38 ふるさとは遠きにありて
2011.11.5
今回の震災で、故郷を離れた土地のアパートなどに住んでいる人たちが孤立化しているのを何とかしなければというので、バラバラに住んでいる人たちを何とか探して、月に一回でも集まれるようにする取り組みが行われているというようなことをニュースで見た。そこに集まった人だったか、あるいは世話人だったかが、やっぱり話がわかりあえるのは同郷の人なんですよ、と言うのを聞いて、うーんと考え込んでしまった。
なるほどそうなんだろうなあ、そう思うんだろうなあと思いつつ、ぼくのような都会人にはない感覚だなあとも思ったのだ。
都会人といったって、別にエライわけでも何でもなくて、ただ、生まれたときから地方の農村とか漁村ではなくて、町中だったということだけのことだ。例えばぼくは、生まれ育ったのが横浜の下町で、その後は横浜のはずれ(といっても、昔の感覚でいえばのことだが)の住宅地に住んでいるわけだが、たとえ今後この土地を離れて、北海道とか鹿児島に住むことになったとしても、「やっぱり話がわかりあえるのはハマの人間だなあ。」などとは絶対に思わないだろうと思うのだ。
都会では人間関係が希薄で、アパートの隣で人が死んでも誰も気づかないなんてことがよく言われ、そういうことが不満な人は、老後は田舎に移り住んで、隣近所との暖かい交流の中で暮らしていきたいなどということを考えるのだろうが、何事も裏表があるもので、田舎だからといって必ずしも暖かい交流が保証されているわけではないだろう。
もちろん、ものすごい親密なつながりができていて、それこそ隣近所がみな家族のような付き合いで暮らしている田舎もあるだろうが、そういう所に住んでいた人は、今回のような事態になると見知らぬ土地での「孤立化」を余儀なくされてしまう。あまりに共同体に寄りかかった生き方をしてきた人は、その共同体から切り離されると、どうしても孤立してしまう。そして、その懐かしい共同体への復帰だけが願いとなり、これまでとは違ったまったく新しい生き方・暮らし方へと方向を転換することができないということになってしまいかねない。
長いこと田舎の共同体で暮らしてきた高齢者にとって、新しい生き方への方向転換など要求するのはいくら何でも酷な話だから、何とかして今は、そういう孤立化している高齢者には同郷の人たちとの交流を取り戻してあげるべきだとは思うけれど、けっこう若い世代でも、ふるさとから離れられないという感覚の人もいるようで、それはもう少し柔軟に考えたほうがいいんじゃないかと思うのだ。
都会の人間というのは、最初から孤立しているし、ある意味では故郷喪失者だ。隣近所の濃密なかかわりはないし、晩ご飯のおかずがあまったから食べない? なんて突然隣の人がやってくることもない。テレビなんかだと、そういう晩ご飯のおかず持って近所の人がやってくるような田舎暮らしを理想のようにいうけれど、そういうのって、やっぱりウットウシイ。そう感じるのが都会人だろう。というかぼくはそう感じる。
完全な孤立でもなく、ベタベタした親密さでもなく、適度なお互いへの関心あるいは無関心、つまりは適度な距離感。それが一般的な都会的暮らしのスタイルだろう。そういう生き方をしている人間は、「やっぱり同郷人じゃなきゃわかり合えない。」などということはたぶん言わない。
本当の意味で心の底から分かり合おうなんて思ったら、そんな人はどこにもいないことに気づくだけなのだし、逆に、そこそこでいいからとにかく分かり合おうということならば、北海道だろうと、鹿児島だろうと、沖縄だろうと、あるいはオランダだろうと、ベルギーだろうと、どこの人間だって、人間どうしなら、きっとわかり合える。人間関係というのは、そんなものではなかろうか。
「ふるさとは遠きにありて思うもの」と室生犀星は歌ったし、「誰もがその願うところに住むことが許されるのでない」と伊東静雄は歌った。遠い異郷でも、孤立することなく、適度な距離をもった人間関係を築けるようにならなければ、この世に生きて行くことは難しいのだと詩人たちも身に染みて思っていたことだろう。