語ではないので、ときどきよく分からないことはあるが、その話の内容はとても新鮮で興味深いものだった。

 ぼくは書道は10年ほどで、絵は水彩画をずっと描いてきました、と言うと、水彩画というのは、西洋ではもともと油絵の習作として描かれたものだから芸術のジャンルとしては確立していない。それに対して水墨画は中国では古くから重要な芸術のジャンルとして確立してきたものだ。水彩画と水墨画は、ぜんぜん違うものなので、その点を理解しなければいけない、と言う。

 水彩画は現在では、もちろんジャンルとして確立している。しかし、同じ作者で、同じ大きさなら、油絵のほうが断然高値がつくのも事実だ。その理由はいろいろあるだろうが、先生の話から気づいたのは、その絵の制作にかかる時間の問題がある、ということだ。

 ぼくが描いてきた水彩画は、せいぜいA4版ぐらいの大きさで、どんなにかかっても2時間とかからないで「完成」してしまう。チャチャッと描いて終わり、それがぼくの水彩画だ。その手軽さがぼくは好きで、描いてきた。

 水墨画も、それをただ墨でやるだけの話だから、かかる時間も同じくらい、いやひょっとしたらもっと短いのかもしれないと思っていた。紙の上に、墨でササッと描く。それが水墨画だと漠然と思い込んできた。

 それが大間違いだった。先生が、何を描きたいんですか? というので、そうですね、花鳥画や人物画も描きたいんですが、一番描きたいのは山水画です、というと、先生は、ああ、山水画はね、時間をかけて描くんですよ、一ヶ月とか二ヶ月とかね、という。どこに山を描いて、どこに木を描いて、どこに川を描いて、というふうに計画を立てて、それを時間をかけて描いていくんです、というのだ。

 ササッと簡単にできるものなんて芸術じゃありません。時間をかけて作るものこそ芸術的な価値があるんです、と先生は言う。

 そうか、そういうことか、と深く考えさせられた。

 ぼくは、今まで、何でも簡単にササッとできるものが好きだった。「時間をかける」ことが苦手だった。書道でも、とにかく筆がはやすぎると師匠にこの十年の間、注意され続けてきた。それでも、そのクセはなかなか治らない。

 水墨画は、書よりも、もっとはやく筆を動かすのだと思っていたのに、まったく逆だった。鳥一羽描くのに、文字一字書く何十倍もの時間がかかる、いや時間をかけてゆっくり描かないとまったく描けないことが分かった。

 何でもはやければいいということではない。仕事がはやいと褒めらたことは幾度となくあるが、それも粗製濫造の気味がある。お風呂もすぐに出てしまい家内がいつも呆れるほどだ。ここらで、腰を落ち着けて、何事にもじっくり時間をかけて取り組むことを心がけたいものである。

 


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