62 深まりゆく思いと時間

2015.11.16

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 10月の末ごろに、一通の手紙が届いた。青山高校に勤めていたころの先輩のD先生からだった。先生は、ぼくが青山高校勤務の最後の年1983年以来、「青山談話室」という小冊子を自腹を切って出版してこられた。ぼくが青山を去ったあとも、毎年、この雑誌を送ってくださり、寄稿も求められたのだが、1回寄稿するのがやっとだった。

 その「青山談話室」も30号を2011年に刊行して、廃刊となってしまったと記憶する。(手元にある第1号が1984年、第30号が2011年だから、ほぼ年に一回出し続けたということだけでも驚異的なことである。その後、もう1、2号出ていたかもしれないが本が手元にない。)

 廃刊しますというお手紙を先生からいただいたとき、先生もお年だし(とっくに80歳は超えておられるはず)、それに毎回送っていただいているのに、いつもそっけない御礼のハガキですませてしまっていて、ちっとも経済的な支援なども考えなかったものだから、廃刊も仕方のないことだと思った。申し訳ないことだとも思った。そしてそれ以来、先生とは年賀状だけのお付き合いになっていたのである。

 そこへ、そのD先生からの手紙。そこには先生らしい端正な字でこんなことが書かれていた。

前略 春から夏にかけての大暴風雨がしばらく途絶えて、静かな秋が訪れていますが、皆さん、それぞれいかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。このあたりで、しばらくの晩秋の雰囲気を味わっておられるのではないか、と推察しております。
 そこで、こうした秋の雰囲気の中で、思い浮かべて考えておられる感想の数々をお書きの上で、私のところまで送ってくださいませんでしょうか。多くの方々が、何を考え、どう思っておられるのか、集めて一冊の冊子にしてみようか。
 私の頭に浮かんで来ましたのが、例のくせです。
 そんなわけですので、皆さんの思いが、原稿用紙にして、二〜三枚から四〜五枚程度にでも、まとまりましたら、どうぞご遠慮なく、お送りくださいませんでしょうか。お待ちしております。
    十月二十五日  署名」

 え? また作るんだ。って思ってびっくりしたけれど、それ以上に、ぼくはこの文面に妙に心ひかれたのだった。

 先生がこの手紙を出した相手は、みなぼくよりも高齢である。何しろ、ぼくが青山高校に勤めていたのは28歳から34歳までで、教師の中でもほとんど最年少だった。辞めるころには、ぼつぼつと若い人も入ってきてはいたが、それでも、圧倒的に歳上の先生たちばかり。この「青山談話室」の「執筆陣」も、名前も知らない昔の人も多く、ぼくがなかなか「寄稿」できなかったのも、年齢的なギャップにもよるところが大きかったわけである。

 D先生が手紙を出した相手が、ほとんどが70歳を超えた人ばかりなので、こういう文面になるのである。今の若い人には、こういう発想すらないだろう。こんな面倒なことをしなくても、「多くの方々が、何を考え、どう思っておられるのか」など、フェイスブックやらツイッターやらブログやらで、難なくわかる。分かりすぎるほどだ。

 それに比べて、このD先生の心境はまるで違う。深まりゆく秋の気配を全身に感じながら、縁側の籐椅子かなんかに座って、「ああ、そういえば、みんな、今ごろ、何を考え、どう思っているのかなあ。」とふと思う。そうだ、また、雑誌を作ろう。みんなの思いをまとめて1冊の冊子にしてみよう。そんなことをふと思いついた……。

 「みんなが考え、思っていること」が、D先生の元に届くまでには、それなりの時間がかかる。それをまとめて、編集して、冊子を作ってみんなに配布するまでにはもっと時間がかかる。でも、その「時間がかかる」ことが、とても大事なことのように思えてならない。なにか大切な時間がそこには流れているように思えてならないのである。

 「みんなどんなことを思っているんだろうなあ。」と思うまでに先生の心の中を流れた時間。それはまた秋の深まっていく時間とも重なる。そして、「みんなの思い」が封筒に入れられて先生に届くまでの時間。それはたぶん、秋から冬にかけての時間とも重なるだろう。時間の中に生きていくというのは、こういうことを指すのではなかったろうか。

 などという感慨にふけっている間に、その手紙が届いてからあっという間に20日以上経ってしまった。こんなエッセイを書いている場合ではない。

 このどんどん冬めいていく季節に、ぼくがしみじみ思っていることは、さて、どんなことなのだろうか。


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