7 木枯らしの果て

2014.11.10


 結婚式には誰が出席するか、あらかじめ分かっているが、葬式は、それが分からない。だから、葬式では、思いもかけない人と会ったりして、そんなときには決まって「ねえ、こんな時にしか会えないなんて。」といった挨拶が交わされるものだ。

 「こんな時にしか会えない」と、だれもが普通に口にするが、それは普段はなかなか会えない人が、「こんな時だからこそ会える」ということであり、それは、葬式の持つひとつの重要な意味なのかもしれない。お坊さんなら、「故人がこうして皆さまをお集めくださったのです。」という所だし、現に今回の葬儀の席でも、お坊さんはそういう主旨のことを言っていたような気がする。

 通夜のとき、見知らぬ年配の女性から声を掛けられた。聞けば、祖父の腹違いの妹の娘だという。こういう関係を何と呼ぶか知らないが、ぼくと血がつながていることは確かだ。しかし、祖父に兄弟姉妹がいたということは聞いた覚えがなかった。その人が「あんたが小さい時に、近くの浜でだっこしてあそんでやったけど、今はどんなになったかと思っていましたよ。」と懐かしそうに言う。「こんなになっちゃいました。」とふざけ半分に答えたけれど、ぼくの知らない過去が、そんなふうにして突然目の前によみがえるのを感じて、不思議な感動を覚えた。

 亡くなった叔父には3人の娘がいて、彼女らが小さい頃は、よく一緒に遊んでやったものだ。ところが今では、彼女らはみな立派な大人になって、それぞれに娘や息子がいる。叔父にとっては孫にあたるわけだが、その子たちもみなステキな若者に成長している。隔世の感とはこのことだ。

 告別式のとき、たくさんいる孫の中でたった一人の男の孫(高校生)が、弔辞を述べた。ときどき涙で声を詰まらせながら、ジイちゃんと過ごした日の思い出をきちんと語り、自分の祖父への溢れるほどの思いを述べきった。こんなにも素直で、爽やかな男の子が親族にいたなんて、と、ぼくは誇らしくさえ思った。

 横浜から、母と叔母との3人で、何とか糸魚川に辿り着き、まずは母の生まれ育った実家へ行き、そこで湯潅など一連の儀式をしたわけだが、親族でごったがえした家の中で、どこで喪服に着替えたらいいかと聞くと、散らかっているけど、2階のどこかの部屋が空いているからそこで着がえてくれと言われ、2階にあがった。

 母の実家は、今で言えばコンビニのような店で、山崎文六商店といった。今ではもう商売をやめて、店だったところは車を入れるように改造されてがらんとしていたが、家の構造はぼくが幼いころに行っていたころと何も変わってはいなかった。馴染み深い2階への階段をのぼり、蒲団が敷いてあるままの部屋に入った瞬間、目に飛び込んできたのは、鴨居の上に高く飾られている父と祖父の絵だった。

 実は、この家には、10年前にも、義理の叔父の葬儀の際に泊まっているのだ。(ちょうどその通夜の日が、中越地震だったことは前にも書いた。)だから、その時にも、この絵を見ているはずなのだ。それなのになぜか、今回は強烈な印象があった。あ、まだ、こんなふうに絵を飾ってくれていたんだ、という思いと同時に、その2枚の絵に狂おしいほどの懐かしさを感じたのだ。こういう感じ方は、やはり大きな病気をして、死を目の前にしたからなのだろうか。その辺はよく分からないが、最近のものの感じ方が、病気以前とはずいぶん違うことは確かなようだ。

 実は、ぼくの家には、父の絵も祖父の絵もない。ぼくは、父の絵も祖父の絵も家に飾ろうと思ったことはないのだ。その気になれば、何枚でももらって、飾らないまでも、大事に保管することだってできたはずなのに、そういう気持ちがなかった。それは、2人の絵に興味がなかったとか、飾るのが嫌だったということではない。こんなことを言うとキザに聞こえるだろうが、敢えて言ってしまえば、飾る必要もないくらいぼくの心の中にある、と言う感じなのであろうか。

 それでも、久しぶりに見る2枚の絵が、訴えかけてくるものは、言葉には尽くせないものがあった。そこにはぼく自身がいる、とさえ思えたほどだった。そして、これもまた、故人が再会させてくれたとしかいいようのないことだったのだ。

 その2枚の絵を、譲り受けたいともそのとき思ったが、しかし、その絵を我が家に持ち帰っては、かえってぼくの中の思いが薄れてしまうだろう。あの2枚の絵は、あの部屋にあり、そしていつかどこかへ消えていくだろう。それこそが、その絵の運命だし、それはまた人間のありようとも重なるのだ。

 今回の葬儀は、さまざまな思いをぼくの中に呼び起こしたが、やはり、2日間を通じて、ぼくの心の奥底に、叔父の「洋ちゃん、よく来てくれたなあ。」という優しい声がずっと響いていた。

 出棺のとき、叔父が属していた詩吟の会(叔父は全国大会に出て二位になるほどの詩吟の名人だった。)の人たちが別れの詩を美しく吟じた。その声と叔父の声が入り交じって、冬の迫る日本海の方へ消えていくように思えた。

   

   木枯らしの果てはありけり海の音(池西言水)

 


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