59 キーンさん、ありがとう

2012.3.10


向こうの角を曲がったところに漆がある。そう思うだけで、漆にかぶれる人は全身赤くかぶれてしまうんです。でも、角の向こうには漆はないんです。

 震災後、福島にある寺の住職として、そこにとどまることを決意した玄侑宗久が、NHKの「あさイチ」でそう語っていた。その場所で暮らす人たちにどういうことをお話になるのですか? という質問への答だったと思う。漆があると思うだけで、かぶれてしまう。それほど人間というものは気持ちに左右されてしまうということなのだ。

 震災から1年。これまで、ありとあらゆる不安をかきたてる情報の海にぼくらは生きてきた。最近では、首都圏直下型地震の想定震度が、場所によっては7になるなどということが報じられているし、原発だって、今後どうなるのか依然分からないという状況も報じられている。この1年間、よくもこんなところで暮らしてこれたものだとつくづく感心してしまうほどだ。こうなったからには、玄侑師が言うとおり、不安は結局こっちの心の中にあるわけだから、角の向こうには漆はないと思って、生きていくしか方法はあるまい。なんともはや、えらい時代になったものである。

 そんな中で、ドナルド・キーンが、このほど日本名を獲得して、「鬼怒鳴門」と名乗ることとなったと報じられ、ご本人もテレビに出ていた。震災後、相次いで日本を離れる外国人を見て、ひどく反感を感じて、わざわざ日本に帰化したということはかなり前から知っていたが、「報道ステーション」の古館氏は、「わたしは、この方をよく知らないんですが」と言いながらも感動したと述べていた。感動はいいとしても、「この方をよく知らない」とは驚いた。キャスターとしては、あまりに勉強不足ではないか。生前の三島由紀夫とも仲が良く、全10巻にも及ぶ「日本文学史」の著者としてあまりにも有名な、アメリカの日本文学研究者を「よく知らない」とは、キャスターとして言うべきではないだろう。

 まあ、それはそれとして、こういうアメリカ人もいるんだなあと思うと、やはり何ともいえず胸の熱くなる思いがする。ぼくは、日本人だが、日本を熱烈に愛しているわけではない。むしろ「ろくでもない国」だと思うことのほうが多い。国語教師なのに、なんたる言いぐさかと言われても、素直に「日本万歳」とは言えないのだ。

 ただ、日本文化のある部分は熱愛している。和歌、伊勢・源氏・平家などの物語、枕草子・徒然草などの随筆、謡曲ならびに能楽、俳諧および俳句、そして落語。これらに接するとき、ああ、日本人でよかったと思う。けれども、それ以外では、日本人でよかったとはあまり思わないのである。

 鮨だの、冷や奴だの、日本酒だの、食べ物は、別にフランスに生まれようが、コンゴに生まれようが、慣れてしまえば、旨い旨いと食べることができる。富士山だろうが、登別温泉だろうが、外国人だからといって、日本人がいいなあと思うと同程度にいいと思えないということはないわけだ。

 しかし、文学や落語やお能となるとこれが大違いだ。言葉が問題となるからだ。言葉の味わいだけは、どうしてもネイティブにはかなわない。「閑かさや岩にしみいる蝉の声」の句を味わうには、やはり外国人は相当のハンデを担っている。だからこそ、こういう文学やら芸能やらは、日本人であることのありがたさを感じさせるのだ。

 しかし、キーンさんは、それを見事に克服している。日本人よりも、日本文学を味わうことができる。そして日本が大好きだという。そして、地震と放射能に翻弄される日本にあえて住みたいといって、移住してくる。なんという人なのなのだろうと思う。不思議な感じすらする。

 その不思議な感じは、ぼくが中学生の頃、栄光学園のフォス神父、シュトルテ神父、ウルフ神父といったドイツ人神父に感じた不思議さと通じるものがある。彼らは、ぼくらが憧れるヨーロッパに生まれた人たちなのに、何でこんなちっぽけな日本の、横須賀なんていう小都市にわざわざやってきて、こんなろくでもないぼくたちの面倒なんて見る気になったんだろうという素朴な疑問をいつも起こさせたものだった。

 誰かが熱烈に愛したり、わけもわからず好意を寄せたりすることで、ぼくらは、その対象たるものの価値を知るのかもしれない。ドイツ人神父が深く愛してくれたから、ぼくらは、ぼくらの価値に目覚めたのかもしれない。キーン氏が愛してくれたから、ぼくらは日本文学の価値を知ったのかもしれない。それは情けないことなのではなく、「価値」というものは常にそういう側面を持っているのだと言えるのだろう。「価値」は内側からは見えないのだ。きっと。


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