68 感覚だけで生きている

2012.4.29


 大学時代の友人は、2人しかいない。あの大学紛争のせいだ。ぼくのいた国語国文学科の同級生は35人いたはずだが、紛争になって様々なセクトに属してチリヂリバラバラになり、どのセクトにも属さずフラフラしていたぼくら3人は、いつもつるんで喫茶店などでジメジメと源氏物語など読む日々が続いていた。3人とも金がないから、飲みにいくこともめったになく、ただただ「純喫茶」のコーヒー1杯で何時間もねばっていたものだ。もちろん、3人だから麻雀をやることもなかった。

 あれから40年以上も経った。ぼくは、大学の学部を出てすぐに都立高校の教師となったが、あとの2人は大学院に進み、コツコツと学問の道を歩んで、今は2人とも立派な大学教授だ。ぼくは、横浜、あとの2人は埼玉と千葉に住んでいるので、なかなかゆっくり会えない。いつかゆっくり温泉にでも行こうよと、毎年年賀状に書いていたが、一向に実現する気配もなく、そのうちだんだん歳をとってきて、温泉に行くこと自体が面倒くさくなってきたので、このままだと、ゆっくり話すこともなく死んでしまうことにもなりかねないので、とりあえず3人で飲もうということになった。

 そうなったら、案外トントンと事が運んで、つい先日、銀座のぼくの教え子が関係している和食レストランで会うことができた。学生時代は貧乏で、居酒屋でさえ行けなかったぼくらだが、「銀座」で飲むことができるようになったなんて、まことにめでたい話。まさに隔世の感ありだ。もう今日は、うまい料理とうまい酒をガンガン頼んで豪遊だ、なんて意気込んでいたのだが、2人は、少し食べたら、もうお腹がいっぱいだ、とか言って、ちっとも食べない。ぼくは、やれ「〆張り鶴」だ、やれ「村祐」だと、いい酒を飲んでもう大満足しているのに、1人は酎ハイみたいなのを飲むし、もう1人はビール一杯でもうダメで、あとはひたすら水ばかり飲んでいる始末。まったく、張り合いのないことはなはだしい。こんなことなら、ワタミとか、ショーヤとかで十分だったじゃなかったかとも思ったが、ぼくは普段のダイエットは忘れて、飲んだり食ったりだったから、まあいいとしよう。

 とにかく、ほんとに久しぶりだったので、4時間ほどいたのだが、それでも話したりなかった。その話の中で、なんの拍子か、ぼくの卒業論文のことが話題となり、なんでも当時の助手だった先生が、担当ではなかったが、ぼくの論文を読んで、山本は感覚だけで書いてるって言ってたよ、と2人の内の1人が言った。そんな話は初耳だった。

 当時のぼくは、もう大学にすっかり嫌気がさしていて、卒業論文を書くときにも、指導教授と数分話しただけで、書いた後は、その教授と話すこともなかった。だから、評価をまったく知らないのだ。ただ、卒業した後、風の噂で、ぼくの論文は結構高く評価されていたということが耳に入ったので、それをそのまま信じて今日まで来たのだった。

 大学院にも行かなかったし、その後も研究を続けてきたわけではないから、卒業論文がどう評価されたのかなんて、まったくどうでもいいことではあるのだが、でも、いい線行ってたということは、自分の中だけでのちょっとした誇りでもあった。

 しかし、その助手の「感覚だけで書いてる」という評価は、「ぜんぜん論理的でも、実証的でもない。」ということだから、どうころんでもコイツは学者には向かないという「評価」だったわけだ。卒業して、40年以上もたって、な〜んだ、そうだったのか、とがっかりした。

 まあ、しかし、「感覚だけで書いてる」というのは、その後のぼくの歩んだ人生を見事に言い当てているのだ。何をするにも、ぼくは結局「感覚」がたよりで、物事の判断も論理的ではなく感覚的だった。ぼくの人生、感覚だけで生きてきたようなものだ。そして、なによりも、このエッセイが、感覚的以外の何ものでもない。雀百までということか。まったく、ヤレヤレである。


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