40 いちおうシアワセ?

2015.6.15

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 ヤマモトさんなんか、趣味がいっぱいあるから、定年後も退屈するなんてことないでしょうねえ、と、そろそろ定年を迎えようとするころに、周囲の人たちからよく言われたものである。そのたびに、いやあ、趣味といっても、これだけやってればぼくはシアワセだ、なんていうちゃんとした趣味じゃないですし、「多趣味は無趣味」って言葉があるくらいですから、やっぱり退屈しちゃうんじゃないかなあと答えていたが、いざ、「その身」になってはや1年半。近ごろは、どうも、退屈どころのさわぎではない。メチャクチャ忙しいというかなんというか、アワタダシイ日々である。

 何かに追い立てられているようで、こころのどこかで焦っているみたいなんだよね、と、先日会って飲んだ同級生に言ったら、そりゃ君がいろいろやり過ぎているからじゃないの? って言われた。

 確かにそういうことかもしれない。現時点でのことだが、いちおう「日課」みたいなものがある。厳密に守っているわけではないが、ブログには「一日一書」と称したものを毎日アップする。毎日「制作」しているわけではなくて、何日分かを溜め込んでおいて、小出しにするということも多いのだが、すぐに「在庫」がなくなる。そうすると、何か書かねばならない。あるいは「コラ書」と称するものを制作しなければならない。焦って、ああでもない、こうでもないとやっていると、あっという間に1時間ぐらい経ってしまう。

 〈「失われた時を求めて」を読む〉という「プロジェクト」もやっている。何のことはない、プルーストの「失われた時を求めて」という大長編小説を、毎日読んで、今日は何ページまで読んだという「報告」をフェイスブックにするわけである。自分で勝手に始めた「プロジェクト」だが、自分でも信じられないことだが、全10巻(ちくま文庫版)のうち、第8巻まで読み終わってしまった。最初は、読んだページだけの「報告」だったが、途中から抜き書きなどしていたら、こちらも膨大な「引用集」になってきている。「読む」のにだいたい30分(たいていは途中で寝てしまうので、約20ページ読むのに1時間ぐらいかかる日も稀ではない)、「報告」を書くのに20分ほどかかる。これであっという間に、1時間である。これは比較的楽しい作業である。読書自体の楽しさはいうまでもない。(退屈な部分もたくさんあるのだが。)

 週の日課(週課?)では、この週に一度の「100のエッセイ」がある。これは、土曜日か日曜日にアップすることにしているのだが、つい遅れて、今回のように月曜日になることもある。これは最近だらだらと長いので、ヘタをすると書くのに2時間ぐらいかかることもある。しかも、これは「書きだめ」できないから(昔はしていたこともある)、その日になって、さて何を書こうかということになって、たいていは何を書いていいか分からなくなって焦る。そうならないために、日頃から、頭の中であれこれ考えているのだが、そうすると、つい、上の空の行動になってしまって、外出するときにまともにちゃんとモノを持って出られない(スマホとか、スイカとか、メガネとか、帽子とか、傘とか、もういろいろあって、それらを全部ちゃんと持って出ることができない。)まあ、それでも、この「100のエッセイ」も、よくもまあ第10期などというトンデモナイ続きかたをしたものである。このエッセイが、最初から数えると940編目なんて、ちょっと信じられない。

 そんなわけで結構忙しいのに、「水曜日は水彩画」なんていって、毎週水曜日に水彩画を描いてアップするなんてことまで始めてしまった。友人が、それはキツイだろう、というのも無視して始めたが、案の定、前回などはすっかり忘れた。「え〜っと、今日は、何曜日だっけ?」といつも確認しないと分からなくなってしまうのが「無職」の定めなのだから、「今日は水曜日だぜ。」とちゃんと朝から意識するなんて至難のわざだ。毎週水曜日にきちんとアップするというのはかなり無理があるが、それでも、せっかく始めたのだから、やめてしまいたくはない。とびとびでも、続けたい。

 更に、最近忙しいのは、所属している会の書道展に出品する作品の制作にかなりの時間を費やしているうえに、別役実フェスティバルなどというものがはじまったおかげで、毎週のように芝居を見に出かけている。そのうえ、教科書の編集委員をまだやっているために、いろいろな仕事がある。ということは、よく考えてみれば、まだ完全に「無職」ではないのだ。

 そんなこんなの日々だが、これが「趣味がいっぱいあるから退屈しない」日々と言えるのだろうか。「シアワセな日々」と言えるのだろうか。なんかちょっと違うような気がする。大嫌いな試験の採点やら、職員会議やら、式典やらから解放されたことは、非常にうれしいことだけれど、「のんびりした生活」でないこともまた事実なのである。

 しかし、これで、なんとか940編目のエッセイが書けたことだし(エッセイといえるかどうかは別として)、まあ、いちおう、シアワセということにしておこうか。


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