90 タヌキ字 

2012.9.6


 猛烈な暑さの中、上野の東京国立博物館へ、『青山杉雨の眼と書』という展覧会を見に行ってきた。青山杉雨(あおやまさんう・1912〜1993)という人は、日本の現代書家を代表する人で、その人が集めた中国の貴重な書画と自身の作品を展示するという展覧会である。

 書の展覧会ともなると、フェルメールなどとは違って、やはり人は来ない。来ている人も、書家とか書道を習っている人が圧倒的に多いようだ。いかにも地方から来ましたといった風の高校の書道部の子たち数人が、顧問の先生に引率されて何組か来ているのも、ああいいもんだんなあと思ったりしながら、オレも、書道をやっていなかったころは、こんな展覧会があったとしても絶対に来なかったことであろうと、ちょっとした感慨にふけったりした。

 会場は、ガラガラというわけでもなかったが、人の頭越しでなくては見ることができないなんてことはなくて、腰が痛くなれば(ほんとにこれが困ったもんだ)、大きなソファーに座りながら目の前の作品をゆっくり見ることもできるといった理想的な状況だった。

 杉雨の練習帖も展示されていて、それを興味深く見ていたら、50歳前後の女性の二人連れが何やら話している。「あ、こっちの方がいい。」「そうねえ、こっちの方が素敵だわ。」「なんか由緒正しいって感じがする。」女性たちが「こっちの方」というのは、唐の時代のチョ遂良(チョの字が使えません)の書いた「雁塔聖教序(がんとうしょうぎょうじょ)」の臨書である。これはもう書道を始めると必ずといっていいほど習う楷書で、杉雨がそれをお手本に書いたもの。では「こっち」と比較された「こっちじゃない方」っていうのは何かというと明・清の時代の傅山(ふざん)の「漢古詩」などの行書の臨書である。

 こんなふうに書いても、何が何やら分からない方も多いと思うが、要するに、件の女性たちが「こっちがいい」と言ったのは、きちんとした楷書で、「こっちはよくない」って思ったらしいのは、ちょっと形を崩した行書だったということだ。で、楷書を見て、「こっちの方が由緒正しいって感じがする。」と言ったわけだ。

 ということは、書の展覧会なのに、珍しく関係者じゃない人が来たということになる。これはこれで書の普及という観点からしても博物館の収入という観点からしてもめでたいかぎりなのだが、その二人がその場を離れつつ言った言葉の断片が耳にひっかかった。「ピカソだってさあ、若いときは、あんなに素敵な絵を描いてたんだもんねえ。」

 つまり「ピカソは若い時、素敵な写実的な絵を描いていたのに、だんだんあんな変な絵になっちゃった。それと同じで、チョスイリョウとかいう人はあんなにきちんとして楷書を書いているのに、だんだんフザンみたいな人が変な字書くようになっちゃった。」ということだろう。

 ピカソの典型的な絵を見た人は、昔から「あんなメチャクチャでいいなら、子どもだって描ける。」と感じ、そのピカソの若い頃の写実的な絵を見ると、「何だ、ピカソって絵がうまかったんだ。」とびっくりする。こういう感想が、もうここ100年以上も繰り返し口にされてきたのだろうと思う。

 正確に精密に描かれた絵、形の「ただしい」しっかりとした字、それこそが「うまい」ということであるという固定観念は、いったいどこから来たのだろうか。ひょっとしたら、小学生のころ、「きれいな字ね。」とか「上手に描けましたね。」といって褒められた字や絵が基準となっているのかもしれない。

 何が正しくて、何が美しいか、その基準は、案外無造作に放たれた大人の一言で形成されてしまうのかもしれないと思うと、教師としてはソラオソロシイ気分になる。

 思えば、ぼくの字への数十年にもわたるコンプレックスは、国語教師の言った「ヤマモトの字はタヌキみたいだな。」の一言によって培われたのだった。ぼくはそれを「下手くそな字」だという批評として受け取ったのだが、それを「個性的な字だ」と受け取れていたら、もうすこしぼくの人生も変わっていたかもしれないとも思う。しかしまた「タヌキみたい」という実にあいまいな、どうとっていいか分からない言葉だったからこそ、その後長いこと「コンプレックス」という形をとりながらも「字への興味」を持続させてくれたのかもしれない。言葉は難しいものである。


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