6 あの世的

2014.11.2


 この3月まで在職していた栄光学園には、旧教職員の会というものがある。退職した教職員の会というのはどの学校にでもあるのかどうか知らないが、栄光学園の前に勤めていた都立青山高校にもあった。ただ、青山の方は、都立高校の人事異動が激しくなったことで、何十年と勤めた先生も年々減っていき、昔の先生方も高齢化したために、維持することができなくなって何年も前に解散を余儀なくされてしまった。その点私学の場合は人事異動もないので、今でも年に一度は会合を開き、旧交を温めているわけである。

 ぼくが60歳で定年となったとき、その会に入会を勧められたが、その頃はいろいろ経営側と対立していることが多くて、もともとひねくれ者だったぼくのひねくれ根性にも拍車がかかり、入会を頑なに拒んだ。

 それが、今年の大病以来すっかり(でもないか)人間が素直になって、角もとれ、やっぱり人とのつながりが大事だと思うようになって、60歳以来何年にもわたって拒んできた入会を、あっさりと承諾した。入会のお勧めをダメ元でと思ったのか、言いにくそうに電話してきてくださった先輩の先生に、「あ、お願いします。」と言ったら、「え?」っと電話の向こうで目を白黒させていた。まったく訳の分かんないやつだなあと思われたに違いない。

 で、この前の火曜日に、その年1回の会合があった。十数人の集まりだったが、ぼくが行くと、「いや〜、なんだか山本さんがすっかりひねくれてしまって、入会を断ってるって聞いていたけど、来てくれたんですねえ。」などと言う大先輩であり、また恩師でもある先生に言われたりして、ぼくのひねくれが、そんなに話題になっていたのかと改めて恐縮する思いだった。

 人間関係には、「あう・あわない」がつきもので、とりわけ教師という特殊な職業では、上下関係に苦しめられることがあまりないかわりに、それぞれが一国一城の主だから、勝手放題、言いたい放題という人も多く(ぼくがその代表選手です)、まして、かつての恩師が同僚でもあるというぼくのような場合は、その人間関係も複雑で、正直なところ、学校やめたんだから、もう会わなくてすむとホッとする人だっていないわけではない。それは仕方のないことだろう。だから、ひねくれていたということがあったとしても、面倒なところには行きたくないという思いもあったわけだ。

 しかし、実際にひとつのテーブルを囲んで食事などしながら、大昔の恩師・同僚の先生方と話をしていると、実におもしろい。65歳のぼくが下から2番目に若いという会だから、それはもう大変。乾杯の音頭をとる先生が、乾杯の音頭であることも忘れて延々と話しつづけると、「あのさあ、聞こえないんだよ。」と言う声。すると乾杯音頭の先生も「おれも、さっきからよく聞こえないんだ。」なんて調子で、どこぞの老人ホームの食事会そのものである。

 ぼくが「新人」として挨拶して、病気をした結果「中学生の頃のような素直でいい子」になりました、と言ったら、また別の恩師であり同僚であった先生が、「いや〜、山本さんが、こっちへ来てくれて嬉しい限りです。」みたいなことをおっしゃる。その「こっちへ来てくれた」という言葉を聞いたとき、瞬間的にだが、「こっち」が「あの世」に感じられた。このテーブルを囲んで和気藹々の状態が、「あの世」の状態にふと見えたのだ。

 ぼくはこれでもカトリック信者の端くれだから、「あの世」を信じていることになっているが、あまり実感として感じたことはなかったが、この瞬間的な感覚にはびっくりした。

 「あの世」がどんなものかは生きてるかぎりは分かりはしないが、「あの世」がもしほんとうにあるのなら、こんなものなのかもしれない。「この世」での様々な愛憎を超えて、ただただ楽しく「あの時は、ほんとに大変だったねえ。」とか「いやあ、あの時はほんとに生きた心地がしなかった。」とか、「あの時は、実際、ぶん殴ってやろうと思ったよ。」とか、ああだこうだといって、時の経つのも忘れる状態。それが「あの世」の姿かもしれない。あるいは、ぼくらが生きているあらゆる瞬間に、実は「あの世的」なものが、チラチラ顔を見せているのかもしれない。

 帰りの電車の中で、そんなことを考えながらうとうとしていると、「この世に生きるということは、ひょっとしたらあの世に生きるための、予行演習なのかもしれないなあ。」なんて意味不明の思いが、頭の中をすっとよぎるのを感じた。

 


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