63 本末転倒な話

2012.3.28


 電子書籍のことばかり書いていたら、年長の知人から、電子書籍でもちっともかまわないと思うけれど、自分は一度も見たことがないので、どうもよく分からない。例えば、傍線は引けるのか、栞をはさむことはできるのか、というような質問メールがあったので、いろいろとお答えしたところ、電子書籍の「便利なような便利でないような事」がよく分かりました、とあって、更に、「それにしても、折角綺麗に製本してある本を壊して、スキャンに掛けて取り込むなんて、大変な作業ですね。そんな時間があったら、読みたい紙の本を読んだ方が良いのでは?」とのご意見をいただいた。

 実際にはそれほど大変な作業ではないのだが、しかし、例えば文庫本を1冊、ちゃんとした電子書籍にするには、だいたい15分ほどかかる。今までぼくが電子書籍化した本は、単行本・雑誌・文庫本など全部で約2600冊だから、1冊15分(単行本などはもう少し時間がかかる。)として計算してみても、ざっと650時間、毎日寝ずにぶっとおしで作業をしたとして約27日ということになる。なるほど、知人がおっしゃるとおり、それだけの時間があったら、相当の紙の本を読めたはずだ。知人の意見ももっともなことである。

 ぼくの人生を、つらつら振り返ってみると、すべてがこういったことの繰り返しだったような気がする。とにかく、何をするにも、そのことよりも、そのことをするための準備というか態勢を整えるというか、そういうことに金と時間を費やしてきた確かである。絵を描くなら、絵の具や絵筆や用紙をそろえて、机の上もいつでも絵が描けるように整理して、準備万端というところまで相当熱心に取り組む。ところが、体勢が整ってしまうと、何だかやる気が起きない。で、あまり描かない、ということになる。

 オーディオに凝っていたときも、やれオンキョーのアンプだ、やれスピーカーは三菱のダイアトーンだと買いそろえ、時には買い換え、いつでも高音質で音楽を楽しめる環境を整え、クラシックのCDなんて2000枚ぐらい買い込んだのに、ほとんど聴かなかった。繰り返し聴いた何枚かはあるけれど。

 本の場合はその最たるもので、まだ電子書籍などが登場していない頃は、とにかく紙の本を本棚に並べて、好きな本はいつでも読めるという環境を整えるのに懸命だった。どんどんと本棚を埋めていく本の背を眺めながら、これでいつでもこの本を読めるぞとほくそ笑んでいた。しかし、いつまでたっても本棚の充実ばかりを目指していて、一向に読もうとしないのだ。

 で、電子書籍の場合も、これに準ずるのである。つまり、電子書籍化した本を読むことよりも、自分の持っている本を分解し、スキャンして、見事に電子書籍に変身させ、その電子書籍がパソコンの中にたまっていくということ、そのこと自体が楽しいのだ。何のことはない。今まで紙の本が本棚にたまっていくのが嬉しかったのと同じで、パソコンの中の「本棚」に電子書籍がたまっていくのが嬉しいということで、やっていることにまったく進歩がない。

 「輪郭」がクッキリしたからといって、今まで以上に電子書籍を読むかというと、そうではなくて、「輪郭がクッキリした」という、そのこと自体が嬉しいのだから、どうにもしようがない。どうしようもないことだが、あえて言うなら、どうもぼくは「内容」よりも、「入れ物」の方に興味があるのだということかもしれない。何も入れるものがないのに、やたら箱ばかり集めるようなものである。

 音楽を聴く場合も、普通は、音楽の伝える感情とか雰囲気とか思想とかを理解しようと思うのだろうが、ぼくは楽器の音色の方により興味がいってしまう。映画でも、その映画の伝えようとするメッセージよりも、映像そのものに惹かれてしまう。落語でも、どんな話なのかよりも、どんな語り口なのかの方に興味がある。

 電子書籍化の場合も、どうすればもっときれいに電子書籍化できるかとか、どうしたらもっと効率的に電子書籍化できるかなどということが、主な興味となってしまい、どうしても「読む」ことは二の次になってしまうのである。まったく本末転倒な話である。


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