54 「清水比庵」という人

2015.9.22

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 清水比庵という人をご存じだろうか。ぼくは、記憶領域のどこかに、かすかにあったのだが、ちゃんと認識していなかった。

 土曜日の書道のお稽古のとき、師匠から「清水比庵」の展覧会をやってますよと教えられて、行ってみようと思っていたのに、翌日にはすっかり忘れてしまっていた。その夜、師匠のブログで「必見 清水比庵」という記事を見て、しかも、21日(月曜日)が最終日で、しかも、21日は、10時から12時まで、という文字をみて、あわてた。行こうと思った。

 ただ、その日は、師匠のグループ展「書TEN」の初日でもあり、ぼくはその書展の「写真係」になっていたので、午後は会場である池袋の東京芸術劇場に行くことになっていた。ただし、初日なので、開始は12時。なるべく早めに会場に着きたいので、「清水比庵展」はもう10時開場と同時に行かねばと思って9時ごろに家を出たのだった。比庵展の会場は横浜は栄区の区民センター「リリス」である。根岸線本郷台駅のすぐそばにある。

 ところが、本郷台へ向かう電車の中で、もういちど、「書TEN」の開始時間をみたら、何と、1時だった。しまった、これでは、時間が余ってしまう。清水比庵展をどうねばったって、1時間がせいぜいだろう。まあ、どこかで昼飯でも食べながら時間をつぶせばいいかと思いつつ、こうやって、いつも時間を間違えてばかりいる自分が今更ながら情けなかった。

 「清水比庵展」は、ものすごく充実していた。狭い会場に、絵、書、絵手紙などが所狭しとばかり展示されている。しかも写真撮影OKなのだ。絵も、書もいい。すごくいい。だんだん記憶の中から、この人がどんなに有名な人だったかということが引き出されてくる。そういえば、師匠のブログには、清水比庵のお孫さんが会場にいらして、ご挨拶もできたと言っていた。どの人だろうなどと思いつつ、夢中になって写真を撮っていたら、「それではこれからギャラリートークということで、清水さんからお話を伺うことにします。」との案内があった。会場に置かれた大きなテーブル(その上には、いろいろな資料が展示されていたのだが)を囲んで10数人が座った。お話をされたのが、清水比庵の孫、清水固(かたし)さんだった。

 清水固さんは戸塚に住んでおられて、清水比庵の業績を世に広めようと努力されているのだそうで、「私は話し出すととまらなくなるので」と言いながら、比庵の生まれから、どのように生き、どのように世の中で評価されるようになったのかを、実に詳しく、分かりやすく話してくださった。時間は1時間にも及ぼうとする長さだったが、飽きることはなかった。人の話を聞いて飽きないということは滅多にないことだ。

 中でもいちばん心ひかれたことは、比庵が大活躍したのは80歳を過ぎてからだということだった。もともとは歌を詠むことが好きだった比庵は、やがて絵も描き、書も書き、絵手紙も膨大な数を書いたのだが、「歌・絵・書」の三位一体の独特の作風が成熟し、自由自在にその世界を展開したのは80歳を過ぎてのことだったのだという。サラリーマンとして、そしてやがては日光町の町長などもするかたわらに書いた書は誰に師事するということもなく、若い頃はむしろ下手で、小学生の頃の書道の成績は丙だったそうだ。絵の方も河合玉堂と親交があったが、弟子となったわけではない。むしろ河合玉堂の方が歳下の比庵を歌の師としたという。

 言ってみれば、比庵の書も絵も文人のものであり、専門家のものではないということになる。だからいい、ということにもなるのである。熊谷守一という人の絵も書もおもしろいが、その系統になるということかもしれない。

 清水固さんのお話を聞きながら、比庵は、ぼくが目指している方向にいる人だなあと思った。いま、ぼくは、書だけではなく、絵も描き、写真も撮り、エッセイも書いている。書では、昔書いた詩を引っ張り出してきて、それを書いてみてもいる。「書画一体」こそ、ぼくが目指している境地で、そのうえ、書として書く言葉が自分の詩だったりすれば、それこそ比庵みたいな「三位一体」ではないか。そんなふうに考えてうれしくなってしまった。

 もっとも、比庵は、相当変わった人でもあるようで、発想の自由さ、奇抜さ、そして天真爛漫さ、などなどでは、ぼくとはまるで逆の人でもあることは確かだ。だからこそ憧れるのだ。

 80歳以降、比庵は、作品に年齢を書き込むようになった。だから、年齢が書かれていない作品はみな80歳以前のものです、と固さんは言っておられた。比庵は93歳でなくなったそうだが「時世の歌」がふるっている。曰く「大なる文字書きておる夢ばかり病臥五十日いまだ書き足らず 仰臥書之 比庵」。

 比庵の一人娘、固さんのご母堂は、101歳まで生きられたが、その101歳のときに、やはり寝たまま書を書いたという。すごすぎる。

 「書TEN」の開始時間を間違ったために、1時間はやく比庵展に行ったぼくは、はからずも、清水固さんのお話を聞くことができた。なんというラッキーなことであろう。何かといえば、「先が短い」ことばかりを嘆いていたぼくにとって、比庵はこれからの「目標」となるだろう。まるで神の啓示である。

 調子にのったぼくは、「書TEN」の会場で、師匠に、「ぼくもこれから年齢を書こうかと思うんですが。」と言ったら、「まだ早いですよ。」と一蹴されてしまった。80歳まで、まだ先は長い。


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