31 「山本」だらけ

2015.4.12

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 生まれてからこのかた、だいたい「洋三」と呼ばれてきた。呼び捨てのときもあるし、それに「君」や「さん」や「先生」がついときもある。「山本」と呼ばれた、あるいは呼ばれることは、あまりないが、ないわけではない。

 幼い頃は家族から、「よーぼー」と呼ばれた。落語などに出てくる幼児はたいてい「きんぼー」と呼ばれる、その伝である。近所の人からは「ようちゃん」と呼ばれた。

 小学校に入ると、「やまちゃん」と呼ばれた。名字の一文字に「ちゃん」をつけるのは、日本語の呼び名の定番である。「近藤」なら「こんちゃん」、「渡辺」なら「なべちゃん」てなもので、知人にもそう呼ばれている人がたくさんいる。居酒屋の屋号にもこの手のものが多いのは言うまでもない。

 小学校の友だちは、「やまちゃん」だったけど、小学校1年から3年まで担任の女の先生は(足立貞子、後に阪本貞子先生)は、ぼくのことを「洋三さん」と呼んだ。この「洋三さん」は、今でも心に響いている。

 中学に入ると、同級生に「山本」がぼくを含めて4人いた。これではどうしようもないから必然的に「洋三」と呼ばれることになった。ただし、親しい友人は「洋三」と呼び捨てだったが、それほどでもない普通の友人は「山本君」って呼んでたように思う。先生は「山本」と呼び捨てだったが、天狗さんと呼ばれていたシュトルテ神父だけは、変なアクセントで「ヨーゾー」と呼んだような気がする。

 大学に入ると、クラスは36人しかいないし、山本もぼくだけだったから、「山本」としか呼ばれなかった。先日も登場した嶋中も柏木もぼくを「山本」としか呼ばない。

 最初に勤めた忠生高校では、仲間の教師からも、生徒からも「山本さん」とか「山本先生」と呼ばれたような気がするが、ぼくの教師生活の中心だった演劇部の生徒からは、どういうわけか「洋三先生」と呼ばれたし、卒業してからもそのままだ。

 次に赴任した青山高校には、山本という教師がなんと4人もいて、中高と同じ状況になった。で、こちらも必然的に「洋三先生」と呼ばれることになった。この学校の教師の名前は紛らわしくて、山本忠男という教師がいて、渡辺忠夫という教師もいたから、山本忠男先生は「ただお先生」ではダメで、「やまちゅう」なんて家具屋みたいな名前で呼ばれ、一方の渡辺という教師も2人いたから、どう呼ばれていたか忘れてしまったが、実にややこしかった。ぼくが青山をやめたあと、また山本という教師が入ったそうだ。

 さて、栄光学園に教師として戻ったときには、山本という教師はぼくしかいなかったのだが(ぼくが在学中に生物の山本玄〈しずか〉先生という方がいらして、古い先生方は、「山本先生」というとそちらの先生をすぐに思い浮かべるからぼくには違和感があったらしい。)生徒に「山本先生」と呼ばれることに、ぼくの方が違和感があったのだと思う。生徒への自己紹介のときに、「山本洋三」という名前がいかに素晴らしいかを縷々(るる)説明して、結果として生徒が「洋三先生」と呼ぶようになるように誘導したきらいがどうもある。

 教師の方は、そんなことは知らないから「山本先生」と呼んでいたが、生徒は「洋三先生」と表向きは呼び、裏では「洋三」と呼び捨ててにしていたのだろう。そのうち、だんだん自己紹介にも年季が入ってきて、絵を描くときのサインが、最初は「YOZO」だったが、やがて、やなせたかしが「Yan.」というサインだったのに影響されて、高校生の時には「Yoz.」と書くようになったんだなんて話しているうちに、「ヨーゾー」だった呼び名がいつしか「ヨズ」となった。それも最初のうちは、「ヨ」のほうにアクセントがあったのに、昨今の平板化したアクセントの影響からか「ヨズ」と、歌手の「ビーズ」みたいな言い方が普及していったあたりで、退職とあいなったのである。

 ちなみに、教師としてのぼくの「呼び名」に関する歴史はこれだけだが、ここ15年以上かかわっている教科書の編集員会では、編集委員の先生にもう一人の「山本」がいたから、やっぱり「山本先生」ではなくて「洋三先生」と呼ばれている。

 ところで、なぜこんなどうでもいいことを書いたのかというと、最近、フェイスブックで、かつての栄光での教え子が、ぼくの投稿にコメントする際に、なぜ「山本先生」と呼ばずに「洋三先生」と呼んでいるのか(呼ばざるを得ないのか)について、彼の周囲がいかに「山本」だらけだったかを縷々説明していたので、ついぼくも縷々説明する気になったという次第である。


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