46 いい人生

2015.7.28

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 3日間にわたる、キンダースペースの『赤い鳥の居る風景』の公演も終わったが、その打ち上げに招かれた。キンダーの役者さん、スタッフさん、客演の役者さんたちで行われる打ち上げに、ぼくが招かれたのは、チラシ、ポスターの字を書いたからだったらしい。チラシにも、スタッフとしてぼくの名前が書いてあった。なんとも光栄なことである。しかし、ぼくは頼まれてチラシの字を書いたわけではない。ぼくがたまたま書いた字を使ってくれたのだ。その経緯は前に書いたとおりである。

 打ち上げは、公演の最終日の翌日(つまり7月27日)、キンダースペースのアトリエで行われた。公演のとき、原田さんに、「ぼくなんかが出てもいいの?」と聞くと、「もちろんですよ。だって、スタッフなんですから。」と言われたので、お祝いに「焼酎」と、「梅ヶ枝餅」(たまたま京急デパートで九州展をやっていたので出来たてを買えた)を携えて、出かけたのだった。

 アトリエ公演でしか見たことのない西川口のアトリエは、大道具がない部屋になっていて、意外に狭い空間である。そこに、テーブルとイスが並んでいた。キンダーの人たちとは顔なじみなので、みんな笑顔で迎えてくれる。テーブルの上には、飲み物や劇団員の手作りの料理が所狭しと並んでいる。

 夕方6時に始まるとのことで、徐々に人が集まってきたが、6時になっても肝心の原田さん、瀬田さんが来ないので、まずは、「第一次乾杯」ということになった。司会の村信さんが、何を思ったか、突然、「では乾杯の音頭を、瀬田さんの恩師である山本さんにお願いします。」という。隅っこのほうで見学できればいいやというくらいのつもりだったぼくは、飛び上がるほどびっくりしてしまったが、びっくりしたまんま、わけもわからないことを言ってとにかく乾杯の音頭をとった。劇団の主宰者原田さんの奥さんである瀬田さんの高校時代の恩師である、ということだけで、ぼくは、今までずいぶん「いい目」を見させてもらったが、考えてみれば、ぼくが「瀬田さんの恩師」であるということは、過去のことで、今の時点でキンダーに何ほどの貢献をしているわけではない。(いちおう賛助会員ではあるけれど。)今回だけは、「チラシの字を書いた」という貢献はあったのかもしれないが、それとても、瀬田さん、原田さんの「粋なはからい」だったのだとぼくは思っている。それなのに、乾杯の音頭をとれるなんて、なんとオレはシアワセな男なのだろうと、感激してしまった。

 ほどなく原田さんも瀬田さんもやってきて、原田さんの音頭で本格的な乾杯が行われたのだが、その後の打ち上げの展開は、またまた驚くべきものだった。

 そもそもぼくは劇団の打ち上げというものに参加したことがなかった。高校の演劇部では、公演の終わるたびに打ち上げはやったけれど、それはたいていジュースを飲んで、ああだこうだとしゃべっているうちに終わってしまうようないいかげんなものだった。キンダーの打ち上げも、最初はそんな感じだった。ところが、はじまって1時間ぐらいたったころ、「それでは、これから○○を始めます。」と言う。この○○が何という言葉だったかどうしても思い出せないのだが、とにかく「儀式」のようなものが始まったのだ。

 「儀式」というとなんかアヤシイ感じがするが、そうではない。原田さんが手に「大入り袋」を山盛りにして持って、立ち上がった。その「大入り袋」をキャストやスタッフのひとりひとりにねぎらいの言葉とともに渡し、みんながその度に拍手をし、そして受け取った人は短くスピーチをする、そういう「儀式」だったのだ。

 ぼくは、そこでも初めの方で名前を呼ばれ、「瀬田は、先生に高校時代、別役実の芝居を教えられ、芝居の道を歩むきっかけを作ってくださいました。今回は、チラシに字を書いてくださいました。ありがとうございました。」といったような内容の謝辞を原田さんがきちんと述べて、大入り袋を手渡された。そこでも、ぼくは感激してしまって、いつものような流暢な(?)スピーチをするどころではなく、言いたいことの十分の一も言えないたどたどしいスピーチをした。今思えば、ぼくは、キンダースペースの皆さんに、少なくとも30分ぐらいは感謝の言葉を述べ続けたかったという気持ちで一杯だけれど、そんなことをしたら会はいつまでも終わらなかったろうから、かえって感激でしゃべれなくなって幸いだったわけだが、とにかく、その後、キンダーの役者、スタッフ、客演の役者、キンダーの若い役者の卵など50人近い人たちのすべてに、原田さんはユーモアたっぷりに、しかもひとりひとりの働きに心からのねぎらいの言葉をかけ、そしてその人たちがみな、またユーモアの中にもそれぞの個性あるれるスピーチをしたのだった。それはいつまでも続いてほしいと思うほど、面白く、愉快で、また刺激的で、「発見」にみちたものだった。

 そうしたやりとりを聞きながら、劇団キンダースペースが、人間関係に対する信じられないほどの細やかな配慮によってこそ維持されているのだということ、だからこそ、小さな劇団だが、今年で30年周年を迎えるほど長く続けることができたのだと深く納得したのだった。

 劇団の維持ということは、人間関係だけではなくて、経済的な面でも実に多くの困難を抱えている。けれども、その困難を乗り越えさせるものは、「演劇」への情熱と愛以外の何ものでもない。ここに集まった人たちは、誰ひとりとして「金もうけ」のために、『赤い鳥の居る風景』という芝居をやろうとしたわけではない。ただただ、いい芝居を作りたい、他の劇団にはできないような別役実の芝居を作ってみせたいという情熱だけで、集まり、稽古をし、舞台に立ち、あるいは裏方の仕事に奔走した。演劇の魅力とは、つまり、そういうところにあるのだとシミジミ思った。これは一時のセンチメンタルな感想ではなく、極めてリアルな実感であえる。

 焼酎を飲みながら、原田さんに、「原田さんも瀬田さんも、いい人生を送っているね。」と言ったら、「まあ、そうですかね。大変ですけどね。」と苦笑いしていた原田さんだったが、打ち上げの最後に、演劇への思いをとめどなく情熱的に語る原田さんをみて、そして「はい、そこで終わり!」との瀬田さんの一言で、恥ずかしそうに笑ってすぐに話を打ち切った原田さんを見て、やっぱり2人はいい人生を送っているなあと思ったのだった。


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