72 タナボタ金環日食 

2012.5.21


 金環日食のことを知ったのは、5月になってからだろうか。その昔、石川達三の「金環蝕」という小説があって、外は輝いているが中は腐っているというような、どうも企業だかの腐敗を描く内容のようだったが、結局題名だけ印象に残って読まなかった。読まなかったのだが、その小説で金環食というものがそれほど珍しいものではなくて、年中見ることができるような、あるいはすでにもう見たことがあるような気でいた。ところが、今回の金環日食では、何百年ぶりだの、世紀の天体ショーだのと世間では大騒ぎで、そうかあ、そういえば見たことはなかったなあなんて思っていた。

 職員室のぼくの隣の席の物理の女性教員と話していて、その金環日食のことに話題が及んだとき、まあ、どうせ雨ですよ、と言ったら、どうしてそういうことを言うんですか、わたしは、30年も前から待っていたんですよと言う。その女性教員の年齢が分からないから、いったいいくつの時から待っていたのかも分からないが、まあ、少なく見積もれば、小学生のころからエンエンと待っていたことになる。

 そういうことを聞くと、そうですか、それじゃあ晴れるといいですね、などとはとても言えないのが、ぼくの悪いところで、30年待っていたって、結局は雨が降って見ることなんかできない、それが人生というものですよ、などとたたみかけたものだから、彼女はなんて意地悪な人間なのだろうと心の底から憤慨したようである。

 しかし、天気なんていう気紛れなものを相手にして、30年も待ち続けるなんてことは、ぼくには考えられないことも事実なのだ。本気で30年待ち続けて、それでたまたまその日が雨で、まったく見ることができないなんて悲劇にぼくはとうてい耐えられそうもない。だから、こういうことには絶対に期待しない。近ごろの男は、傷つくことを恐れて恋愛をしないなんて非難されるが、ぼくには他人事とは思えないのだ。だから、そんなあてにならないことをあてにして30年も待ち続けたなんて話を聞くと、反射的に、「どうせ雨が降る」って言葉が出てしまう。そういうことで「悲劇」を少しでも事前に体験させて「免疫」をつけておいてあげたいと思ってしまうらしいのだ。まあ、単なる意地悪ジジイの言い訳だと言われればそれまでだが。

 当日の天気予報は、微妙だった。数日前の予報では、「曇りときどき晴れ」、だったのが、前日では完全に「曇り」に変わってしまった。天気予報のときでも、テレビでは、果たして金環日食は見ることができるのでしょうかというノリで大騒ぎを続けるので、だんだんウンザリしてきて、絶対使えとテレビで叫んでいる「日食グラス」も買わないでいた。

 金環日食なんてどうでもいいじゃないか。何百年ぶりなんて騒いでいるけど、だからどうしたというんだ、という気分もあったのだが、前日になって、万一晴れたら悔しいだろうから、「日食グラス」は買っておこうと思って、買い物ついでに家内に買ってきてもらった。明日晴れという予報だったら、とっくに売り切れてたらしいけど、まだ少しあったわよ、といって家内が買ってきた「日食グラス」は1480円もしたという。まあ、どうせ使わないだろうけど、普通の太陽を見ても面白いらしいからいいかということで、それでも7時には起きるようにタイマーをセットして寝た。

 朝5時ごろ目覚めると、曇りどころか、何と雨がザンザン降りである。昨日の学校からのメールで、明日の登校は3校時からに変わりはないとあったが(学校では、日蝕の観測ができるようにとの配慮で、始業時刻を遅らせる措置をとったのだが、まったく見込みがないときは、普通に始めるとのことだったが、それに関する連絡がメールできたというわけだ。)、これじゃ、まったく見込みがないなあと思って、7時ごろ、ラジオをつけると、ニッポン放送では、日食特番をやっている。え、中止じゃないの? と思って聞いていると、有楽町は太陽が見えてきました! 少し欠け始めています、ちょうどアップルのリンゴマークみたいな感じですなんて、オオハシャギで言っている。しかし横浜の空はどんより曇っていて、太陽などかけらも見えない。気象庁のホームページで雨雲の様子を見てみると、東京はけっこう雲がすくないのに、横浜あたりだけに雲がかかっている。なんて不幸な横浜市民よ。今から東京へと向かう連中もいるだろうなあと思いながらも、床を出た。

 ところがである。7時も10分ほど過ぎたあたりから、急に雲が薄くなってきて、何と雲間から太陽が見えるではないか。あわてて「日食グラス」で見ると、きれいに欠けている。おいおい、見えるぞ、見えるぞ、と叫んで、家内と家内の母を呼んで、リビングから空を見上げた。時折、さっと太陽の光がさしてきたりする。すると「日食グラス」で、くっきりと三日月状の太陽が見える。
そのうち、薄い雲の向こうに太陽が見えるようになった。これなら「日食グラス」なんていらない。むしろ、肉眼の方が見やすい。

 そうだ、そらなら写真が撮れる! 写真はダメだってテレビで言ってたでしょ? と家内はあわてたが、いや大丈夫だ。これなら撮れるぞ、絶対。そう言って、自慢のデジタル一眼に望遠レンズを装着して撮ってみた。撮れた。後はもう夢中。100枚ほどを撮りまくった。

 あっという間に「騒動」は終わった。撮った写真を眺めながら、こういうこともあるんだなあと感慨深かった。まったく期待していなかったのに、そして明け方は雨まで降っていたのに、日食のほんの数分だけ、見事に太陽が姿を現してくれた。というか、雲がどいてくれた。しかも、いい塩梅に雲がかかり、ただの望遠レンズでの撮影を可能にしてくれた。

 たいして興味がないのだと自分では思っていたのだが、内心では相当に興味があったらしい。ぜんぜん待っていなかったぼくはこうして、見ることができ、写真まで撮ることができたのだが、果たして30年待ち続けた人は、見ることができたのだろうか。

ぼくが撮影した写真はこちら


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