33 新緑の大阪・奈良・京都を駆け抜ける!

2015.4.24

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 どこかへ行って来たら? と家内が言うので、そうだなあ、それじゃあ、京都でも行ってみるかと、重い腰をあげた。あの手術以来、大きな旅行はしたことがない。せっかく定年後のヒマがあるのだから、夫婦で旅行でもと思っても、家庭の事情があって、なかなか二人で旅行というわけにもいかない。で、家内が気をつかってくれたのだ。

 京都にいる古い友人と久しぶりに会って飲むだけでいいやと思いつつ、生来のケチな根性で、行くからには、いろいろ見て回りたいという気持ちもあって、とにかく京都に二泊連泊することにして、予約もとり、チケットも買った。65歳になって、JR東日本の「ジパング」とかいうのに入ったので、新幹線も2割引きになる。けれど、「のぞみ」には乗れない。まあ、どうせ急ぐ旅でもないから「ひかり」で十分だ。

 京都の友人に都合をきいて、4月21日から23日とした。

 このところ、ドジを踏むことが倍増し、その上、大きな手術からまだ1年ちょっとという時期でもあり、一人旅には、不安がないわけではなかったが、何も世界旅行にいくわけじゃなし、京都なら具合が悪くなったらさっさと帰ってくればいいだけのこと。それでも健康保険証のコピーだけは、修学旅行の生徒みたいにちゃんと持った。

 4月21日、火曜日、「ひかり」で、新大阪まで。そこから地下鉄で、淀屋橋駅まで行き、西天満の「現代クラフトギャラリー」で開催中の「ののはな展」を見る。ここ2年以上、ブログを見続けてきた森本順子さんという書家のグループ展だ。森本さんご本人とも初めてお会いして、挨拶もできた。感動の初対面、という言い方も変だが、ネット社会の面白さだ。森本さんと一緒に、お昼にお蕎麦をたべた。その後、すぐ近くにある「大阪市立東洋陶磁器美術館」へ。いわゆる「安宅コレクション」の名品の数々を見る。その後、JR大阪駅から、京都へ戻り、京都タワーホテルにチェックイン。夜は、件の京都の友人宅にお邪魔し、その後、外で飲む。

 4月22日、水曜日。この日は奈良へ行くと決めていたが、前の晩に、大阪へ行って、ひどく感動したという話を聞いた友人が、それなら、夜はいい店を知っているから、大阪の「みなみ」で飲もうというので、奈良の後は、大阪へ行くということにして、この日のアウトラインは決まった。けれども、さて、どこへ行くか。奈良も京都も、ほとんど行き尽くしているので、やっぱりいちばんのお気に入りがいいなあということで、思い切って室生寺へ行くことにした。

 前の晩にけっこう飲んだわりには、7時半にはもうホテルを出て、近鉄特急で大和八木、そこで乗り換えて、室生口大野まで。そこからバスで室生寺へ。大阪もそうだったが、どこへ行っても新緑が目を洗わんばかりに美しい。しかも、ゴールデンウイーク前とて、人出も少なく、のんびりと室生寺の美しさに浸った。そこまではよかったのだが、つい欲が出て、「奥の院」まで行こうと思った。たしか、今までに4回ほど来ている室生寺だが、「奥の院」までは行ってない。これが最後かもしれないから(こういう思考が最近多い)、行こうと思ったのだ。お寺の人に聞くと、階段は700段ほどあり、片道20分ぐらいかかるかもという。それでも、行った。しかし、およそ半分ぐらいまでのぼった時、「あ、ここ来たことあるじゃないか。」と気づいた。でも、ここで諦めるのは悔しいから登ってしまったが、もう大変で、後々まで体にこたえた。やっぱりムリするもんじゃない。

 室生寺からまたバスに乗って、室生口大野へと向かったのだが、室生口大野駅のすぐ近くの大野寺というバス停を室生寺へ向かうときにちらりと見たとき、妙にきれいな川原が目に入った。ああいう景色を水彩画で描きたいなあ、と思ったので、帰りのバスをそこで途中下車した。バカな階段上りで、フクラハギがぱんぱんで、限界に近いので、ずいぶん迷ったのだが、思い切って下車した。それが大正解。バスの窓からちらりの見えたのは、弥勒麿崖仏とその前の川原だったのだ。後で調べると(今回は、まったくの下調べなし。その上ガイドブックすらもたないという、行き当たりばったりの旅行だった)、しだれ桜で有名なのだそうで、その桜もすっかり散ってしまった大野寺は、ほとんど人がいなかったが、それがむしろもっけの幸い、ぼくは、大野寺のまえの川原で、しばらく時を忘れて風景に全身を浸したのだった。

 その後、よせばいいのに、飛鳥に向かった。とにかく甘樫の丘から大和三山を眺めたかったので。乗り物が不便なところなので、結局4時に近鉄奈良駅に戻るには、甘樫の丘だけでおしまいとするしかなかった。まあ、ここはほんとに何度も来ているから、悔いはない。この甘樫の丘も、ほんとうに新緑が美しかった。

 近鉄奈良駅から、大阪難波へ。そこで友人と落ち合い、タイガースファンの「ジャンプ」と、グリコの看板で有名な戎橋やら、法善寺やらを(「法善寺横町」「宗右衛門町」「北の新地」「中之島」などという大阪の地名をぼくは歌謡曲でみんな知っているのに、実際に行ったことがなかった。実際に見ることができて感動である。と、同時に、なんで多くの人がヨコハマに来て感動するのかの一端を知った思いだ。)、まるでガイジンのごとき目で観光し、お目当ての寿司屋へ。そこで、もう、信じられないくらいおいしい食事に酒という極楽を味わってから、京都へ戻り、更に飲んだあと解散。

 4月23日、木曜日。昼飯でも一緒に食べようという、友人のありがたいお誘いも、丁重にお断りし(本当は、せっかく高い金払って来てるんだ。お前なんかとのんびり昼飯なんて食ってるバヤイじゃないと、ケンモホロロに断ったのだが)、ひとりまた奈良へ!

 法隆寺の釈迦三尊像がずいぶん見やすくなったといつか聞いたことがあったので、まずは法隆寺へと向かう。確かに、LED照明のおかげで、昔と比べると格段によく見えた。その後、夢殿の「救世観音」も、ちょうど拝観できる時期だったので拝むことができ、さらには中宮寺の弥勒菩薩。もう、豪華絢爛たる国宝のオンパレードだ。

 そして、興福寺の「国宝館」へ。ここも何年か前に展示を一新したとのことで、奈良行きの大きな目玉でもあった。ここも、もう、ほんとうに筆舌に尽くし難い素晴らしさ。毎年行きたいくらいだ。阿修羅像だけではない、その他の彫刻も、息をのむほど素晴らしく、ガラにもなく、「よくぞ日本に生まれけり」とつくづく思ったことだった。

 そして、東大寺の「東大寺ミュージアム」。ここにも、かつては三月堂に安置されていた「日光菩薩像」「月光菩薩像」が、ほどよい照明に照らされてじっくりと見ることができる。なんという幸せであろうか。かつて三月堂の薄暗がりでみた、日光・月光も忘れがたいが、その印象を浮かべつつ、新しい展示を堪能することができるというのも無上の幸せとせねばなるまい。

 これでもう「お腹いっぱい」なのに、更に欲を出したぼくは、東大寺戒壇堂の四天王を見るために、痛む足、痛む腰をかばいつつ阿修羅のごとく歩き続け、最後は、電車に間に合わないんじゃないかとまで追い詰められながらも、ホウホウノテイで、京都駅に到着。17:33の「ひかり」で横浜に向かったのだった。京都駅で買い求めた「京都おばんざい弁当」が非常にうまかったことを付け加えておきたい。


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