35 甘樫の丘で

2015.5.11

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 室生寺の奥の院への強行登山ですっかりへたばった体で、どうしてまた交通の便の悪い飛鳥へ赴いたのか理解に苦しむところではあるが、やはり奈良のなかでも飛鳥の地は特別なのだった。甘樫の丘から大和三山をゆっくり眺めるだけでいいや、それで、もし時間があったら、飛鳥寺に寄って、飛鳥大仏(これが日本最古の仏像とされている)を拝もう。それだけなら、たいした時間もかからないはずだ。そう思ったのだ。友人から、4:10分の近鉄の急行で、難波駅まで来い、そこで落ち合おうというメールも来たので、時間的にもちょうどいいはずだった。

 橿原神宮駅から、タクシーで甘樫の丘まで行き、人気のない坂道を登りはじめた。新緑の木々が美しく、道ばたにはウマノアシガタの黄色い花が、まるで夢見るように咲いていた。坂道は、室生寺の坂道とはうってかわって、ゆるやかで、むしろ心地よく疲れをほぐしてくれるようだった。

 その時、どこからともなくフルートの音が聞こえてきた。単純な聞き覚えのある旋律で、銀色の光とともに、新緑の中から降ってくるかのようだった。丘の上でコンサートでもやっているのかとふと思ったのだが、短い旋律を何度も吹くので、ああ、練習しているのだと納得された。ときどき、間違えて、吹き直したりしている。それもほほえましかった。しばらくすると、こんどはサックスの音が重なった。あれ、ふたりか。サックスは、たどたどしく、間違えてばかりだ。いったいどこでやっているんだろうと思いつつ、坂道をのぼり、丘の上の展望台についた。展望台といっても、20メートル四方もないくらいの平らな場所で、周囲の樹木が適度に刈り込まれているために、飛鳥の土地を一望できるようになっているのである。その片隅のベンチのところに、二人の女子高生がいて、フルートとサックスの練習をしているのだった。坂道の途中で聞いたときは、遠かったので音も小さかったのだが、近くで聞くとかなりの音量である。

 ぼくは、久しぶりに辿り着いた甘樫の丘から、大和三山を眺めた。畝傍山、耳成山、天香具山が間近に見える。山といっても、実際には小さな丘で、この程度の丘なら、横浜には腐るほどある。あるどころではない。さっさと切り崩されて、宅地になってしまった丘だって数え切れない。けれども、この三つの山(丘)は、何千年という月日を経て、ここに「ある」。ここから眺める風景は、飛鳥時代の人々が眺めた風景とそれほど大きな違いはないのだ。もちろん、それぞれの山の麓にはビルなども建っている。けれども、山の形はまったく変わっていないから、想像の中で、いくらでも「復元」できるのだ。

 それにしても、さっきから、いつ終わるともない、フルートとサックスの音が気に触る。できれば、ベンチに寝っ転がって、1時間ぐらいゆっくりしたいと思っていたのに、彼女らの練習のせいで、ちっともゆったりとして気持ちになれない。だんだんイライラしてくる。

 ぼくの頭の中には、1200字ぐらいの「説教」の原案がたちまちできあがった。

 ここは君たちにとっては、地元で、格好の練習場所かもしれないけれど、ぼくは、──そしてここにいる十人ほどの人たちは──、ここに憧れて、全国各地から決して安くない交通費を払ってわざわざやってくるのだよ。それも、ただ、景色を眺めればそれでいいというわけじゃない。ここに来て、はるか昔の「時間」を味わいたくて来ている人もいるんだ。それなのに、なんだって、君らの下手くそな楽器の練習音で邪魔されなきゃならないの? 君らは、自分の演奏する音が、ここにいる人たちに喜んでもらえるって思っているかもしれないけど、それは大きな間違いだよ。さっきは、ぼくは、ここへくる途中で、ふと聞こえてきたフルートの音に、感動したけれど、だからそれは感謝してもいいけれど、あれは、たまたま君が吹いた一節が間違えずにきれいな旋律を奏でていたからで、それ以上でもそれ以下でもないんだよ。練習なら、学校でしなさい。それとも、学校の先生が、甘樫の丘に行って練習してきなさいと、あるいは練習してきていいと言ったってわけ? それなら、その先生に今すぐ会わせてほしい。あなたは、奈良の学校の教師として、甘樫の丘で、そこにやってくる人たちの求めている静寂を、この生徒たちの楽器の練習でグチャグチャに乱しても何とも思わないのですかって、そういって、問い詰めたいから。音楽で人を癒やしたいとか、人を喜ばせたいとか、ひょっとして思っているのかもしれないけれど、今の君たちにはそんなことはできないんだということをよく分かりなさい。そんな大それたことは、人に隠れて、長いこと辛い練習を重ねた果てにしか言ってはならないことなのだよ………。

 しかし、やめておいた。彼女らのすぐそばのベンチに座っている地元の人らしいジイサンは、ニコニコして彼女らの練習に耳傾けていたし、見知らぬ女子高生にこんなところでイチャモンつけて、せっかくのいい気分をぶちこわしにしたくもなかった。彼女らは、まったく練習をやめる気配もなかったから、ぼくはそうそうに退散したのだった。

 甘樫の丘を下りながら、そういえば、もう10年ぐらい前になるだろうか、ここへ家内と来たことがあった、その時、この坂道をのぼっていたぼくらに、上から下ってきた女子高生の集団があって、彼女らは、とても上品で、すれ違うたびににっこりわらって、こんにちはと挨拶をしてくれたなあと思い出していた。いったいこの子たちは、どこの学校なんだろうと言うと、家内は、なんかあの制服は聖心に似てるわと言う。そうか、聖心なら、上品なわけだ、と思いながら飛鳥寺に着くと、その受付に「小林聖心の生徒さんは……」という張り紙。それでぼくが「やっぱりコバヤシセイシンなんだ」と言ったら、家内は「コバヤシじゃなくて、オバヤシよ。」と言ってぼくを驚かせたものだった。「小林聖心」といったら、関西でも有名なお嬢様学校だということだった。それが分かったぼくは、飛鳥寺の境内にいる「小林聖心」の先生とおぼしき若い男の先生に声をかけ、ぼくは栄光学園の教師でしてと言ったら、ああ、ぼくは菅原神父様を知っていますなんて言うので、結構話が盛り上がったんだっけ……。

 まあ、いずれにしても、甘樫の丘というのは、ぼくの場合は、どうも女子高生との因縁が深いトコロであるらしい。今思えば、丘の上で、一生懸命にフルートとサックスを練習していた彼女らが、ただケナゲにしか思えない。やっぱり、説教しなくてよかったのだ。

 


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