41 「歴史」の「衝撃」

2015.6.21

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 『ある明治人の記録──会津人柴吾郎の遺書』(石光真人編著・中公文庫1971)という本を読んだ。知人がネットで推薦していたからだが、この有名な本を、ぼくはまったく知らなかった。一読、驚愕だった。出版されてすでに44年もたっているというのに、情けないことである。とはいえ、そういった類の本は、それこそ無限にあって、いちいち「情けないことである」なんて言っていたらきりがないことも事実だが、やはり自らの勉強不足に弁解の余地はない。

 それにしても、この本に書かれていることは、衝撃的である。もちろん、いくらぼくが「歴史嫌い」だからといって、幕末から明治にかけて会津藩が被った悲劇を知らなかったわけではない。10年程前には、会津若松・喜多方への旅行もしている。白虎隊のお墓に詣でてきたし、第一、小学生のころか中学生のころか知らないが、白虎隊を描いたドラマが確かあって、その主題歌だったかどうか忘れたが、白虎隊の歌をさんざん歌ったものだった。(この歌をめぐってのエッセイはこちらをどうぞ。「携帯電話と白虎隊」、「ああ、白虎隊」、「『花の白虎隊』」、「ああ、橋幸夫」)更に言えば、喜多方出身の大学時代の同級生がいて、何年か前に会津藩士のことを書いた著書を送ってくれて、それを読んだりもしていたのである。

 だから、会津藩のことについては、「かなり知っていた」はずなのである。それなのに、何がそんなに衝撃的だったのか。

 この本は、そのカバーの説明によれば、以下のような本である。

明治維新に際し、一方的に朝敵の汚名を着せられた会津藩は、降伏後下北の辺地に移封され、藩士は寒さと飢えの生活を強いられた。明治三十三年の北清事変で、その沈着な行動により世界の賞讃を得た柴五郎は、会津藩士の子であり、会津落城の際に自刃した祖母、母、姉妹を偲びながら、維新の裏面史ともいうべき、惨苦の少年時代の思い出を遺した。『城下の人』で知られる編著者が、その記録を整理編集し、人とその時代を概観する。

 「衝撃的」だったのは、この「惨苦の少年時代」のあまりのすさまじさだった。そしてその記述の見事さだった。

 この冬もまた寒風吹きぬける小屋にて、寝具なく蓆を被りて、みの虫のごとく、いろりの周囲をかこみて寝るほかなし。五三郎兄は留守居の兄嫁と同じ屋根の下に寝るは失礼なりと言いて、一丁ばかり離れたる林中の呑香稲荷の小堂をおのれの仮小屋として起居す。寒夜敷くべき褥なく、被るべき夜着なきこと、父上も兄嫁も同じなれど、五三郎兄の小屋には炉なくして暖をとる手段なし。俵、蓆などにくるまりて寝る。朝起き出でれば、家の周囲、小屋のめぐり、ことごとく餌を漁りまわれる狐、兎、鼠などの足跡一面なり。
 いよいよ吹雪の季節いたりて、余の一、六の休日通い困難をきわむ。余は前々より下駄も持たず跣足なり。家に入るときは桶にて洗いてのち入るをつねとせり。氷点下十五度を降ることまれならず、氷雪の上に跣足にて起ちてあれば凍りつきて凍傷す。常に足踏みしてあるか、あるいは全速にて走るほかなし。足先の感覚を失いて危険を感じ、途中の金谷村の三宅方に駆け込みて少時暖をとり、夏のままの衣類を風にひるがえして、また氷雪の山道を飛ぶがごとく落の沢の父上を訪ね、米一升を貰いてふたたび凍結の山野を馳せ帰る。父上、兄上もこれを見て、履物を工面せんとせるも容易ならず、ある日、余は堪えかねて野口叔母を訪ね、履物の借用を願いたるも、貸す余裕なしと断わらる。

 ここだけ抜粋しても、細かい事情は分からないだろうが、いずれにしても、これが、会津藩士のわずか12歳の子息が下北の地へ移封されてなめた辛酸の実態だったのだ。障子にはる紙もないので、零下15度という真冬に寒風が吹き込む家の中、暖房はおろか、寝具すらなくて、俵にくるまって寝る。外へ出るにも、履き物がなく、氷雪の上を跣足で走る。ほんとうに、「辛酸」を絵に描いたような情景である。そしてこれが「朝敵」とされた会津藩士のたどった運命だったのだ。

 この本の編著者石光真人は、この本の第2章「柴吾郎翁とその時代」のなかに、こう記している。

 古事記以来、私どもは、いくたびか数えきれないほど、しばしば歴史から裏切られ、突き放され、あげくの果てに、虚構のかなたへほうり出された。
 幕末から維新にかけて権力者交代し、新政権が威信を誇示して国民を指導するために、歴史的事実について多少の修飾を余儀なくされたことは周知の事実であり、また政治的立場からやむを得ないことであったろうと察しがつく。
 それにしても、本書の内容のような、一藩をあげての流罪にも等しい、史上まれにみる過酷な処罰事件が、今日まで一世紀の間、具体的に伝えられず秘められていたこと自体に深刻な驚きと不安を感じ、歴史というものに対する疑惑、歴史を左右する闇の力に恐怖を感ずるのである。

 学生時代から歴史が苦手で、文学史以外にはあまり興味がなかったが、ここへ来て、歴史のおもしろさに目を開かれるような本、映画、出来事などが立て続けにぼくのまえに立ち現れてくる。そして今更ながら思うことは、ぼくの「歴史嫌い」は、結局のところ、権力者側からの「歴史」に対する嫌悪に他ならなかったのではないかということだ。石光氏のいうとおり、たぶん「裏切られ」「虚構のかなたへほうり出された」気分がぼくの中にあったのではなかったろうか。

 そしてまた、ぼくの受けた「衝撃」は、この柴少年のなめた「惨苦」が、ぼくの父のシベリア抑留体験に、どこかで結びついていた故ともいえるのではないかとまで考えはじめている。


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