67 お笑い芸人と教師

2012.4.21


 今年度は、中学1年生の担当となった。彼らは、第66期生である。ぼくが16期生だから、何と、ちょうど50歳違うことになる。上の孫が今年、小学校の4年だから、孫と3歳しか違わない。これだけで、もうとまどってしまう。やっぱり教師の定年は、60歳あたりが正解なのだろうか。ぼくは非常勤の講師だから、もちろん学級担任はないわけで、まだいいが、これが65歳定年だと、この歳で中学1年生の担任だってやらなければならない。それは非常にキツイだろうと思う。

 教師の仕事というと、すぐに授業が思い浮かぶだろうが、実際には授業は仕事の一部に過ぎなくて、様々な雑務がある。特に中学1年生の担任ともなれば、まだまったく学校に慣れていない生徒の面倒をイチから見るのだから、大変なことこのうえもない。新年度の担任の業務一覧のプリントなどを眺めると、よくこんな面倒なことをこのオレがやってこれたなあと感慨もひとしおである。そういった仕事を離れてしまった今は、もう二度とやる気にはなれない。人間、一度楽をしてしまうと、もう元には戻れないものだ。だから、原発を全面的に止めるにしても、じゃあ、昭和20年代ぐらいの生活に戻れるかというと、そんなことは絶対にできっこない。だから、原発は再稼働すべきだと言いたいわけでは毛頭ないけれど、電気をなるべく使わないで生きていけばいいじゃない、と気楽に言うわけにもいかない。難しい時代になったものだ。

 まあ、それはそれとして、たった2歳とか5歳とかしか違わないのに、もう世代が違って話が合わないなんていうことを言う人もいるというのに、50歳も歳が違う子ども相手に、いったい何をどうしゃべればいいのだろうか。しかも、1回や2回ではない。週に3回、それを1年間続けるのだ。これはやはり、素人ではできないワザである。プロだからこそできるというものだ。そういうことを、世間の人々はきちんと認識してほしいものだ。教師というものが、いつになっても、ラーメン屋ほどにも尊敬されないのは、どこかで世間の人が「子ども相手に適当なことをしゃべってれば済むんだから、誰だってできるさ。」程度にしか考えていないからだと、ぼくはほとんど確信している。

 先日、BSのお笑い系の番組で、パンクブーブーが、平均年齢9歳、20歳、70歳の三つのグループを相手に、漫才をやるという企画があって、なかなか興味深かった。いちばん受けなかったのが、70歳のグループで、あとの2つは大受けだった。中でも9歳のグループの場合は、もう「お尻」と「変な顔」だけで十分受けた。かれらも、終わってから、「いつの時代でも、子どもはお尻が好きなんですねえ。」と感想を述べていたが、ほんとうにその通りだ。

 だから、受けようと思えば、「お尻ブリブリ!」とか「ウンチ!」とか叫んでいれば、それでもう楽勝なのだが、授業はお笑いではない。そんなこと叫んで授業になるわけがない。しかし、また、授業というのは、お笑いとは別の意味でやはり「うける」ことが重要なのだ。つまり「興味を持って聞いてもらう」という意味だ。これは本当に難しい。そしてその難しさを共有するがゆえに、授業とお笑いには非常に深い関係があるのである。

 お笑い芸人の世界は厳しい。「うけない」ということが「失職」に直結する。それにくらべれば教師はまだ楽だともいえるが、厳しい仕事には違いないのである。


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