60 わかっちゃいるけど、やめられない

2012.3.18


 何事も「ほどほど」が一番だということを、実感する日々である。

 いちばんいけないのは、飲みすぎである。(もちろん水のことではない。)いくら飲んでも、血液検査は正常だなんて言って、飲み続けるとやはりどこかで問題がおきる。健康診断が普及したことで、ぼくらはどうしても数値を重視してしまい、数値が問題なければ、すべてよしとしてしまいかねない。しかし、昔の人は健康診断なんて受けなくても、どういうことが体によいか、悪いかを知っていたわけだ。人間の体なんてものは、案外その程度のことでいいのかもしれない。

 食べ過ぎもよくない。よくないとわかっていても、食べ過ぎる人がいる。もちろんそういう人は、必ず太る。そういう人が痩せたいと思っても、食べることが好きなのだから、ついつい食べ過ぎてしまう。そしてそういう人は「食べ放題」なんて言葉に極端に弱い。ちなみに「飲み放題」とか「食べ放題」というビジネスモデルは、この際禁止したほうがいいのではないか。何事も「したい放題」というのは、人間としてあるまじき振る舞いなのだから。

 もっとも、晩年の孔子のように「心の欲するところに従いて、矩(のり)を越えず。」(やりたい放題やっても、人間の道をはずれることがない。)というような境地に達したら、それもいいのかもしれないが、まず凡人には無理というものである。

 働き過ぎがよくないのは、もちろん、過労という人間の大敵にとりこまれるからであるが、逆に遊び過ぎもよくない。遊びすぎればやはり過労になる。仕事より遊びの方がおもしろいことが多いから、遊びによる過労のほうが多いのかもしれない。しかし、「ほどほど」に遊ぶというのは、「ほどほど」に働くより難しいかもしれない。

 趣味人と呼ばれるような人をみると、たいていは「ほどほど」なんてものではない。みんな度を超している。度を超しているからこそ、趣味の醍醐味を味わえるということだろう。けれども、度を超した遊びは、結局のところ、人生のバランスを崩すような気がする。気がするが、度を超さない遊びなんて、つまらないとも思ったりする。人生のバランスを崩そうが何しようがその道に邁進してこそ真の趣味ではないかとも思うこともある。むずかしいところである。

 心配しすぎもよくない。ぼくなどは、その典型だけれど、心配しなさすぎもどうかと思う。しかし、できることなら、心配しなさすぎぐらいの人間に生まれ変わりたい。そうなれば、どんなに気楽に日々を過ごせることだろうと思うと、ため息がでる。

 買いすぎももちろんよくない。これはもう、ぼくの独壇場だ。今月8日の、新型iPad発表の日の朝に、学校に行く前のわずかな時間で、アップルに予約して、発売日にはちゃんと手に入れた。この新型iPadの神髄を実感するには、アプリの対応を待つ必要があって、もう少し後のことになりそうだ。しかし、まあ、こうやって新製品が出るたびに買ってしまうというのも、明らかに買いすぎで、よくないことはわかっている。わかっちゃいるけどやめられない、というところだろうか。

 これはもう、酒でも、食べ物でも、遊びでも、共通のことで、結局、わかっているからやめられるというのは、ほんとうにそれが好きではないということだけなのかもしれない。ぼくが、晩酌に日本酒1合弱しか飲まないことに決めているといって、別に威張れることではないのだ。


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