59 肩書きのない名刺

2015.10.26

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 「肩書きのない名刺」というエッセイがあったような気がして、おそらく向田邦子だろうと思っていたのだが、ネットで調べたら、三國一朗のエッセイ集だった。それなら読んだことはない。読んだことはなくても、題名だけはよく知っているという本や作品というのは数知れないわけだが、題名だけでも知っているということは決して悪いことではない。

 高校生の頃、国語で文学史の知識問題のテストがあって、作者と作品を結びつけるというものだったが、50題ほどのクイズみたいなその試験で、ぼくはクラスで一番だったか二番だったか、とにかく「よくできた」ことを覚えている。それは、それほど読書家でもないのに、新潮文庫とか岩波文庫の解説目録が好きで、そればっかり「読んで」いたからだ。その時覚えた、ゾラの「ナナ」とか、モーパッサンの「脂肪の塊」だとか、メルビルの「白鯨」とかは、50年たってもまだ読んでない。読んでなくても、名前を知っているから、そのうち読むきっかけにはなる。文学史の丸暗記なんて意味のない勉強だというのが、昨今の一般的な考え方だろうが、案外そうでもないのである。

 「肩書きのない名刺」というエッセイだか本だか(たぶん、エッセイの題名を本の題名にしたのだろう)を読んだことがないのに、その題名を思い出すことが昨今多いのは、自分の名刺が、まさに「肩書きのない名刺」になってしまったからである。

 教師なんて仕事では、名刺はそれほど必要なものではない。主な「顧客」が生徒ないしはその親であるわけだから、私はこういう者ですといってわざわざ名刺を渡すことなどないのである。だから、ぼくが勤めた三つの学校では、いずれも、学校が名刺を作ってくれることはなかった。もっとも、生徒指導部長とか、校長とかいった役職につけば、作ってもらえるらしかったが、ぼくは42年間の教師生活を通じて、そういう「役職」や「管理職」に一度もついたことがなかったから、学校に名刺を作ってもらったことも一度もなく、すくなくない金を払って名刺はいつも自分でハンコ屋に作ってもらっていた。

 そのうち、パソコンで簡単に名刺が作れるようになると、自分で勝手に作っていた。それほど使う機会はないとはいっても、年をとるにつれて、学校以外での仕事やら趣味の世界やらも増えてきて、それなりに使用頻度もあがっていった。

 肩書きは、「栄光学園中学高等学校教諭」だった。これを渡すと、栄光学園がそれなりの「有名校」なので、少なくとも神奈川県に住んでいる人などには「お!」といった顔をする人も少なからずいて、悪い気はしなかった。そういうときに、肩書きが「教諭」なんかじゃなくて、「教務部長」とか「進路指導主任」とかいったものなら、もっとよかったのになあと思わないことがなかったわけではない。

 なんで、東京教育大学という、教師の世界ではエリート校を出ているのに、42年間も「ヒラ」だったのかは、話していると長くなるからやめるが、最初の学校に勤めたときに、先輩の教師から、「死ぬまでヒラ教師を通すなら、よほど自分に自信がないとダメだぞ。」って言われたことをよく覚えている。彼は、権力を嫌い、絶対に管理職になんかつかない、って言っていたのだが、その後、どういう事情からか、一度だけ「教頭試験」を受けたことがあり、それをすごく恥ずかしそうにぼくに打ち明けたことがある。結局教頭にはならなかったが。

 彼は、「自分にはこれがある」という自信がないのにヒラの教師のままでいると、きっとミジメな思いをする。それなら、せめて、教頭とか校長になるしかない、というのだった。当時の東京都の教師の中では絶大な勢力を誇っていた茗渓閥(東京高等師範・東京文理大・東京教育大学の同窓会で作る教育界の派閥のようなもの)の一員として、うかうかしていると、どうしても「管理職」にさせられてしまう、それがいやなら「自信を持てる世界」を持てというのが彼の忠告だった。ぼくは、その忠告を片時も忘れずにその後の教師人生を過ごしたような気がするのである。結局のところ、「管理職」にはならずにすんだものの、そうかといって「自信を持てる世界」も持てなかったが。

 まあ、そんなこんなで、42年もヒラの教師で過ごし、肩書きも、ヒラなりに「教諭」でよかったのだが、退職後は、何も書くことがない。まさか「元教諭」というわけにもいかない。まさに「肩書きのない名刺」を持つしかない状態になったわけだ。

 三國のエッセイは、たぶん、「肩書き」なんかで虚勢をはるのではなく、「人間そのもの」で勝負しろ、それを象徴するのが「肩書きのない名刺」だぞ、っていうことを言っているのではなかろうか(読んでないうえに、内容まで邪推するなんてもってのほかだが)。けれども、それは、たいそうな肩書きのある人間が、あえて「肩書きのない名刺」を持つからカッコイイというか、見上げた心根というか、そんなものの象徴になるわけで、もともと肩書きのないヤツが、「肩書きのない名刺」をもっていても、だれも褒めてくれない。

 別に褒めてもらうために名刺を渡すのではなくて、話のきっかけになればそれでいいのから、なんでもいいじゃないかとも言えるのだが、趣味で絵を描くからといって「画家」とも名乗れないし、エッセイを書いているかといって「エッセイスト」というのもおこがましい。ましてまだ始めて10年もたっていない書で「書家」というのはもっとおこがましい。

 そんなわけで、去年、退職とともに「肩書きのない名刺」を自分で作って、ブログやホームページのアドレスを入れるぐらいが関の山という始末となった。そうなると、渡すときに、「もう退職してますから、肩書きもなんにもないですけど。」なんて変な言葉が口をついてでる。これもなんかどこか言い訳じみていていやだ。おもしろくない。

 そんな微妙な体験を重ねて、ようやく最近「名誉教授」という「称号」がなぜあるのか分かった。ずっと昔「名誉教授」は無給だと聞いて、それなら意味ないじゃんと思ってきたのだが、なんだ、名刺に書くためか、と思い至った次第だ。最近あるサイトで、東京教育大学の家永三郎教授が、退職後、大学が「名誉教授」にしようとしなかったのだが、弟子達が奔走してやっと「名誉教授」になれたという記事を読んで、はたと「名誉教授」の「意味」が分かったような気がしたということもある。

 それなら、「名誉教諭」ってのがあってもいいんじゃないかなんて思うが、そうなると「査定」がムズカシイなあ。退職者は全員「名誉教諭」とか、「名誉講師」とかすればいいんじゃないかとも思うが、それだと「希少価値」がないから、だれも「お!」って思わないしなあ、なんてバカなことを考えていたら、ふと、それより、ちょっとキレイな名刺を作ってみようと思った。キレイというか、ちょっとデザインをして、もらった人が、これなに? って思えば、何にもないよりマシだというわけだ。それで、ちょっとは話のきっかけとなるかもしれないではないか。その試作品が冒頭に載せたものである。こんなのならいくらでもできそうで、おもしろそうだ。何はともかく、おもしろければそれでいいと思う昨今である。


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