58 悠然トシテ南山ヲ見ル

2012.3.3


廬(ろ)を結びて人境(じんきょう)にあり
しかも車馬の喧(かしま)しきなし
君に問ふ何ぞ能(よ)く爾(しか)ると
心遠ければ地(ち)自づから偏なり
菊を采(と)る東籬の下
悠然として南山を見る
山気(さんき)日夕(にっせき)に佳(よ)く
飛鳥(ひちょう)相与(あいとも)に還る
此中(ここ)に真意有り
弁ぜんと欲して已(すで)に言を忘る

 有名な陶淵明の「飲酒」と題する詩である。ちょっと今風に意訳してみる。

人里に庵を結んだ。それなのに、誰も車に乗って訪ねてこない。
どうしてそんなことができるのかって?
心が俗世間の価値から遠く離れていれば、誰も寄ってきはしないから、人里でも閑静な土地になるものだよ。
東の垣根の下にはえている菊を摘んで
ゆったりとした気分で南山を見る。
山の空気は、夕方になるにつれていっそう澄み切ってすばらしい。
鳥たちは連れだって、ねぐらに帰ってゆく。
ああ、ここに、この時間に、オレの生涯求めていた境地がある。
だが、説明しようとしても、言葉にならない。

 「飲酒」と題しているのだから、この時、陶淵明は一杯機嫌だったのだろう。

 高校2年生の最後の授業で、この詩を取り上げて読んだ。この陶淵明の境地を、たかだか17年ぐらいしかこの世に生きていない若者に分かるかどうかははなはだ疑問だが、授業をやっている自分のほうが、改めてこの詩のすばらしさが分かった気がして、心を動かされた。

 夏目漱石は「草枕」で、この詩の一節「采菊東籬下 悠然見南山」を引用しているが、ぼくが、おお、そうか! と膝を打ったのは、そこよりもむしろ「心遠地自偏」の五文字だった。世俗を嫌って隠遁する人間は、物理的に世俗から離れようとして、人も知らないような山の中に庵を結んだりするが、淵明は人里に庵を結んだ。今で言えば、町中に住んだのである。それでも、「静かな生活」が可能だった。それはひとえに「心遠」だったからだというのだ。

 心さえ俗世の価値観から解放されて自由ならば、俗世の価値観を持ち込む人もいない、つまり、何か得をしようとして誰かが訪ねてくるということもない。これをもっと身近なことでいえば、心の持ち方ひとつで、都会のど真ん中でも隠遁できる、ということだ。すばらしい里山の景色を求めて田舎ぐらしをしたり、南の島に一家で移住しなくたっていいのだ。

 「采菊東籬下」と淵明は言うが、さしずめベランダに置いたプランターのパセリをちぎったっていいわけだ。その時、「南山」が見えなくても、富士山が見えなくても、ただ近くの風呂屋のエントツが見えているだけでもいい、心が「悠然」としていれば、目に入ってくる光景は、すべて「悠然」としたものとなる。

 問題は、どうしたら「悠然とした気持ち」になれるかだろう。どうしたら、金とか地位とか名誉とか、そういった世俗の価値から自由になれるのだろう。金、地位、名誉などといった典型的なものならまだしも、ちょっとしたこと、隣の芝生が青いとか、何か変な挨拶してバカにされなかっただろうかとか、靴下の穴を見られて恥ずかしいとか、そういう細かいことが、ぼくらを「悠然」とした境地から遠ざける。

 だからこそ、物理的に世俗を離れることが必要になるわけだろう。けれども、里山や南の島にだって「人情」はあるだろう。田舎に来た都会人は、「ここの人はみな人情があってあたたかい」と絶賛するけれど、人情は決してあたたかいだけのものではない。嫉妬、ねたみ、憎しみ、怒りも、また人情である。漱石が、「非人情」を求めた時に、陶淵明などの詩に救いを求めたのも、なるほどもっともなことなのである。

 さて、高校2年生の諸君は、4月から高校3年生となり、いわば世俗的価値の坩堝といった感のある大学入試に挑むわけだ。彼らが、ほんとうに陶淵明の「真意」を理解し、憧れるようになるのは、まだまだ遠い先のことだろう。


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