15 ささやかな「決意」

2015.1.3


 お正月も、もう3日である。なんて書いているうちに、うかうかしていると、今年も残すところあと3日である、なんて書くはめになる。

 朝からビールなんて飲んだりするから、眠くなってしまい、コタツに入ってiPadでダラダラとネットの記事を読んでいたら、どこでだったか忘れたが、年頭に、100の「したいこと」をメモする。そして、それを一つ一つ実行してチェックしていく。当然、全部などできるわけもないが、3割も実行できたらたいしたものではないか、野球でも3割バッターならすごいのだから、などということが書いてあった。

 「100」というのがちょっと気に入った。ぼくの「100のエッセイ」も、最初は、100編書こうということで始めたわけで、それが「第1期」「第2期」なんていうふうに続くとは思っていなかった。「100」は、「とうてい達せられそうにない数字」であり、目標であったのだ。だから、あっという間に達成してしまった以上、いまさら「100のエッセイ」なんて意気込む必要はないのだが、習慣上その名称を踏襲しているにすぎないのである。

 しかし、「100のしたいこと」なんていうのは、やはり、「とうてい無理そう」という意味あいが強いから、「あくまで目標で、3割達成なら上々」という但し書きがつくわけだ。

 で、オレにやりたいことが100もあるだろうかとメモしてみたが、どうも25ぐらいでとまってしまって、ちっとも先へ進まない。もっとも、「日本の近代文学を読む」なんて書けば1つだが、「堀辰雄を読む」「宇野浩二を読む」「吉田一穂を読む」なんて書いていったら、それだけで何十にもなってしまう。ラーメン好きなら、どこそこのラーメンを食べる、ってことで何十にもなるだろうし、京急ファンなら、600系に乗るとか、2100系に乗るとかから始まって、井土ヶ谷駅で2000系の旧塗装車を撮るとか、黄金町駅で黄色い京急を撮るなんてことで簡単に100を超えてしまう。

 「したいこと」の区切りが難しい、ということだ。むしろ、「○○を100個食べる」とか「○○を100回見る」とかいうほうがいいのかもしれない。

 昔、都立高校時代の同僚の教師が、「ぼくは今年水彩画を100枚描こうと思うんだ。」というようなことを言ったのをよく覚えている。その頃は、ぼくも時々、思い出したように水彩画を描いていた頃なので、ああ、こういう目標の立て方はいいなあと思った。思ったけれど、実行しなかった。仕事が忙しくてそれどころじゃなかったのだ。けれども、その先生も、かなりハードな仕事を抱えていたのだから、今思えばやっぱりエライものだ。

 水彩画をいっさい描かなくなってから久しい。たぶん、書道を始めたころにはやめていたはずだから、もう8年以上になるだろう。やめてしまったのは、ひとつは題材がなくなってしまったからだった。風景を主に描いていたわけだが、修学旅行の引率とか、学校の研修旅行とか以外には、あまり旅行をしなかったので、どうしても描く風景が限られてしまう。しかも、仕事関係での旅行だから現場でのスケッチもする余裕もなくて、写真を撮ってきてはそれを元に描いていたので、同じ風景を何度も描くことが多かった。しかし何度描いても、同じような描き方しかできず、ぜんぜんかわりばえがしないので、だんだん嫌気がさしてきたのである。

 一時は、ボタニカルアートというほどではないが、植物画を描いた時期もあった。しかし、これも何となくやめてしまった。植物画は細かいので、疲れるということもあったが、まあ、飽きっぽい性質が主たる原因だったのだろう。

 ところが最近、8年程の空白を経て、フェイスブックの方へ、「蔵出し水彩画」として昔の絵の写真を載せているのだが(ブログの方ではすでに、フォトチャンネルに掲載済みです)、自分の描いた絵だけれど、ある程度客観的に見ることができて、また「いいね」なんて言ってくれる人もいるので、オレの水彩画も「それなりの水準」にはあるのかもしれないと思えるようになってきた。

 で、「したいこと」の一つにしか過ぎないが、今年は、もう一度、水彩画を描こうかと思っている。できれば100枚。(これは絶対に無理そうだけど)8年のブランクがどう作用するのかしらないが、それなりのものが描けたら、このブログにもフェイスブックにも掲載してみたい。年頭にあたっての、ささやかな「決意」である。


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