40 「サンライズ瀬戸」に乗って

2011.11.18


 この10月に亡くなった家内の父の納骨のために、今日の夜行で高知に行く。

 数日前の授業で、そういうわけで、来週の月曜日はオレの授業のかわりに英語になるからそのつもりで、と言ったついでに、高知へは「サンライズ瀬戸」で行くんだ、うらやましいだろう、と言ったら、鉄道好きの生徒がほんとにうらやましがって、昨日も授業の後に職員室までついて来て、明日乗るんでしょ、いいなあ、乗りたいなあと言い続けた。寝台車に乗ったことがないのだと言うから、へえ〜、オレなんかもう飽きるほど乗ったよ、上越まわりの金沢行き「黒部」だったか、「日本海」だったかなあ、そんなのとかさ、長崎から「さくら」とかね、と言うと、もう身もだえしてうらやましがっていた。そんなに乗りたければ乗ればいいじゃないのと言うと、だってお金がありませんよと言う。そうかあ、それなら大人になって、オレみたいに金持ちになったら乗りまくればいいじゃないかと言うと、「その頃、まだ寝台車あるかなあ。」と言う。

 なるほど、そういう心配もあるわけだ。思えば、寝台車というものも出世したものだ。今では、「北斗星」「カシオペア」「トワイライトエクスプレス」などと、妙に気取った豪華寝台列車ばかりとなって、庶民にとっては高嶺の花となってしまった。それ以外では、「サンライズ瀬戸」「サンライズ出雲」ぐらいしか思い当たらない。

 今回、家内の母が、体調の関係で、どうしても寝台車で横になって行きたいというので、それなら「サンライズ瀬戸」がいい。今どき、夜行で高知に行こうなんて悠長な人間もそういないだろうから、空いてるだろうし、なんて簡単に思っていたら、大間違い。今や希少価値となった寝台列車は大人気で、切符も発売と同時に売り切れる状況だという。幸いなことに、その切符も何とか手に入ったが、「サンライズ瀬戸」までがそんなに人気だったなんて、ちょっとびっくりである。

 15年ほども前だろうか、家内と長崎に行ったときに、帰りに寝台特急「さくら」に乗ったが、その時はもう悲惨なほどのガラガラ状態で、夕食を食べに食堂車に行ったら他にお客もなくて、若いボーイがヒマそうにしていたのを今でもよく憶えている。ブルートレインの「さくら」は、それから間もなく姿を消したように思う。今の寝台特急の人気ぶりを「さくら」が聞いたら、何であの時乗ってくれなかったんだって愚痴のひとつも言いたくなることだろう。

 母方の郷里の新潟県青海町(現糸魚川市)に行くときも、よく夜行を使ったが、それも贅沢なんていうものではなく、むしろ難行苦行であった。寝台車といっても、三等車だから3段ベッドで、運悪く真ん中のベッドがあたったりした日には、もう身動きできない。まるで蚕棚の蚕である。それでも、小さな窓から、大清水トンネルを越えたあたりの夜の底に白く見える雪を眺め、越後湯沢でホームに降り立つと、シンシンと雪が降り積もっていたのを眠い目をこすりながら見つめていたこともある。たぶん、中学生の頃だ。

 今では、その列車もない。もっとも、ぼくが中学生の頃に田舎に行くときは、信越本線まわりの急行「白山」によく乗ったものだが、軽井沢を越えて長野に向けて下っていくときの、蒸気機関車の軽快な音がまだ耳の底に残っているくらいだから、オレも歳をとったということよのう、とため息もでようというものだ。

 過ぎさったとき、なくなったものは、みな懐かしい。

 速ければいいとばかり思って、新幹線に乗り、飛行機に乗り、夜行寝台などに目もくれなかった時代があって、さてそれでは今はどういう時代なのか。もう一度、ゆっくりとした時間を取り戻そうとしているようにも見えるけれど、リニア中央新幹線などが、本格的に計画され軌道に乗りつつあることなどを考えると、まあ、近代文明も行くところまで行くしかないということなのかなあとも思うのだ。

 何はともあれ、「サンライズ瀬戸」に乗って、ゆっくり亡き義父を思いながら、酒でも飲むことにしよう。


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