55 あくびの仕方

2012.2.19


 本当に毎日が飛ぶように早く過ぎてゆく。歳のせいかとも思うのだが、ラジオなどでも、結構若い人の口からも同じセリフがよくもれる。

 とすると、時代のせいなのだろうか。そういえば、落語を聞いていても、「いやあ、どうも、毎日がすっとんでいくようにはやくって、こまっちまうよ。」なんて熊さんやら八ッツァンなどが愚痴るなんていうことは記憶にない。(あったら教えてください。)

 江戸時代の庶民の生活の真相はどうだか知らないが、落語で知るかぎりでは、のんきなもんである。退屈したヤツが「あくび指南所」なんてところに出かけていって、あくびの仕方を習ってみたり、吉原狂いの若旦那が、家から出るなとオヤジに言われて、二階に吉原のミニチュアを作らせてそこで遊んでみたり、まあ毎日、時間は飛ぶどころか、超スローモーションで進んでいるとしか思えない。

 近代科学技術の発達が、人間の本来もっていた時間感覚を狂わせたのだという説があって、それはまことにもっともなことである。

 つい先頃、東海道新幹線の300系だかが引退するとかで大騒ぎしていたが、新幹線のできる前は、特急でも東京から大阪まで7時間ぐらいかかっていたわけで、いま、急に新幹線がそれぐらいの速度になったとしたら、だれもそんな遅い新幹線に我慢がならないはずだ。遅い遅いと文句言うに決まっている。つまり、近代人は、なんでも「はやく。はやく。」とせがんできたのだ。

 かくいうぼくも、パソコンが起動する30秒が、遅くてイライラしたりする。それでも一昔前からすれば劇的にはやくなっているのに、1秒単位の遅さに敏感になって、イライラする。

 現代人は、時間に対するセンサーが敏感すぎるのだ。だから電車がちょっと遅れただけでもう大声で怒鳴ったりする。

 東北地方の瓦礫を静岡に持ってきたら、もうオジサンやオバサンが、知事に向かってヒステリックにやめろと怒鳴り散らしている。気持ちは分かるが、放射能に対する気持ちのセンサーが過敏になっているのだろう。放射能なんてないに越したことはないし、なんでこんな時代になっちゃったのという怒りもあるが、ああまでエゴイズムむき出しでヒステリックになるのを見ると、どうかなあと思ってしまう。

 ところで、時間に対するセンサーが敏感になると、どうして「時間がはやく過ぎる」のだろうか。これは、分かったようで分からない理屈だ。新幹線で大阪まで3時間で行けるということは、7時間かかっていた時代からすれば、4時間浮くわけだ。それなら、そのぶん、ゆとりができて、時間がゆったり流れたっていいような気がする。それがそうならない。なぜなのだろう。

 浮いた4時間を「有効活用」しようと思うからだろうか。そうなれば、またそこで、「はやく。はやく。」が始まる。どこまではやくしたところで、「活用されない時間」はないことになる。それじゃ、あくびの仕方を習おうなんていう気にはならないわけだ。

 「時間を無駄にしない。」「時間を有効に活用する。」といった標語が悪い。

 そもそも「活用」という言葉がよくない。「活」がつく言葉はおおむねよくない。「活性酸素」がよくないことは常識だが、「町(村・商店街などなんでも同じ)の活性化」もよくない。「活」でいいのは「活作り」ぐらいなものだ。

 時間があまったら、「活用」なんてしないで、ダラダラしていればいいのだ。それで、退屈で死にそうになったら、あくびの仕方でも習いにいけばいい。それもまた「活用」じゃないかって? いや、あくびなんて習っても何にもならないから、ちっとも「活用」ではない。


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