75 宮澤賢治の「青森挽歌」 

2012.6.11


  宮澤賢治に「青森挽歌」という詩がある。およそ250行にも及ぶ長大なもので、ぼくはこれを現代日本の詩の中の最高峰と信じて疑わない。

 都立高校に勤めていた時代は、20代から30代の中頃だから、血気盛んというか無鉄砲というか、授業もやりたい放題だった。ぼくのような人間にとって、当時の都立高校のありようは実にありがたいもので、どんな授業をやろうが誰も何も文句は言わないし、第一、校長とか教頭とかそういった上に立つ人たちは、どんなに若手の教師でもその授業の内容には一切かかわってこなかった。もちろん、今はやりのシラバスとやらも存在しなかったし、教案ひとつ国語科主任に見せるなどということもなかった。だからといって、いいかげんな授業をしたというわけではないが、とにかく授業はぼくだけの「王国」のようなもので、そこで何が行われているかは、「生徒のみぞ知る」だったわけである。

 都立青山高校に務めていた頃、詩の授業で宮澤賢治を扱った。教科書には、当時も今も賢治の「永訣の朝」が載っている。最愛の妹トシを看取る詩だ。死の間際のトシが賢治に「あめゆじゅとてちてけんじゃ」と頼む。この呪文のような方言は、賢治によって「あめゆきをとってきてください」と註がついているが、この部分はとても朗読できない。教室でこの詩を何度も範読したが、やはりうまく読めずにいつも恥ずかしい思いをしたものだ。やはりここは岩手弁を完璧に話せる人にしか読めないのだろう。

 この詩はまあ定番だから、それなりに説明もしたはずだが、それでは飽き足らず、無鉄砲にも「青森挽歌」を持ち出した。しかしこんな長い詩をプリントはしても、いちいち説明している時間はない。そこでこれを朗読することにしたのである。

 けれどもこれを朗読するとなると20分はゆうに超える。それに、この陰々滅々とした詩を、真っ昼間の教室で朗読する気分にはとてもなれない。しかもぼくの朗読だけではどうにもこの詩の雰囲気をうまく伝えることもできそうにない。そこで、音楽も入れながらテープに録音することにした。といっても、当時のこととて、朗読をしたテープにに音楽を重ねることなんてできない。だから、レコードで音楽を部屋に流しながら、同時に朗読をするということになった。

 いったい何時間かけてそんなことをやったのかはとんと記憶にないが、とにかく朗読テープは完成した。音楽は、フォーレのレクイエムを使った。

 それを恥ずかしげもなく教室で流した。フォーレのレクイエムの冒頭のキリエが流れる。しばらくして、ぼくの地の底でつぶやくような低い声で「青森挽歌」が語られる。「こんなやみよののはらのなかをゆくときは客車のまどはみんな水族館の窓になる 乾いたでんしんばしらの列がせはしく遷ってゐるらしい きしゃは銀河系の玲瓏レンズ 巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる………」あまりのトーンの低さに、生徒は呆れたのか何なのか、最初はクスクス笑っていたが、やがて静かになった。寝てしまったのかもしれない。その後のことは知らない。彼らがどう感じたのかはまったく分からなかった。感想を聞きもしなかったからである。やりっぱなしの、自己満足かつ自己陶酔型授業である。

 この朗読テープは、その後使ったかどうかも記憶にないが、いずれにしても、この「青森挽歌」は、ぼくにとってはまず自分で朗読することでしか味わえない詩となっていったのだ。これ以後、この詩を自分の部屋で何度ボソボソと朗読したか分からない。そのせいか、この詩のことばは体の隅々まで染みついてしまったような気がする。

 この夏の「現日書展」に何を出品するか考えたときに、やはり頭に浮かんだのは、この「青森挽歌」だった。全紙1枚にこの詩の全文を書く。初めは無理だと思ったが、やってみると何とかおさまった。朗読とはまったく違う表現形式だが、書いていて楽しかった。詩の奥の奥まで入っていけるような気がした。

 ただ、1枚書くのに4時間かかるのにはまいった。もちろん1回書いて終わりというものではないから、いちおうの完成まで数十時間を費やしてことになる。これも究極の自己満足かつ自己陶酔かもしれない。


*全紙=70×136.3cm


Home | Index | Back | Next