61 高校演劇っていいなあ

2015.11.8

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 教科書の仕事の関係で知り合った開成高校のM先生が演劇部の顧問をしていると聞いたのは数年前のことだったろうか。今年の9月に、こまつ座の『國語元年』を見に行ったとき、偶然、高校の演劇鑑賞会とぶつかり、トイレにいた生徒に「君たち、どこの学校?」って聞いたら、開成高校ですっていうので、びっくりして、じゃM先生知っている? って聞いたら、ええそのM先生が企画してくださったのですというので、更にびっくりしたということがあったばかりなのだが、この前、仕事の席でそのM先生が、興奮気味に「演劇部が都大会に出場決定しました!」って言うので、またまたびっくり仰天して、「じゃ、見に行くよ。どこでやるの?」って聞いたら、「東京芸術劇場のシアターウエストです。」っていうから、もう死ぬほどびっくりしたのだった。(なんでかというと、ぼくが昔都立高校の演劇部の顧問をしていたころの中央大会の会場は、江古田の日大芸術学部の講堂だったからだ。)

 近ごろ、びっくりするようなことが多くて、それは「出来事」そのものが「驚くべきこと」なのか、それとも年をとったせいで、感情のスイッチが入りやすく(あるいは壊れてもろく)なっているのかとんと分からないのだが、あの名にし負う「開成高校」の演劇部が、都の演劇大会に出る、ってことは、それほど普通のことではないとぼくは思ったわけだ。世間のイメージとしては、「開成」といったら「東大」で、ひたすら受験勉強にイソシム生徒を思い描くだろうから、演劇などというヤクザなものには目もくれないだろうとぼくが思っても不思議ではないだろう。

 その開成の演劇部がどういう芝居をするのだろうかという興味がフツフツを湧いてきたのも無理からぬところで、件のM先生に、日程が決まったら教えてねと言ったのが、何ヶ月前だったろうか。そのうち、大会のチケットはネット予約できるそうですという連絡がM先生から入ったから、ネットで見ると、予約は10月20日からです、なんて書いてある。まだ先だと思っているうちに、20日の当日になった。ネットで見ると、予約開始は午後4時頃を予定しています、なんてある。スタッフが手薄で、困ってるのかなあなどと思って、夜の7時ごろにアクセスしたら、なんと「完売」となっているではないか。またまたびっくりである。なんかの間違いじゃないかと思って、M先生に、「もう完売になってるよ」と連絡すると、先生も「へえ〜、そんなことってあるんですかねえ。」とびっくりしている。「完売」とは言っても、無料なのだが、とにかくチケットは全部「予約済み」ということで、これが「受付開始」から数時間の出来事である。それからはキャンセル待ちしかなくて、結局、諦めるしかないと思われた。しかし、数日前、生徒の一人が急に行くことができなくなって、1枚チケットが余っていますけどどうしますか? ってM先生から連絡がきた。どうするもこうするもない、是非お願いしますと頼んだのだった。

 それにしても、いったいいつから、高校演劇の都大会はこんなに人気なんだと不思議に思いつつ(だって、江古田で中央大会をやってたころは、そもそもチケットなんてなかったし、会場も何時行っても余裕で入れたのだから)、出かけてみると、シアターイーストとシアターウエストの前の「広場」は、高校生たちですごい混雑となっている。劇場の前に張ってあるポスターも気合いが入っているし、入場したらしたで分厚いパンフレットまでくれる。しかも、ぼくのように「開成だけ」見る観客は、前の方の指定席である。(一日見る「通しのチケット」は後ろの方の自由席)チケットのもぎりから、会場の案内まで、全部高校生がやっている。すごい。すごすぎる。

 開成高校演劇部は、『花火』という生徒の創作戯曲を上演した。4人の役者の演ずる芝居は、高校生らしい爽やかなコメディーで、いろいろ演技やら演出やらで、未熟なところもあったけれど、とにかく面白くて大笑いしながらみた。芝居をやるのを楽しんでいるかにみえる生徒、思うようにならないセリフや動きを懸命にこなそうとする生徒を見上げながら、ぼくが栄光の演劇部を指導していたころに戻ったかのような気分で心の中で応援していた。あ、そこをもうちょっと強く、とか、あ、そこでちょっと止まって一呼吸おいてからそのセリフを息を吐きながら、とか、もうそういうダメだしも心の中に渦巻いたが、それでも、彼らの緊張感や、突然叫ぶときの解放感やらが、ひたすら羨ましかった。いいなあ、高校生の演劇って。これが演劇の原点だよね、そんなふうに思ったのだった。

 家に帰って、もらってきた分厚いパンフレットを見て、またまたびっくりした。それは、「東京都中央大会上演記録 1947〜2014」という10ページにも及ぶ一覧表だった。え、それなら、アレも乗ってるの? とページをめくっていくと、ありましたよ、ありました。都立忠生高校の記録である。1974(昭和49年)都立忠生『綾の鼓」三島由紀夫、1975年(昭和50年)都立忠生『青い馬』別役実、1976年(昭和51年)都立忠生『正午の伝説』別役実。

 都立忠生高校はぼくが赴任した1972年は、創立2年目。その年からぼくは演劇部顧問をやらされて(自分からやらせてくれと言ったわけではなかった)、翌1973年別役実の「マッチ売りの少女」で多摩地区大会に出場するも致命的な失敗をして敗退。その翌年、1974年に三島の『綾の鼓』で多摩地区大会で優勝したのだ。その後、3連続多摩地区大会優勝を果たし、1976年の『正午の伝説』では都大会で4位となったのだった。

 これはぼくの教師生活の中でももっとも「輝かしい」出来事だったし、何も自慢できることのないときは(とにかく自慢したがりの自己愛人間なので)、決まってこのことを持ち出して自慢してきたのだったが(こんなに連続して優勝できたのは、ぼくの力ではなくて、それこそ力のある部員がいたからなのだが──その部員の一人がキンダースペースの瀬田ひろ美である──、それをぼくはすっかり自分の手柄にして自慢してきたのだった。すみません。)、それが、この「表」にきちんと収められていることに深く感動したのだった。

 それは、ぼくの「自慢の証拠」が見つかったからではない。そうではなくて、この大会を運営してきた先生たちが、昭和22年の第1回大会以来、毎回必ずきちんとその記録を残し、しかも、今になっても、それを大事に記録として伝えてくれていることへの感動と、そして感謝である。特に都立忠生高校は、もう廃校となってしまって存在しない学校である。その「栄光の歴史」の一端がこうやって残されているのは、何とも言えず嬉しいことなのだ。

 ぼくは、生来の面倒くさがりによって、大会運営に関しては何もお手伝いをしてこなかったし、青山高校の演劇部は、そもそも東京都の演劇連盟に加盟してなかったから大会に出場することもなかった。栄光の演劇部も20年やったが、一度も神奈川県演劇連盟には加わらなかった。一時熱心な生徒が県大会に出たいと言ってきたが、「中学生と高校生を合わせてやっと何とかなっているんだから、高校生だけの大会になんか出られるわけないだろ。」とはねつけた。そういう理由もあったことはあったのだが、やっぱり、ひとえにぼくの「怠惰」のしからしむるところである。そんな怠け者の教師の対極に、こうして高校演劇を一生懸命支え育んできた先生たちがいたのだ。

 びっくりすることが増えてきたのは、やっぱり、この年になって、「己の拙さ」に初めて気づくことが多いからなのかもしれない。


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