74 『田端抄』を読みながら

2016.2.10

★画像付きブログで読む


 ここのところ、矢部登著『田端抄』という本を読んでいる。金沢にある亀鳴屋さんが出版している本である。亀鳴屋さんは、個人出版社で、実にユニークな本を続々と出している。およそ商業ベースにはのらないような地味だが貴重な本が多く、企画もさることながら、造本も凝っていて、絶対に「自炊」などする気にならない本ばかりだ。

 そもそも、ぼくが「自炊」などという無粋なことに手を染めたのも、本の置き場に困ったからであって、置き場さえあれば、多少老眼で読みにくくても、紙の本を撫でながら読みたいわけである。特に趣味的な本は、なおさらそうだ。

 この『田端抄』は、田端生まれの著者が、折に触れて田端にかつて住んだ作家や芸術家をしのんで散歩しながらの感慨を淡々と綴った随筆集である。まさに、「随筆」の名にふさわしい、回想が回想を呼び、いつのまにか、現代から大正、昭和へとタイムスリップしていく書きぶりで、思わず本の中に引き込まれる思いである。

 田端はぼくにとっては、ずっと通過地点で、駅を降りて歩いたこともなかった。が、去年の春、かつての「田端文士村」を一度は訪ねてみたいと殊勝にも考えて、半日かけて歩き回ったのだが、芥川龍之介の旧居あとさえ見つけることができずにがっかりしたのだった。けれども、今回この本を読んでいくうちに、ああ、あのあたりだったのかとか、ああ、そこは行ったことがあるとか、結構、実はいろいろ収穫のあった「文学散歩」だったのだということがわかっておもしろかった。

 実際に歩いているときは、さほどの感慨がなくても、後からしみじみ回想するということはあるもので、そういう意味では、ほんのちょっとでも体験するということは大事なことなのだ。中学生を奈良や京都へ連れて行ってもただ鹿にセンベイやったり、舞子さんにキャーキャー言ったりするだけだから意味ないなんて思う人もいるかもしれないが、奈良の仏像を一度でも見たのと見たことがないのとではずいぶん違う。大げさに言えば、日本の文化に対する認識の深さにかかわるわけだ。

 田端は、その昔、大学の卒業論文で室生犀星を扱ったときから、その名をよく耳にしていたのだが、そのころは、東京の大学に通っていたにもかかわらず、そして時間は湯水のようにあったにもかかわらず、かつて犀星が住んだ田端を歩いてみようなんて一度も思ったことがなかった。「文学散歩」なんて、ジイサンのやることだぐらいにしか思っていなかったのだ。文学をそのテキストの分析によって理解し解釈していこうとする当時の流行(?)の中で、作家がどこに住もうと、誰とどこで飲もうと、そんなことは重要じゃないと思っていたのだろう。

 そのこととは直接関係はないが、その当時だったと思うのだが、曾野綾子が、「風呂敷に資料を抱えて歩く〈郷土史家〉」をバカにして、ああなったらオシマイだとか、あんなのは歴史とは関係ないとかいったようなことを書いていたことが今でも鮮明に記憶に残っている。ぼくはたぶん「我が意を得たり」とばかりに共感したのだろうと思う。けれども、今それを思い起こすと、曾野綾子の誤りは、すでにそんなところに胚胎していたのだと納得できる。曾野綾子を研究したわけでも、愛読したわけでもないが、昨今の彼女の言動を耳にするにつけ、いつも思い出すのはこのことなのだ。

 ひとりひとりの個人が、時代の中で何を思い何をしたのかという細々したことよりも、大きな歴史の流れの方が大事なのだといった考え方こそが、人の道を過たせる。大事なのは、これも最近読んでいるウナ・ムーノあるいはセルバンテスのいうところの「肉と骨を持った人間」だ。「普遍」に還元されない「肉と骨を持った個人」こそが、すべてだ。だとすれば、その個人が、どこに住み、誰と語り、何を思い、何をしたか、そういうことで意味のないことなどひとつもない。

 しかしそれにしても、こんなことを思うようになったのは、ぼくが歳をとったせいだろうか。寒さ、暑さの中を、かつての文人の後ろ姿を追いながら、田端の町に杖をひく矢部さんの姿に共感するなんて、やっぱり昔のぼくには想像もつかないことだった。

 ところで、この「杖をひく」という言い方は、この本に何回も登場するのだが、改めて辞書でその意味を調べたところ、「散歩する」という意味で、実際に杖をつかなくてもいいのであるということを確認した。けれども、この言い方には「老い」が感じられる。それほどジイサンでもないのに自らを「翁」と好んで称した芭蕉もこの言葉を使っていたように思う。ふと矢部さんはいくつなのだろうと、巻末を見て驚いた。ぼくよりひとつ歳下であった。


Home | Index | Back | Next